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ノースリッジ地震、阪神淡路そして東日本大震災を経て

1994年1月17日、午前4時30分ころ、
カリフォルニア州ロサンゼルスにいた私は、ベッドがトランポリンのように上下に揺れ立ち上がれない状態だった。
ドーンと突き上げるような揺れのために、アパートメントの最上階の部屋では、トイレの水道管から水は噴き上げタンクの蓋は天井まで浮き上がり、床に落ちて割れる音と、つなぎ部分から水が噴き出したことで、私の頭の中は真っ白になった。つぎの瞬間、隣の部屋の住民がドアを激しく叩き「Gas leak!!」と叫んだ。
その時、数週間前から細かい地震もあり懐中電灯ぐらいは買っておかないとと思いつつも、どこに行っても売り切れでタイミングも逃していた私は、十二分にわかりきっていると思っていた部屋の中を、思うように動けない。
コートの場所も、猫のいる場所も、靴の場所も半分パニックを起こして
わからないのだ。その時ほど、懐中電灯を買わなかったことを後悔したことはない。そして生まれて初めて、高速道路の橋桁が落ちた衝撃的な映像を目にしたが、まさかそれが翌年の日本で、しかも同日の1月17日に、起こるとは思いもしなかった。
朝目を覚まし、テレビをつけて驚愕した。
ノースリッジ地震で共に被災した相方が、兵庫の実家に戻っている最中だった。私は関東だったので、起きるまで全く知らずにいたが、後日話を聞くと
ロサンゼルスの時と同様に、前日濃霧だったと聞いた。その時から濃霧になると、妙に不安に襲われるのは30年近く経った今でも変わらない。
私自身は被災したわけではないが、しばらく連絡が取れずに安否確認に時間がかかって生きた心地がしなかったことは今でもよく覚えているし、大火災や橋桁やビルが崩れ落ちこの世の終わりのような映像に見えた。まさかその17年後に、この映像を遥かに上回る身の毛もよだつような津波映像を見ることになるとは・・・
2011年3月11日。鎌倉で仕事をしていると揺れが始まった。あまりに長く、この後に本揺れがくるのではないかと、つい弱気になった。
「もうだめかもしれない」と、ちょうど北海道に行っている彼にメールを送ったくらいだ。というのは、てっきり東京直下型地震が来たのかと思ったからだ。
スタッフの安全確認を済ませ、私は助けを求められた妹のところへ。
義兄の母を東京にいた義兄・大阪にいた姉の代わりに、姉の家へ移動させ、
海の目の前で仕事をしていた妹を自宅に送り届け、親たちに頼まれた買い物と猫を自宅に取りに出かけた。このあたりでも津波が10mという予測もあり、鎌倉では海の底が見えた場所もあったので、母には猫を取りに海側にある自宅に向かうなんてと激怒された。しかし、実家にじっとしていることもできず我が家に向かった。一晩実家で過ごし、こちらの地域の津波がないことを確認してようやく自宅に戻った。そこからは計画停電の準備という経験を経て今の防災対策が身についたので、書き留めておこうと思う。

1度目の地震での失敗は、懐中電灯も水のストックもなかったこと。
2度目の地震では、大地震が起きたら助けが来るまで3日ではすまないと知ったこと。
3度目の地震では、この世の地獄ともいうべき映像を見た時に、頭が思考停止になる人とそうでない人に分かれると知ったこと。これが震源地であったら、一瞬の判断ミスが生死をわけるのだなと確信した。
その後だいぶ経ってだが、土地にご縁があり海側から山側に引越しをしたのも、決して無意識ではない選択だったと思う。

これら経験から私の防災対策は変わり、まずは避難所に行く想定はしていない。なぜならば崖崩れも津波も心配なくさらに平屋であり、ペットを多く飼っていることから、家で待機しインフラの復活を待つことを想定にした。

①保存瓶を使って保存食(常温で3ヶ月保存可)を作り、常備する。
②水は、定期便で届くようにして常にストックを置く。
③七輪と木炭は、常に用意しておく。
④お風呂の水は、次に入るまで貯めて掃除をする。
⑤防災用保存食という概念は捨てて、お米や野菜の缶詰(トマトホールなど)は常に多めにストックして日常で使いまわす。
⑥卓上カセットボンベのストック。卓上コンロとカセットストーブの常備。
⑦極力車のガソリンは満タンにしておく。
⑧手巻き充電のラジオと懐中電灯と、電池式懐中電灯、各種電池ストック。
⑨雨水を貯めておく。
⑩ペットのご飯は、十分にストックしておく。
⑪防塵マスク、マスク、養生テープ、手袋そして簡易トイレのストック。

これだけは、必ずやっている。
コロナ以降は、消毒剤が不足した時のために、度数の高いウォッカを常備している。さらしも用意しておき、ケガなどへの準備は必要だと思う。
ここにきて、京都大学の名誉教授である日本の地球科学者、鎌田浩毅氏の話を聞く機会が多く、2030年から2040年のあたりで南海トラフ地震が来ると言う。それに誘発された富士山の噴火。いつ来てもおかしくないと言われる東京直下型地震。我々は東日本大震災の余震と共に、これから先も災害を抱えながら生きていく。鎌田さんは正しく恐れ、減災に繋げていく認知が必要だと訴えておられた。

そして、必ず家にいるとは限らないので、出かけるときは飲み物とチョコレートだけは持ち歩く習慣もついた。集合場所は安全な自宅。家族にとどまらず、友人、親戚を受け入れられるだけの準備ができるようにと心がけている。来ないに越したことはないが、来ても踏ん張れるようにはしておくのがこれからの防災への意識だと思う。
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