見出し画像

第1回笹井宏之賞大賞受賞から今までの話

2018年のある日、見たことのない電話番号から着信があった。一瞬、ある心当たりが頭をよぎったけれど、いや、そんなことはないだろう、と思いなおす。折り返すと、書肆侃侃房の藤枝さんという人が出た。

「第1回笹井宏之賞にご応募いただいた件なのですが」
と藤枝さんが言う。
「はい」
はい、としか言いようがない。否定した心当たりが踵を返して戻ってくる。もしかして、候補になったけれど不備があったのだろうか、まさか個人賞だろうか。

「柴田葵さんの『母の愛、僕のラブ』がこのたび、大賞に選ばれました」

それを聞いた私の第一声、なんだったと思いますか?
「大賞ですか?」です。
「大賞です」と言われました。大賞でした。

副賞として(作者である私の費用負担は一切なく)受賞作を含む14の短歌連作を収録した歌集『母の愛、僕のラブ』が刊行されたのは2019年12月だ。このあたりから「新しい感染症」の話題が出はじめた。翌年の2020年2月頭にクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に停泊、3月から学校が一斉休校となり、卒業式も入学式もなくなった。歌集を出すと、歌集批評会という場が設けられたり、読書会を開いてもらったり、さまざまな場に招待されたりする。実際、歌集刊行時にはお声がけいただいていた話も複数あった。けれどもそれらはすべて実現できなくなった。もちろん、そんなことは「世界」のなかでは些細なことだ。

『母の愛、僕のラブ』出版から今月(2023年12月)で4年が経過した。その間はなにしろ大変だった。大変だった。大変だった。私自身はまだ、言葉を尽くして語れるほど消化しきれていない。

4年経った今でも、今年は短歌アンソロジー『現代短歌パスポート1 シュガーしらしら号』に短歌連作、らくだ舎二弍に2に短歌連作と小説を寄稿するなど、私は短歌を続け、発表の場を得ている。「ダ・ヴィンチ」11月号の短歌特集では、ヒコロヒーさんからご指名いただき対談までしてしまった。また、新たに、今年になって歌集を手にしてくださった人もたくさんいる。ありがたいことだ。

それでも、作品を発表し続け、多くの人に読まれ続けるのはキツいものだと実感する。私は短歌を手放すつもりは一切ないけれど、あくまで私個人として、私の短歌は誰かに読まれることで「良いもの」になると考えているので(詳細は話すと長くなるからここでは割愛する)これからも頑張っていかなきゃいけない。

でも、頑張るって何をどう頑張れはいいんでしょうね。この4年間で、世界はまるで変わってしまったし。

当然だけれど、4年間は5年間より短い。そして中途半端な数字だ。無理やりに四捨五入すればまだ「ゼロ」だと言える(言えない)。歌集について、作者である私が語るなら今ではないだろうか。過去を清算する必要がある。急にそう感じた。

これまであまりやってこなかったけれど、自分の歌集『母の愛、僕のラブ』について簡単な解説だったり、背景だったりをのびのびと書いてみようと思う。ほとんど語る場もなかったので、このあたりで書いてもいいかなと思う。

予定では、笹井賞を受賞した50首連作「母の愛、僕のラブ」、第1回石井僚一短歌賞次席でAmazonから試し読みできる20首連作「ぺらぺらなおでん」、そして、たぶん他の歌集より言及されることの多い(ような気がする)「あとがき」について書く。予定が変わったらごめんなさい。

これからも私が短歌を続けられますように。
私の短歌が多くの人に読んでもらえますように。
その自分勝手な気持ちが、正直な思いだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?