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ジュプ・エ・ポァンタロン (6)坂の途中のお店

 ゆっくりと食事を終えてからお店を出て、踏切の向こう側へ行ってみることにした。
 駅の近くにあるその踏切はすぐには開かなかった。到着する電車が通り過ぎたら、次は逆方向の出発する電車を待たなければならなかった。その電車が通り過ぎると反対方向の電車がまた駅に入ってくる。後でわかったことなのだが、特急が停まる駅で、特急のすぐ後に各駅停車がやってくるために、反対側の発車タイミングもあって両方向の合計三本の電車を待たなければならないらしい。朝夕の混雑する時間帯だと、逆方向も特急、各停の順番でやってきて両方向合計四本を待つことになる。踏切が開いた短いタイミングを逃すと次の三本か四本を待たなければならないから、さらに時間がかかってしまうのだ。

 踏切の反対側も手前側と同じようににぎやかなのかと想像していたが、踏み切りによる分断の影響は大きいようで、落ち着いたお店が連なっていた。高級そうなチョコレート専門店の隣には小さなお花屋さんがあり、少し離れたところには高級そうな焼肉店があった。
 これらのお店に今日は用事はなかった。商店街を通り過ぎると閑静な住宅街になった。一本の路地を選んで横にそれてみることにした。その判断が正解であることがすぐにわかった。曲がり角の先の方に淡い緑色の看板のお店が目に入った。食事をするお店ではない。衣料品店だ。上り坂になっている路地の途中にあるそのお店まで歩く。お店のウィンドウから見えるマネキンに着せられた洋服、ブラウスやジャケット、スカートが緑で統一されていた。お店の壁も薄い緑に塗られていて、商品との統一が取られていた。すぐにでもそのお店に入りたかったが、いまの孝子に洋服を買えるだけのお金はない。海外では『ジャスト・ルッキング』という言葉がある。『見るだけなのですが、いいですか?』という意味だそうで、店員さんに声をかけられた時に応える言葉だ。日本でお店に入って店員さんに声をかけられた時にそう答えられる人はどのくらいいるだろうか。お店に入るという意味合いが海外とは違うのだろう。見るだけでもお店に入っていい日本と、買いたいというしっかりとした意欲があってお店に入ることが多い海外の違いが現れた言葉かもしれない。まだ、お店には入らずに辺りを見てまわることにした。お店の前を通り過ぎた。

 その先も上り坂ではあるがまっすぐな道路の両側一帯が高級そうな住宅街だった。
 この道路の先に別のお店は無いだろうかと前方のかなり先まで注意しながら歩いたが、それが無駄であることが程なくわかってきた。住宅がずっと続いている。そして数分もしないうちにさっきのお店が気になってしまった。戻ることにした。ドアの前に立った。一度深呼吸した。ドアを押して中に入った
「いらっしゃいませ」
 息が止まるようだった。想像以上の部屋だった。外から見えるものだけではなく、他の衣類もほとんどグリーンだった。
 出てきた店員さんは孝子が入ってきたのをみて、不思議そうな顔をした。孝子にはそれがどういう意味か最初はわからなかった。もしかすると、このお店のお客では無いと見抜かれているのではと感じた。
「どのようなものをお探しですか?」
 答えに躊躇した。

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