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シルヴィア・プラスの詩作品について

詩人シルヴィア・プラス(Sylvia Plath 1932-1963)の新刊本が来月発売されるのだが、先週、行きつけの図書館で問い合わせたところ、なんと貸し出し可能なプラスの本が数冊見つかってびっくりした。

さっそく二冊借り、いま合間合間に読んでいる。まず、思潮社が94年に刊行した「シルヴィア・プラス詩集」(吉原幸子 皆見昭訳)と、小説作品「自殺志願」(角川書店 1974年刊)というものだった。

小説のほうはさすがに時間が作れず、読めないままになりそうだ。やはり彼女の詩を読みたい。…

どちらも、いまは古書で高値がついている。特に「自殺志願」は、現在アマゾンの古書店でなんと32000円という値だった。プラス人気もあると思うのだが、本の流通の少なさも関係していそうだ。

私は、彼女のことを長く「集英社版 世界の文学37 現代詩集」からの三篇、「楡の木」「父さん」「黒いちご摘み」のみを通して知っていた。が、今回借り出した「シルヴィア・プラス詩集」を読んで、プラスへの印象や理解がいくらか変わったとおもう。

小説「自殺志願」(原題を「The Bell Jar」といい、米英では有名な作品のようだ。wikipedia参照)のあとがきで、翻訳者の田中融二氏が、プラスの詩作品について以下のように言及されていた。

彼女の作品は一篇ごとにそれぞれ調子が違って、どれが「代表的」であるか定めにくく、また、まず最初にイメージがあって、それらを排列したあと、各イメージの関連性を説明せず、詩句として韻律にしたがった区切りがありながら、意味としては読者にはたらきかける連続したはたらきかけがあるといった具合で―(…)

「自殺志願」(角川書店) 261-2頁より (原文ママ)

これを読むと、難しい説明だがとりあえずは納得できる。私が注目したのは

「彼女の作品は一篇ごとにそれぞれ調子が違って、どれが「代表的」であるか定めにくく、」

の部分だった。

今回のプラス詩集で、自分が特に印象に残った詩は以下の五編だった。

「アエリアル」
「打ち傷」
「霧中の羊」
ふち
「言葉たち」

なぜ、これらの詩が特に深く響いたのだろう。少し考えてみたいとおもう。…

上掲の五編は、記録では全て彼女の後期(あるいは最晩年)の作品になる。そして、これらの詩に込められた内容は、やはり、いわゆる「希死念慮」(この表現を少しやわらげたいのだが、つまり「死への想念」)…であると感じられた。

それぞれの詩から少し、抜き取ってみたい。

「そしてわたしは
走る矢となり、
わが身を断とうと
飛び散る露となる、
煮え立つ大鍋、
真っ赤な朝の眼へと。」(アエリアル)

「心臓が閉じて、
海は滑らかに退く。
鏡は覆い尽くされる。」(打ち傷)

「野はわたしを、
星あかりも父の守りもない天へ、
暗い水へ誘いこもうとおびやかす。」(霧中の羊)

「その女は完成される。
彼女の死んだ
からだは成功の微笑をまとい、」(縁)

「シルヴィア・プラス詩集」(思潮社)より

…こうした記述に、目が止まっていた。

「霧中の羊」や「打ち傷」が最も分かり易いのだが、「アエリアル」や「縁」にもそれがあるし、注意して読むと(以下に掲げる)「言葉たち」からもわたしはそれを感じたのだが。…

「言葉たち」は、プラスの傑作だと思う。読んで驚いたし、感動した。


その一撃の後に森が鳴り響き、
こだまが走る!
中心から馬のように
遠ざかり消えて行くこだまたち。

樹液は
涙のように涌き出る、まるで
緑の草に おかされた
白い頭蓋のような岩が
ころがり落ちた後で

すぐに水鏡を作り直そうと
あわただしい努力を重ねる
泉のように。
幾年も経った後、
わたしはそのこだまたちと路上で出会う―

干からびて、乗り手もいない言葉たちなのに、
疲れを知らないそのひづめの音。
一方では
深淵の底から、動かぬ恒星たちが
人生を支配する。

「言葉たち」

私はこれを読んで、詩人エミリ・ディキンソン(1830-1886)の傑作といわれる「馬車」(712番)をおもい出した。このふたつの詩には、どこか似たところがある。

そしてまた、プラスの他の詩にもエミリ・ディキンソンとの共通点を感じたときが何度かあった。(特に「十月のひなげし」や「打ち傷」。)

二人とも出生地や人生を過ごした地域が同じだ。(米国マサチューセッツ州。)その風土や文化様式も関係しているのだろうか。…

「言葉たち」は、短詩だが、内容は不吉なところもある。イメージが幾重にも折り込まれ、物象が象徴化され、時間軸も越えていく。
(「幾年も経った後、
わたしはそのこだまたちと路上で出会う―」)
一面的な解釈を許さぬ、厳しい詩だと思う。

最後に指摘してみたいのは、「馬」である。これは同様に後期作の「霧中の羊」でもあらわれる。彼女は「馬の蹄の音」に何かを聞き出しているのだ。それは「悲しげな鐘」という比喩を ともなっている。

プラスの詩は時期によって詩風にかなり幅がある。私は、なぜか彼女の晩年作ばかりに惹かれた。読む人によっては基準が変わるかもしれない。…

先に掲げた五編の、特に「霧中の羊」や、やはり「言葉たち」、また「アエリアル」などの詩は、暗い。そして、美しい。風景は暗く青く澄み、また言葉自体に香気を感じたし、独特で硬質な詩表現のなかにひとつの心象が描かれていると感じた。

(今回、プラスの「言葉たち」以外の詩やエミリ・ディキンソンの712番についても、具体的に引用しながら取り上げてみたかったのですが、すでにかなり長文になっており、割愛いたしました。)