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島くとぅばは時を越えて

新里千佳(95年生まれ 伊良部島出身)

 私は宮古島のさらに離島の伊良部島で生まれ育った。幼い頃、私は祖母が語る昔話が大好きだった。休日に祖父母の家を訪ねては家事をする祖母の手を止めさせ、昔話をしてくれとねだった。祖母はいつも島の方言で、島に伝わるさまざまな民話を語ってくれた。米寿祝いの由来、夜空に輝く北斗七星の物語、時には怖い島の伝説。どれも面白く、祖母が方言でユーモアたっぷりに語るものだから私はいつも話に夢中だった。だから私は祖母の話が大好きで、祖母の話に色を付けてくれる島の方言も大好きになった。

 小学2年生の頃、担任の先生から「郷土の民話大会」というものがあるが出てみないかと声をかけられた。昔話を子供達が「オール方言」で語り、内容や表現力を競うというものらしい。私は火がついた。出ないという選択肢はなく、祖母が語った民話でお気に入りの一話を引っ提げて舞台に立った。全て方言に訳された原稿を暗記し、大好きなおばーの真似をして調子良く語った記憶がある。楽しく発表できた満足感でその日は帰宅したが、後日「最優秀賞」の賞状が届いた。どうやら表彰式があったらしいが、無知な私はただ満足顔で帰宅していたのだった。

 大好きな民話を、大好きな島の言葉で語り、一番の賞がもらえた!嬉しくて嬉しくて、昔話や方言がもっと好きになった。大切に繋いでいきたい島の宝物だ。そんな私は、沖縄を離れ関東に移り住んで8年たった今も、島の友人たちに「チーカー本当に方言上手だねぇ」とよく言われる。「ナイチャー」になっても精神は変わらず「島んちゅ」さー。

 そして私は大学の文学部に進学し、日本文学を専攻して学んだ。日本文学とは切り離せない日本語学の講義を受けたとき、島の方言を思い出した。日本の文学作品に書かれている言葉は、現在私たちが使用している「日本語」とは少し違うもので、これらは「古語」や「大和言葉」と言われ、昔の日本で使われていた言葉である。大学で学ぶうちに、これらの言葉たちが大好きな島の方言の中にいまだに生き続けていると感じるようになった。

 例えば、「早朝」を表す方言は「すとぅむてぃ」、古語では「つとめて」。発音してみると似ていると感じる。また、アゴは方言で「うとぅがい」と言い、古語では「おとがひ」と言ったらしい。「おとがい」と入力して漢字変換すると「顎」になるが、現代の日本人で「アゴ」を「おとがい」という人はほぼいないだろう。さらに、方言で「鼻」は「パナ」、畑は「パイ(パリ)」と言い、島の方言には「パピプペポ」を使った言葉が多いのだ。大学の授業によると、昔の日本はハ行がなく、「パピプペポ」で発音していたというから驚きだ。きっと島の方言には、そのような古き日本の言語の血脈がいまだに流れ続けているのである。

 私たちの祖父母の世代は、オール方言で会話が出来る人もまだ多い。しかし親の世代になると、聞き取れるが話せないという人が増え、さらに私たちの世代になると単語の意味ですらあまり詳しくはないという現状である。だが、日本列島のはるか彼方にある私たちの故郷で、かつての日本の言語文化がまだ生き続けていることを忘れてはならない。日本人のほとんどが忘れてしまっている今だからこそ、私たちが受け継いでいくべき大切なものを見失ってはいけない。離島が多い沖縄は、その分、それぞれの島に残る言葉も多く、言語の宝で溢れていると私は思う。
 
 私がみる沖縄は、かけがえのない文化が生き続ける大切な場所だ。私たちの沖縄で、私たちの世代が守り続けていきたい。


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