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ジュプ・エ・ポァンタロン (9)店長とのおしゃべり

 マダムを送った店長と孝子はお店の中に戻った。店長は孝子をテーブル席に座らせてからキッチンに戻り、コーヒーを二つ作って持ってきて自分も席に着いた。コーヒーはさっきのカフェ・ラ・テよりも濃い目でしっかりとした香りがあった。
「ありがとう。お留守番してもらって」
「いえ。何もできませんでした」
「そんなことはないわよ。マダムはあのジャケットを気に入ってたみたいよ」
「常連さんですよね」
「ええ。よく来てもらってるの」
「うまく接客できませんでした。やはり、私には無理ですよね」
「そんなことないわよ。ところで、あなた学生さん?」
「ええ、四月から大学に入る予定なんですが、悩んでいるんです」
 孝子は大学のガイダンスのことやその後でだまされて居酒屋に行ったこと、すぐに飛び出して二人のクラスメートと喫茶店に行ったことを正直に話した。
「それで、このお店で働きたいと思ったのはどうしてなの?」
「お洋服に興味があったんです。何をしたい…とかはまだはっきりとした希望はないのですが、何かできるのではと思って…」
「高校生の頃からファッションとかアパレルとかに興味があったの?」
「何となく、漠然と。趣味でデッサンとか描いてみたり…」
「そうなんだ。すごいわね、デッサンするなんて。そのデッサンのノートを今でも持ってるの?」
「ええ。私にとって大切なものですから、東京に出てくる時に一緒に持ってきました」
「見てみたいわ」
「ちょっと、はずかしいですけど」
「いいわよ。明日も来てみる。持ってらっしゃい」
「また来ていいんですか。それじゃ、持ってきます」
「でも、もう学校は始まるんでしょ?」
「ガイダンスはお休みすることにしたんです」
「あら、そう」
「それでクラスメートの二人と明後日、また会うことになっているんです。その時にガイダンスの様子を教えてもらって、その後どうするかを考えることにしています」
「やっぱり、大学を休ませてまで働かせることはできないわ。あなたが大学を辞めてこのお店で働くという気持ちだとすると、逆に雇うことはできないわよ」
「そうですか…」
「大学でしっかり授業を受けることは考えていないの?」
「…」
「そのうえで、ここにも来てもらえるのであれば、考えてもいいわよ」
「そうですか」
 孝子はしばらく考えて、
「それでは、そうします。しばらく、大学で講義を受けてみます」
「そうしなさい。であれば、クラスメートの二人も一度連れてらっしゃい。どんな人たちなのか会ってみたい。居酒屋から脱出してきた仲間だから、悪い人たちではないように思えるけど」
「はい」
 二人の話しは孝子のことからお店の商品に変わっていった。孝子はさっき店番をしていた時の疑問を聞いてみた。
「飾ってあるスカートの中にミニやマキシが無いのですが、作っていないのですか?」
「あら、あるわよ。飾ってないだけ。ちょっと待ってて」
 店長は奥からビニール袋を二つ持ってきた。
「立ってみてくれる」
 孝子を立たせて、一つの袋をやぶって中から濃いグリーンのマキシを取り出し孝子の腰に合わせてみた。
「んー。どうかしら」
 もう一つの袋もやぶって淡いグリーンのミニを出して、合わせてみた。
「やはり、こっちよね。試してみる?」
と奥のフィッティングルームに孝子を連れていった。
 出てきた孝子を見て
「似合うわよ。お店の宣伝を兼ねて使ってみない」
「いいんですか?」
「まだ、ミニは肌寒いかな?」
 店長はまた奥に行って、ストッキングを持ってきた。
「これを穿いていけばいいわ」
「いいんですか?」
「いいわよ。ミニとマキシを飾っていないのは、このお店のお客さんが選ぶことがほとんどいないからなの。一通り用意してあるのだけど」
「若い女性の中には選ぶ人もいると思うのですが」
「そこが問題なの。お店が住宅街の中にあるでしょ。お客様はこのあたりに住んでいるお母様世代の人たちが多いのよ。他には昔からのお客様で引っ越してしまった人が思い出して顔をだしてくれることもあるけど…。どちらにしても年齢層は高いわよね」
「そうなんですね」
「この場所だとあなたのような若い人はほとんど来ないでしょ。めずらしいのよ、あなたみたいにここまで来て働きたいっていう人は…」
「そうなんですね」
 孝子は、店長の話しの聞き役になっていた。でも、あいづちのバリエーションは、若い孝子にたくさんは無かった。
「でもね。さっきのマダム。夏にはミニを着てくることもあるのよ。その時は、うちのデザインではないわね。もっと派手やかなものを選んでくるわ。マダムによると、海外ではおばあさんもミニを穿くわよって」
「そうなんですね」
 
 コーヒーを飲み終わった。孝子は明日もここに来ると約束して帰宅することにした。

 

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