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【年齢のうた】夏木マリ●人生を綴った「60blues」


東京ドームはわが家からまあまあの距離にあるのですが、ここのところはブルーノ・マーズがライヴをやっていてですね。おかげで自分的にはブルーノ騒動が起こりました(詳細は秘す)。
ブルーノはそのドームで全7公演が完売。うむ、初来日ストーンズの10回に迫る勢い。

森高は、ここでは「17才」のカバーのことをちょっと取り上げましたね。

この後の東京ドームはビリー・ジョエル、エド・シーラン、2月に入るとテイラー・スウィフトにクイーン+アダム・ランバート……と洋楽のビッグネーム公演が目白押し。いちおう僕は過去にこのすべての方々のライヴを観ていますが、しかし今回は他の都市に行かないアーティストが多いのがちょっとね~。元気な方はどうか出向いてください。

このうち、自分はビリー・ジョエルにひとかたならぬ思いを抱いております。数えてみたらコンサートは30年以上前に観たきりですが、この数年、彼への気持ちが高まっておりまして。現在、ビリーを探究中です。最近はコンディションを保つためか、ライヴとライヴのインターバルをだいぶ空けて臨んでいる様子。だから日本公演は1日だけか。
ただ、今の自分は、周囲にビリーのファンがいないんです。高校時代はビリー好きの友達がけっこういたのにな……LPレコードの『ナイロン・カーテン』を石川くんから借りたり、逆に『イノセント・マン』を何人かに貸した覚えがある。

この曲を演奏する可能性は高くなさそうだけど。
ビリーのことは、また書きます。


今回は、夏木マリの曲について書きます。
歌の名は、「60blues」。

インタビューの席で素敵だった夏木マリ


役者であり、シンガーでもある夏木マリとは、一度だけ話をしたことがある。1998年、アルバム『13シャンソンズ』をリリースする際に、インタビュー取材をすることができたのだ。媒体は、渋谷系アーティストをたくさん載せていた雑誌『モア・ベター』だった。

シンガーとしての彼女は、それよりずっと以前に「絹の靴下」などのヒットでも知られていたが、

90年代にはピチカート・ファイヴの小西康陽によるプロデュースで、歌手としての新しい像を築いていた。インタビューした時点の作品『13シャンソンズ』もその流れにあるもの。俳優として非常に魅力的な夏木マリという存在が、歌を唄うことによってさらに輝いている。

その取材場所は、渋谷のタワーレコードの地下だった。今はライヴができるスペースになっているが、その頃はカフェとして改装されたところだった。

やがて、テーブルで待っていた僕の目の前に、夏木マリが現れた。静かに、しかし颯爽と。めちゃめちゃカッコ良かった。じつにクールな、凛としたたたずまい、艶やかな美貌。落ち着きはらった、あまりにも大人な立ち居振る舞い。
静かに座る彼女を前に、僕は緊張することなく、安心した心持でいた。というのは、事前にさまざまな方面から夏木マリはどういう人なのかという話を聞いていたからだ。いくつかの情報を合わせると、彼女は一般的なイメージよりずっといい人で、とても優しい方だとのこと。そうした内容の記事を見たこともあった。おかげで、自分が子供の頃からドラマや映画で観ていたような迫力あるキャラクターと本人の人柄とはまた別なのだなと思いながら、取材に臨んでいたのだ。
いや、べつに自分は、俳優もアーティストも音楽家も歌手も、性格がいい人こそ素晴らしいなんて格別思っていない(むしろ面倒くさい人格のアーティストが興味深い作品を作ってくれたりもする)。ただ、インタビュー取材のように対話をする際には、そうした性格面でのポジティヴな前情報があると、こちら側の気持ちとしてはちょっと楽になるという、それだけのことだ。

と、そんな前提があったので、僕はこう切り出した。

「いろんな方から、夏木マリさんはいい人だという話を聞いています」

一番最初のこの言葉に対して彼女は、一瞬の間ののちに、ちょっとだけバツが悪そうに顔をしかめ、こう言った。

「ええ~っ!? 私が……いい人? ん~……!」

しばしの沈黙のあとに、次の言葉が。

「いい人なんて、ヤだなぁ。いい人だと思われてるのって……なんかイヤじゃん!」

その場の全員、爆笑!
テーブルを囲んだスタッフたちともども、もう笑顔でいっぱいになった。以後は歌を唄うことやアルバムのことを存分に話してもらって、インタビューはなごやかに進行。終わる頃には、「うん? これで話は大丈夫?」と伏し目がちに確認してくれた夏木マリ。素敵だな、最高な人だな、と思った。

山あり谷ありの人生をユーモラスに、たくましく回想する「60blues」


この取材からかなりの時間が経った頃のこと、夏木マリが自身の年齢のことを歌にしていると知った。それが「60blues」だった。読みは「スワサントンブルース」。スワサントンは、「60」のフランス語読みである。
そう、これは彼女が60歳の時に作った曲なのだ。作詞のクレジットにあるバスケスとは、夏木自身のこと。作曲も本人である。

ズバリ、夏木マリの人生を振り返っている曲だ。それだけに聴いていて、あれこれ感じるところがある。
子供の頃はいじめられっ子だったと回想していたり、デビューして最初は歌がコケたとか、キャバレー廻りだとか……こうしたストーリーが、いちいち味わい深い。そして曲が進んでいくと、20才前、40代と、その時々の年齢が入れられていくのがリアル。このように、決してカッコつけることなく、しかもどこかユーモラスでさえあるのも、また大人だなという気がする。さらに後半では、年齢は記号だ、葬式まではしゃぎたい……と、最後まで、あまりにも夏木マリらしい言葉が乗っているのである。
あと、前半の歌詞で、子供の頃にキヨスクの前で~というくだりがあるが、彼女が子供だった国鉄(現JR)の駅売店は、この呼び名ではなかったはず。まあ話が通りやすいからこう書いたのだろうと推察する(ヘンなツッコミで申し訳ない)。

そのぐらい自伝的なこの歌。次のリンク、2013年のFUJI ROCK出演時で唄う時には、「少し私のこと話すよ! 付き合って!」と前置きしているくらい。


以下は、リリースから少し経った時期のインタビュー。

b 夏木さんの曲を初めて聴く人に、入門編としてオススメの曲は?

夏木 60Blues(スワサントブルース)ですね。60の時に書いたブルースなんだけど。あれは結構笑えるの。姐さんもこういう失敗してるんだって、聴いた人に笑って感じてほしいです。

b どんな形で70代を迎えたいですか?

夏木 まず健康でいたいです。昔は、この歳はこういうことをしてってキチっとイメージしていたけれど、この頃大雑把になっちゃって、そういうことを考えなくなった。せめて、歌は歌っていたいと思うし、クリエイションもしていたい。元気に今の延長をしていたいかな。

b be-o読者に向けてメッセージをお願いします。

夏木 20~30代だったら自分がやりたいように動いて、色々経験して失敗してもいいじゃない。死にやしないんだからっていう感じ?(笑) 私たちぐらいになるとやりたいことがあっても体力がないから、元気があるうちにいっぱい失敗しておいたほうがいいと思う。絶対行動して経験したほうがいいと、感じてます!

思えば90年代以降のシンガーとしての夏木マリは、歌謡曲はもとより、シャンソンやジャズ、そしてブルースなど、大人っぽさ満点の豊かなサウンドを従えて、人生の歩みを感じさせる歌を唄っている。「60blues」もこうした中で、自然に作られたのだろう。

それにしても、60歳時点の自分についての曲を作り、唄うシンガー。しかも唄うは女性である彼女だ。渋い。それでいてユーモアもある。そして、やはりクール。

当【年齢のうた】では、いろいろな年齢に関する歌を調べていて、中にはこのぐらい高齢(失礼)になって唄われる年齢ソングも、時おりある。もともとこのnoteの発案時は、主に若い世代の年齢ソングを聴いていこうという観点だったのだが、今後は決して若くはない年齢の歌についても触れていこうと思う。

夏木マリさん。いつまでも、カッコいい存在でいてください。


カミさんが買ってきてくれた
オードリーのグレイシアというお菓子。
いちご+クリームが
ショートケーキのようで、美味

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