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散りゆく何か。

今年の桜は父が見たがっていた桜だった。

まだ意識があり聞き取れる言葉を話していた時、父は病床で言った。

「来年の桜も見たいなあ」と。

僕は仕事がら海外の人と話す機会がある。この時期になると定型句のように日本は今サクラの季節なんだと説明する。

すると海外の人も「そうそう日本はサクラの季節だな」と言う。たぶん色んな日本人から聞き慣れているのだろう。

この時期にアメリカに出張したことがある。国土が広いせいなのか、とにかく至るところに桜が植えられていて、至るところで咲いていた。

海外の人が思う日本のサクラシーズンと、僕たちが言う桜の季節には大きな隔たりがある、と僕は思う。

日本人の桜という言葉には、出会いと別れ、始まりと終わり、生と死、宗教、死生観、あらゆるものが内包されているから。

父が来年の桜を見たいと言ったとき、それはもう一年生きていたい、孫の成長が見たい、色んな想いがあっただろうと思う。

父があまり上手に話せなくなり転院をしたのは、ちょうど去年の今頃だった。

転院先の病院に着いたとき、最後の別れになるかもしれないから家族や孫、全員が集まった。病院の入口付近で、皆に見守られながら救急車のベットから病院のベットに移された。そして本当にそれが最後の別れになった。

あのとき、父を見ながら奥で小さな桜が咲いているのが見えた。

あそこに桜があるよ
来年も見れるように生きつづけて

そう言えばよかった。

父が見たかった桜が散り始めている。

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