見出し画像

ジュプ・エ・ポァンタロン (3)二駅先の喫茶店

 お店から出てきた三人は駅に向かって歩いていた。
 後から来た女性は
「あの幹事の三人組、レストランで食事会って言ってたわよね。私たちをだましたんじゃない。初めから居酒屋に連れてくるつもりだったのかもしれないわよ」
 男の子が
「んー。そうかもね。何か隠しながら進めようとしているようだったから」
 孝子は
「うん。最初に居酒屋で飲み会って言われたら、来なかったわよ。私はお酒は飲めないって話したら、飲めないんだったらウーロン茶があるよって開き直るんだから。やっぱり怪しいわよね」
「とりあえず、ここは離れない。こんな場所に長居はしたくないわ」
「ええ。でも、どこに行く?」
「二つ先の駅に、最近見つけた喫茶店があるの。パスタかサンドイッチはあると思うからお腹の足しにはなると思うんだけど」
 孝子と男の子は「うん」とうなずいて女性についていくことにした。

 二つ先のその駅は少し小高いところにあった。駅から鉄道と交差する道を歩くとすぐに下り坂になる。女性は坂には向かわず、線路に沿った道路を歩いた。孝子と男の子はそのあとをついていった。数分すると喫茶店があった。周りを植物で飾り付けたしゃれた喫茶店で、屋根の上から高い木のてっぺんがのぞいている。女性がドアを開けて中に入った。
「こんにちは。今日はお友だちを連れてきたのですが、おじゃましていいですか?」
「あら、いつもは一人なのに。いいわよ。好きなところに座って」
「テラス席を使わせてもらってもいいですか」
「いいわよ。今日は他にだれもいないから自由に使って」

 女性はテーブル席の間を通り抜け、入り口とは反対側のテラス席に歩いていった。ドアを開けると孝子と男の子はハッと息をのんだ。そのお店はほとんど崖の上にあって、テラス席の前がひらけていた。崖下から少し離れて横方向に川が流れていた。そこから先にミニチュアのパノラマのように住宅が広がって、ところどころに高層マンションが建っていた。真っ赤になった太陽が遠くの山々の陰に隠れようとしていた。
 夕焼けのピークは太陽全体が見えなくなる日の入りではなく、それよりも前、まだ太陽が全部見えている時で、そこから少しずつ暗くなっていく。でも太陽がすべて隠れた瞬間に真っ暗になるわけではなく明るさが残り、上空の高いところにうっすらと雲があれば太陽の赤い光線がその雲に映し出され空全体が真っ赤に映えることもある。一瞬、明るさが増したように感じる。この日はそんな日だった。時間が経つとパノラマには次第に明かりが灯され、その点々が集合体に見えてくるとやっと夜に変わったのだとわかってくる。夕焼けをじっと見ている人たちは頭のなかで夜になることを拒んでいる。もう一度、空が赤くならないかと期待する。でも、さっきのように空に明るさが戻ることはない。

 三人はテラス席に座って空の様子をじっと見ていた。我に返る瞬間がある。お店の女主人はそのタイミングを見計らって声をかけた。
「メニューをごらんになりますか?」
 女性は
「すいません。何も注文せずに。ずっと夕焼けを見てしまいました」
「いいのよ。カズちゃん。私もこの景色が好きでここにお店を作ったのだから」
 女主人はメニューを孝子と男の子にも渡して
「うちはパスタやピッツァ、サンドイッチだけど、何か食べたいものがあれば、できるかどうかおとうさんに聞いてみるけど」
 孝子が
「私、イタリアンが好きなので…。このホワイトシチューのスパゲティっておいしそうですよね。これをお願いします」
 男の子は
「僕はピッツァにしていいですか? このトマトソースのピッツァをお願いします」
 女主人は
「うちのピッツァはナポリ風の柔らかいピッツァではなくて、パリパリのローマ風なんだけどいいかしら?」
「へぇー。ピッツァにもいろいろあるんですね。そのローマ風を食べてみたいのでお願いします」
 カズちゃんと言われた女性は
「私はナポリタンをお願いします」
「いつものよね。いいわよ。飲み物はどうしましょう。みんな、カズちゃんと同じ新入生? お酒よりもジュースがいいかしら」
「はい」
「それじゃ。アルコール抜きのカクテルなんてどうかしら。初めて来てくれたからお店からごちそうするわ。何にするかは私たちにまかせて」
 カズは
「おかあさん。ごめんなさいね。気を使ってもらって」
「いいのよ。待っててね」
 三人きりになったところで孝子が
「あなた、カズっていうの? 自己紹介が遅れたけど私はタカコといいます。古臭い名前でしょ」
「そんなことないわよ。私はカズエです。ここではカズちゃんって呼ばれているけど…。よろしくね」
「あっ。僕はショウといいます。翔ぶと書いてショウと呼びます」
「それで、カズちゃん。あなた、おかあさんって言ってたけど、本当のおかあさん?」
「ううん。親しくしてもらっているからそう呼んでいるの。ちょっとしたことで相談に乗ってもらってから」
「ふーん。でも、あなたも地方から出てきたの? 馴染みのお店があるなんて、もう東京の人みたいよね。うらやましいわ」
「大学を決めたのが早かったから。二月にはお父さんと一緒に上京して部屋を決めていたの。早く東京の生活に慣れたほうがいいって親に言われて。うちの親って変でしょ。普通だったらできるだけ引き留めておこうとすると思うんだけど」
「そうだったんだ」
「すぐに引っ越してきて。自炊ばっかりというのもつまらないから、二、三日に一度は外食することに決めてお料理屋さんを探すうちに、このお店を見つけたの」
「へぇ。いいわね。それで部屋はこのあたりなの?」
「うん。ここからすぐ近くに見えるんだけど、坂を下ってすぐのマンション。駅から帰るのにバス通りではなく寄り道した時、この喫茶店に偶然出会ったの。景色がよかったんで、実は見つけてすぐは自炊はサボって毎日のようにここに通って夕陽を見てたの。そうすると大変なことも忘れてしまうから」
「よかったわよね。この喫茶店、場所もいいし、お店の人もいい人そうだし」
「そうなの。それで何とか頑張れるんじゃないかと勇気づけられたんだ」
「私は全く逆ね。ギリギリまで実家にいたものだから、落ち着いたのはほんの数日前。時間がかかっちゃったんだ」
「それで、もう部屋の準備とかは終わったの?」
「何とか生活できる状態になったけど…」
 ちょっとだまってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?