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サンタクロースとの再会

西 由良(94年生まれ 那覇市首里出身)

 幼い頃、雨が降るとドライブへ出かけるのが、わが家のお決まりだった。晴れた日は、遠くの公園や海などへ連れて行ってもらえたが、雨が降ると大人たちはコーヒーを淹れ、家の中でゆっくりする。外で遊ぶのが好きだった私は、どこかへ行きたくてたまらず、家の中をウロウロしたり、机を傾けて滑り台にしたりした。そんな様子を見かねてか、両親は結局ドライブへ連れて行ってくれるのだった。目的地はいろいろあったけれど、私が一番好きだったのはプラザハウスだ。

 プラザハウスがオープンしたのは1954年。日本初のショッピングモールらしい。「特別な休日」という感じが好きだった。1950年代の「古き良きアメリカ」をイメージしてるんだとか。先日、沖縄に帰省したタイミングで数十年ぶりに行ってみると、雰囲気は昔のままだった。お店はあれこれ変わっていたけれど、なんだか懐かしい。落ち着いた雰囲気のセレクトショップや家具屋が立ち並び、おしゃれな映画館までできていた。

 両親に聞くと、子連れでよく来ていた理由は「ガヤガヤしてなくて、ゆったりできるから」。確かに。なんか、全体的に高級感があるもんなぁ。保育園生のころは、ディズニーのキャラクターグッズが並ぶお店で、アニメを見るのが好きだった。「くまのプーさん」とか「リトル・マーメイド」を食い入るようにみていた覚えがある。あと、ピエロも時々いたっけ。風船で作った剣や花、動物を子どもたちに渡してくれた。

 小学校低学年ぐらいまでは、雨の日の定番スポットだったが、高学年になると、友達と出かけることも多くなる。すると、自然と遊び場は家の近くにある那覇のメインプレイスか南風原ジャスコへと変化した。高校生にもなると、親とお出かけすることもほとんどなくなり、プラザハウスへは行かなくなっていた。

 プラザハウスのことなんてすっかり忘れた、高校3年生のころ。私は交換留学で1年間フィンランドにいた。8月ごろ、30℃近くある沖縄からフィンランドへ行くと18℃。そこはもう冬だった。いや、フィンランド人にとっては秋なんだろうが、私にとっては真冬だ。一人だけコートを着ていて、学校で変な目で見られたのを覚えている。私の身体は限界で、その年は5回も高熱を出して寝込んだ。

 沖縄にいる時はあんなに外に出たがりの私だったが、あまりの寒さから休日くらいはなるべく家の中にいたいと思う。そんな私の気も知らず、いつも、4歳のホストシスターと8歳のホストブラザーが私を外に連れ出した。子どもたちは、雨の日でも構わず外へ行きたがる。部屋でゆっくりしたいな思いながらも、「言葉も通じない、遊んでもくれない嫌なやつ」と思われたくなくて、誘われたら必ず遊びに付き合った。なんとなく、私が幼い頃の親の気持ちがわかったような気がした。
 しかも、ホストファザーとマザーもアウトドア派だった。森へハイキングへ行ったり、湖で泳いだり……。天気に関わらず外で体を動かすことが多く、「北欧人は自然に負けない、なんてタフな人たちなんだろう」と思っていた。ホストファミリー達と遊びながら、沖縄とは違う休日は自然の中で過ごすフィンランドの休日を楽しんでいた。

 フィンランドにもすっかり慣れ、空からふる雨が雪へと変わるころ。旅先である人と再会した。極寒の3月、フィンランドに留学にきていた高校生数十名で、修学旅行のようなイベントが行われた。目的地は、フィンランドの北部。ロヴァニエミという街にある「サンタクロース村」だ。ここから全世界へとサンタさんが飛び立つ、フィンランド有数の名所だった。
 村の入り口には、大きな雪だるまがそびえ立ち、私たちを見下ろす。その日の気温はマイナス20℃ぐらい。凍えながらサンタさんの家に入ると、じわじわと暖かくなり体が溶けるようだった。サンタさんの仕事場や、世界中の子ども達から手紙が届く郵便局をみて回った。そして、一番の楽しみ。サンタさんとお話する時間だ。ドイツの留学生にはドイツ語、フランスの留学生にはフランス語、タイの留学生にはタイ語で話していた。サンタはいろんな国の言葉が話せるらしい。

私は日本人の留学生達とグループになって挨拶した。すると、

「日本のどこ?」

と、出身地を聞かれた。

「沖縄って知ってますか?」
「知ってる、知ってる。行ったことあるよ。」

サンタ、日本語めちゃくちゃ流暢じゃん。

 私は感心しながら、プラザハウスでサンタさんに出会っていたことを思い出した。

 冬になると、プラザハウスにはサンタさんがやって来る。2階のフロアまで届く、大きなクリスマスツリーがロビーに飾られる。ツリーの隣にある椅子には、真っ白なひげのサンタさんが座っていて、子どもたちが来るのを待っていた。子どもたちを膝に乗せ、写真を撮ってくれるのだ。私も何度か撮ってもらったことがある。

 私の番が来てサンタさんに近づくと、目の青さにドキドキした。サンタさんに欲しいものをささやく。日本語分かるのかなと心配していると、私ににっこり微笑みかける。多分大丈夫だろう。サンタさんの身体からは甘ったるい香りがしていた。きっと外国の匂いだ、と思った。目の前にあるヒゲに手を伸ばすと、ふわふわしていて本物っぽい。本当は引っ張ってみたかったけれど、怒られそうで手を引っ込めた。

 あの時のサンタかもね。いや、そんなわけないかと思いつつ、そうだったらいいなと思った。フィンランドでのサンタさんとの再会が嬉しくもありつつ、ちょっとだけホームシックになった。

 サンタさんと撮った写真はどこにあるんだっけ。パソコンの中を探してみたが、写真はどこにもない。そういえば、あの時私はケチってお金を払わなかったので、サンタさんとの写真をもらえなかったのだ。撮っていれば沖縄のサンタとフィンランドのサンタを見比べることができたのになあ。

 プラザハウスでサンタさんにプレゼントをお願いしたあの年、私はちゃんとリクエスト通りのものをもらえたのだろうか。記憶はないが、きっと大丈夫だったはず。だって、サンタさんは日本語も喋れるんだから。


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