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10日間費やした、思い出の出産祝い
甥っ子に子どもが生まれた。
私にとって、唯一の存在である。
姉には一人しか子供はおらず、私は子なし。妹は結婚もしていない。
そんなたった一人の甥っ子が、結婚し子供が出来た。
嬉しい限りである。
甥っ子は、わずか2歳くらいから海洋生物が大好きで、図鑑のカタカナが読みたいばかりに3歳には、カタカナをすべて覚えたという子どもだった。
何度も何度も水族館に連れても行った。
サメが大好きでサメの絵ばかりを
愛情と屈辱と、そして成長へ。
私が父の会社に入って、21年になる。
地元の零細企業である。
若き自分は何かしら、愛する父の仕事をサポートできればと思ったゆえの結論だ。案外軽くも考えていた。
「社員で」という約束で入ったが、なぜか半年以上他のスタッフとは別で、月額15万の固定として働いた。しかもそれは税引き前の話なので、アルバイトの最低賃金並みの給料またはそれ以下という話だ。たぶん古参の正社員に対するケジメというか、親族に甘いと
生ごみが地球を救う?
今、さまざまな脅威が日々情報として飛び交い、不安や心配の種は尽きない。食糧危機ついても、耳にすることは多いだろう。人間は常に、何かに怯え未来を悲観し、シミュレーションし目標を掲げる。それでも結果をもたらすことができないまま、経済を優先させていくしかない社会。
この2年ほど、世界が激変し混乱する中で、価値観に変化をもたらした人も多いだろう。私自身も例外ではない。漠然とした不安の中、これからの生き方
ノースリッジ地震、阪神淡路そして東日本大震災を経て
1994年1月17日、午前4時30分ころ、
カリフォルニア州ロサンゼルスにいた私は、ベッドがトランポリンのように上下に揺れ立ち上がれない状態だった。
ドーンと突き上げるような揺れのために、アパートメントの最上階の部屋では、トイレの水道管から水は噴き上げタンクの蓋は天井まで浮き上がり、床に落ちて割れる音と、つなぎ部分から水が噴き出したことで、私の頭の中は真っ白になった。つぎの瞬間、隣の部屋の住民がド
時には、鳥が羽を休めるように
人も休む必要がある時期がある。
ひだまりで充電したから、
また頑張れる時がやってくる。
私もそうだったように。
雨が続いたあとは、こうして我が家のデッキに
羽を広げて身体を温めにキジバトがくるのです。
散々暴れ回ったあと。
なんか、ふたりで寝っ転がって会話してる。 #ネコといぬのいる暮らし
次なるステップに向かう途中は、必ず混沌としした日々を過ごしてモチベーションに陰りも。自分の向かう先が見つからず、気力も底辺まで落ちてもう限界というところまできたら、ふとした瞬間に、出会える何かがある。そうやってこれまでもステップアップしてきた。苦しくても信じて待つしかない。
「こうあるべき」はやめようよ
「こうあるべき」という考え方は、属性と大きく関係があるように最近感じている。
子どものころ、実に個性的な子どもだった。でも、どこかで色を消さなければいけないという空気に気づいた。家庭というよりも学校の影響がとてつもなく大きかったと思う。中学生になると、生きづらさや自己否定などから世の中に対して、斜に構えるようになっていた。自分の色を出さないようにしているのに目につくことが多かったのか、すぐに目を
人間からは駆除対象とかいわれて、嫌われ気味なネズミさんにも、生きる意味や役割があるんだよね。人間以外の生き物も住む地球だから、やっぱり共存できる道を探りたい。我が家の庭に現れるネズミさん。大好きな写真