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プロジェクト制御論

 プロジェクトという営みにおいて、それを始めた時点では、課題も目標も、要件も過程も、手段も仕様も、あらゆることが想定であり、仮説である。いつまでに、とか、いくらぐらいで、といった制約条件もまた絶対ではあり得ない。

 いざ現実に取っ組み合って、事実に触れることで、徐々に真実が姿をあらわす。それが大きければ大きいほど、全貌を見渡すまでには時間がかかる。アプローチがうまくないと、目の当たりにすることは叶わない。
 プロジェクトとは、実に、人智を超えた取り組みなのである。

 ヒントは勝利条件にある。絶対的に不可視である全体像に漸近するための唯一の手掛かり。

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 現実そのものと、現実を表現するための言葉がある。それらの間には、誤差があり、タイムラグがある。
 言葉は認識に影響し、変化した認識が現実に影響する。

 言葉と現実、計画と仕様、目標と制約。こうしたものたち同士の関係性を、回路図のように表現できたら、「プロジェクト制御論」がおそらく成立する。

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 それはそれで大変に意義のあるテーマだが、今日のところは実践的な知見をもとに、その結果をパターンとして素描してみる。

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 類似した事例の多い取り組みは、クラシック音楽に似ている。正しい楽譜があり、そのポテンシャルを最大限に引き出すための演奏がある。それを可能にするための練習があり、指揮者がいて、舞台があり、観客がいる。
 事例の少ない取り組みは、ジャズに似ている。まずあるのは、テーマである。繰り返し繰り返し奏でられるフレーズ。それを奏でるプレーヤーは入れ替わり立ち替わる。しかもそれは、単純な繰り返しではない。即興的に装飾されたり、ときに変調、変拍子も辞さない。

 ブルースの世界は一番平和である。予定調和としてのコード進行が、確固たる世界観としてすでに与えられている。そこで演じられるアドリブは、一回性のものであるが、同時に歴史の再演でもあり続ける。
 もっともプロジェクトらしいプロジェクトとは、パンクに似ているのかもしれない。衝動以外に何ものも必要としない、衝動以外のものがあってはならない。必要なタイミングで、必要な叫びが決まるかどうか。

 例えば以上のようにプロジェクトを分類してみたときに、2本の軸が見えてくる。筋書か即興か。主張か合意か。
 プロジェクト、という言葉で十把一絡げにするよりは、こうして分類したほうが、断然、見通しは良くなる。これらの種別ごとに、勝利条件の根本的な成り立ちも見つけ方も、全然異なるのだろうということも、直観される。

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