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団地の思い出

わかの(99年生まれ 神奈川県出身)

 宮古島は私にとって3つ目の故郷だ。
 一つ目は、生まれ故郷の神奈川県。二つ目は、幼稚園から小学校2年生まで過ごした栃木県。

 そして、私は、小学校3年生の時に母と猫と宮古島の端っこの小さな集落に移住した。一面サトウキビ畑が広がり、とても人が生活しているとは思えないような場所だった。

 私が住んでいた関東の景色とはかけ離れたその集落を目の当たりにし、ここで生きていけるのだろうかと正直不安になった。

 しかし、そこは今でも私の大好きな場所になっている。

 その集落には小学校が一つ、小さな売店が一つ、そしてその周りにいくつかの住宅があった。私たちはその集落で、一番高い建物である3階建ての団地に住んでいた。

 同じ小学校の同級生の家庭、たくさんの野良猫と暮らすおばあちゃん、物静かであまり話さないおばさんなど合計12世帯が暮らしていた。

 団地のみんなはとても親切で、すぐに私たちを受け入れてくれた。学校から帰ると、取れたであろう野菜がドアノブにかかっていることも日常だった。

 休日になると、朝起きてすぐ家を飛び出し同じ団地に住む友達のインターホンを鳴らした。

 「まーちゃん、あそぼー」

 兄弟がいない私にとって、すぐ近くに遊び相手がいることが何よりも嬉しかった。母が仕事から帰ってくるまで、ずっとまーちゃんの家で過ごしていた。
 まーちゃんの家は、宮古テレビと契約していて、ケーブルテレビを見ることができた。私はまーちゃんの家でディズニーチャンネルを見るのが好きだった。

 そして、日が暮れて涼しくなる頃、団地の大人たちは、敷地内の芝生にビニールシートをひき、飲み会を始めるのだ。飲み会は不定期に開かれていて、月に1回あったりなかったりする。

 普段はなかなか話さない住民も、その会には泡盛の一升瓶を持ってやってくる。

 大人たちが楽しそうに飲み会をしているかたわらで、私達子供もみんなで遊ぶ。定番はやっぱり鬼ごっこだ。お昼にやっても凄く楽しいあそびだけれど、夜の鬼ごっこのあのドキドキ感は今でも忘れられない。

 遊び疲れた私は、大人たちの元へ行き母の膝枕で横になりながら大人たちの会話を聞いていた。

 大人たちは団地にひとつしかない街灯のあかりに照らされながら、泡盛片手にそれぞれの家族の話、仕事の話などに花を咲かせていた。

 賑やかな話し声や、虫の声に囲まれ、広い広い空に浮かぶ星たちを見ながら、うとうととする時間が何よりも幸せだった。あの時、大きな流れ星を見たような気がするけど、夢だったのかもしれない。

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