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ジュプ・エ・ポァンタロン (10)お店でアフタヌーンティー

 孝子は部屋に着いて、実家から送った引っ越しの段ボール箱の一つを引っ張り出し、ガムテープをはがした。実家の自分の部屋で本棚に並べていた本やノートのうち、まだ手放せないものを詰めた段ボール箱だった。中にある本を全部取り出して、箱の底にしのばせておいたA4のノートを大事そうに手に取った。一ページ一ページめくってみた。そこにはデッサン画が描かれていた。高校生の頃に興味のあるものを描いていたものだ。探していたのはこのノートである。カバンの中に入れた。
 
 翌日、店長との約束の時間は午後だった。午前中はまだ時間があった。
 自分の部屋には机がある。実家から持ってきてもよかったのだが、新しい部屋は狭いので小さい机を東京で探した。その隣にはやはり、東京で探した本棚がある。こちらも狭い部屋に合わせて、これまで実家で使っていたものより幅が狭いものになっていた。前日に広げてしまった本を本棚に並べていった。その他にも実家から送ったものはたくさんあったので、全部箱から取り出して必要なものを必要な場所に置いていった。午前中はその作業で時間を取ってしまった。作業に集中しすぎて気がついたのはお昼過ぎだった。
『いけない。遅れそう』
 カバンを取って急いで部屋を出た。

 坂の途中にあるお店には一時間もかからずに到着した。だけど、昨日とは雰囲気がちがう。ウィンドウから見えていたはずのマネキン人形はそこにはなかった。入り口のドアには手書きで「臨時休業」と書かれた紙が貼ってあった。
『何かあったのかしら? もしかして、私のためにお休みにしたの?』
 そうだとしたら申し訳ない。たった一人のバイトを雇うかどうかを決めるのにお店を休みにするなんて。
「こんにちわー」
 孝子は小さな声であいさつしながら、ドアをゆっくり開けて中に入った。
「あーら、いらっしゃい。待ってたわよ。中に入って」
 部屋の中の床に静かに両足を置くと、ふりむいてドアをゆっくりと閉めた。
 部屋の雰囲気が昨日とは違っていた。
 テーブルがレジ側から中央に移動しており、その周りに椅子が四脚用意されていた。洋服は壁側に寄せられ、テーブルの周りを囲むように、それでも少し距離をおいて配置されていた。孝子が気が付いたのは、昨日店長に聞いてみたミニ丈とマキシ丈のスカートも飾られていることだった。
「あのー。今日はお休みにしたんですか。それって、私の採用試験のためではないですよね?」
「んー。半分はあなたのためかな? でも気にしないで。私たち、たまーに、このお店でアフタヌーンティーを楽しむことにしているの」
「はー。そうですか」
 店長は事務スペースで忙しそうにしている。
「何か手伝いましょうか?」
「いいのよ。今日はあなたはゆっくりしていて」
と話しながら店長が出てきた。テーブルに向けていた四つの椅子を同じ方向に、窓側に向けて位置を直した。壁側に掛けた洋服の大半を眺められる方向だった。ジャケットにスカート、パンツもあったが、壁のところどころが地のままになっていた。
『素敵なお洋服がたくさんあるから、私だったら壁全部を埋めてしまうのに』

「あなたはここに座って」
 孝子は中央の左側の椅子に座らされた。
 その時、ドアが開いておばあさんが入ってきた。小っちゃくて細いのだが、きびきびと軽快に動き回るようなそんな雰囲気のおばあさんだった。
「店長さん。持ってきたわよ」
と腕にかけていたビニール袋を店長に渡すと
「あなたがタカコさん? 店長から聞いてるわよ。今日はゆっくりとお茶でも楽しみましょう」
と話しかけ、すぐに奥の事務スペースに入っていった。孝子はあいさつするタイミングを失ってしまった。
 店長はおばあさんから受け取ったビニール袋を破ってそこから洋服を取り出した。ジャケットとスカート、それにパンツだった。孝子が気がついていた壁の空いたところに掛けていった。ちょっと雰囲気の違うデザインだ。まわりに掛けられたのと同じグリーンの生地だが、花の模様がうっすらと入っている。染めたり塗ったりしたのではなく、押した模様のように見えた。
「これは新作なの。こうして比べてみて、お茶を飲みながらあーだ、こーだってお話しするのよ。あなたも何か気がついたら遠慮せずに言ってね」
 おばあさんがティーカップを三客、お盆に乗せて持ってきた。それを孝子の前とその両脇に置いた。
「あなたは、紅茶にミルク派、レモン派、それともストレートかしら。置いておくから自由にいれてね」
と言いながらミルクピッチャーとスライスしたレモンの乗った小さなお皿をテーブルの真ん中に置いた。
 お盆を奥のキッチンに仕舞ってから戻ってきて、孝子の左隣に座ると
「私はこのお店では裁縫を担当しているの。よろしくね」
「ここのお洋服を全部作ったんですか?」
「最初から最後までは無理。何人かに手伝ってもらっているのだけど、最終的に私が見て納品しているの」
「その方たちは今、作業されているんですか?」
「場所がバラバラなの。以前はこの近くに作業場があって集まってお洋服を作っていたのだけど、お店もここ一つになって作る数が少なくなったものだから、辞めちゃう人もいて。作業場もさびしくなってしまったので今ではそれぞれの自宅で縫うようにしたのよ」
「そうだったんですね。あのー、すいません。紹介が遅れて。私、孝子といいます。何とお呼びすればいいですか?」
「店長には『裁縫のお母さん』って呼ばれているから同じでいいわよ。でもおばあさんと孫ぐらいに年が離れているのにね」
「若いおばあちゃんと年のいった孫というくらいかな。それほど年齢に差があるとは思わないんだけど。どちらかというと年の離れた親子みたいだから『お母さん』って呼んでいるのだけど」
と説明を加えた店長は孝子の右隣に座った。
「ちょっと、休憩。孝子さんはお昼を食べてきたの?」
 すっかり忘れていた。部屋の片づけに一生懸命になって気がついたらお昼だったから慌てて部屋を飛び出してきたんだった。
「いえ。実はまだなんです」
「店長さん。私もお昼は抜いてきたわよ。今日のアフタヌーンティーを楽しみにしてきたから」
「それじゃ。サンドイッチも出しましょうね」
 店長はまた立ち上がり、奥から幅広のお皿と中くらいのお皿を持ってきた。
 幅広のお皿には小さなケーキが四種類、それが四つずつ並べられていた。中くらいのお皿にはミニサイズのたまごときゅうりのサンドイッチが乗っていた。
「このケーキはね、朝早く電車に乗って買ってきたのよ。昔からあるケーキ屋さんで行列ができる前に行ってきたの」
 裁縫のお母さんは
「私はここのバタークリームのケーキが好き。このプティサイズは最近始めたのかしら。私が買い物係の時は無かったような気がする。以前は普通サイズをアフタヌーンティー用に自分たちでカットしていたんじゃない」
「そうでしたね。このプティサイズが便利で。何種類も食べたいのに普通サイズだとすぐお腹いっぱいになりますからね」
「へぇー。私もそのお店に行ってみたい」
「それであれば、ここに来る日に早めに家をでて寄ってくるといいわよ。帰りだと混んでるかもしれないし、ケーキが残っていないかもしれないから」
「わかりました。でも、それって、私、採用なんですか?」
「ええ。いいわよ。大学にしっかり通うことが条件ですけどね」
「ありがとうございます。大学とこのお店と両方がんばります」

 孝子と裁縫のお母さんはサンドイッチに手を伸ばした。店長はプティサイズのショートケーキを自分の皿に取り、フォークで半分にしてその一つを口にした。孝子は紅茶をそのまま飲んでみた。アールグレイのおいしい紅茶だった。裁縫のお母さんはミルクをいれ、店長はレモンを浮かべた。
「あのー。もう一つ椅子があるのですが、どなたかいらっしゃるのですか?」
「あなたの推薦者が来ることになってるの。もう少ししたら到着するんじゃないかな」
「私の推薦者。ですか?」
 店長は少しほほえんで、それ以上は話さなかった。

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