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【年齢のうた】GLAY●「SAY YOUR DREAM」に込められたTAKUROの人生観

今日の東京は雪が降っています。なので、早めに図書館と買い物に行って、帰ってきました。寒いですな。

そういえば、細野晴臣さんにインタビューしました。初めてお会いして、お話できて、感激しました。
その掲載誌である『TV Bros.特別編集 BPM ブロス・プラス・ミュージック』創刊号が発売中です。その節は細野さんとスタッフのみなさんに、たいへんお世話になりました。おかげさまで充実した誌面になったと思います。記事もいっぱい書きました。

細野さんと彼の周辺、もちろんYMOなどなど、お好きな方はぜひチェックしてみてください。さらに星野源、チェッカーズや藤井フミヤが好きな人にも手に取っていただきたい。ぜひご一読を~。

さて、冬のまっただ中である今回はGLAYについて書きます。彼らは雪が似合うバンドだよな~。なんて思ってしまうのは、函館で結成されたバンドという事実はもちろん、MVの影響があるんでしょうね。

僕はGLAYは90年代から折に触れてライヴ観たり、そのレポートやインタビューの取材をしたりしています。

近年はBillboard Japanで書くことが続いていますね。下記のような感じです。ズラッと一気に。

最近では、この2本のインタビューです。

そんなGLAYの、今から15年前の話です。

十七の頃、そして二十歳前…過去を振り返るTAKURO


今年でデビュー30周年を迎えているバンド、GLAY。今回取り上げる「SAY YOUR DREAM」は2009年に発表したシングルで、これは彼らにとって15周年イヤーにあたるタイミングでのリリースだった。彼らのここまでの長い道のりの、ちょうど半分どころの作品となる(もっともデビュー以前の歴史もそこそこあるバンドだが)。

GLAYの作品に自分(たち)自身のことを描いていると思われる曲はいくつかあり、「SAY YOUR DREAM」は明らかにそうした曲だ。リーダーにしてギタリストのTAKUROが、それまでの自分たちを振り返っている歌である。
下記のリンクを見てもらえばわかる通り、非常に長い曲である。

トータルで、およそ13分! それだけにいくつかの展開があり、その起伏が大きく、まるで組曲のような、壮大なナンバーになっている。それだけに彼らがライヴで演奏する機会はそう多くはない。
ちょうどこの曲の頃に僕は雑誌『音楽と人』でGLAYにインタビューしたので、よく覚えている。

https://www.fujisan.co.jp/product/338/b/242904/

TAKUROはこの歌をかなり長い時間をかけて制作していたようだ。当時は存命だった佐久間正英との共同プロデュース。その後、ベストアルバムに収録された楽曲である。

歌詞は彼の内面からの告白が書かれているようで、まずは自らの人生とGLAYというバンドの歩みを追うように描かれている。

印象深いのは、まずは序盤だ。ひとつは、新しい朝と、少しずつ陽の当たる場所が広がり心を暖めたという、十七の頃。もうひとつは、自分の友達が愛する女性とのことが描かれる二十歳前のことである。どちらも10代で、まだ若く、それこそ夢を追いかけている時の回想が唄われている。

曲は続く。2コーラス目以降には行啓通という札幌の通りの名前が出てきたり、さらに、誰よりも互い助け合い、よくここまで来れたな……と、仲間たちとの関係が浮かぶような言及が出てくる。この部分はもうGLAYのストーリーだ。

そして後半に差しかかるとストリングスが入り、さらにギターソロと、どんどんドラマチックな流れになっていく。ここから歌詞は、今度は主人公ひとりの世界になり、あなたという大切な存在が唄われたり、やがては輪廻転生につながるような描写がなされていく。本当にスケールの巨大な歌。圧巻の楽曲だ。

これはあくまで僕の見方だが、この曲が書かれた背景のひとつには、さかのぼること数年前の2006年にGLAYがマネージメント体制を独立して活動を始めたことも関係しているように思う。そこに至るまでの4人は本当に激動の時期を経験して、曲の中盤の仲間たちに話しかけるようなくだりは、そうした経験も織り込まれているのではないかと考える次第だ(あくまで推察だが)。

当時の4人は30代で、集中力も一体感も熱量も非常に高く、それゆえにここまで強烈な歌が出来上がったのだろう。

38歳時点のTAKUROの人生観


この「SAY YOUR DREAM」の頃、TAKUROは38歳になる段階にあった。下記のインタビューはなんと家族や子育てについての記事で、その時の彼の気持ちが語られている。

あれは自分が38にさしかかるとき書いたものなんですよ。なんの因果か、先ほども話したように俺が3歳のとき親父が38歳で亡くなったのだけど、まさに息子が3歳になるとき俺自身が38歳になるという……。「そこを超えなきゃいけない。いや、超えられるんだろうか?」そんなことが何か一つのボーダーラインとして、結婚した当初からずっとモヤモヤと頭の中をかすめていたんだけど、そのあたりから本格的に今の自分が与えられる限りのメッセージを歌に遺していこう、と意識するようになりましたね。

それだけにこの曲には、TAKURO個人の人生観や感情的なものが注ぎ込まれているようだ。


ところで思うのは、この曲でも会いたい(表記としては<逢いたい>)という思いが描かれているということだ。これはTAKUROの歌詞の世界の大きな傾向のひとつである。

これは今回たまたま最初に書いた「Winter,Again」や、やや表現は異なるが「BELOVED」など、初期の楽曲からずっとあるテーマ性である。大切な人に会いたいという強い気持ち。それと関係して、誰かと出会うこと、巡り合うこと。

もっともこうしたGLAYの歌にある会いたいという気持ちは、一時期のJ-POP評論において、ありがちな歌詞のひとつに挙げられたことがあった。そこには、どちらかと言えばネガティヴな視線が感じられた。
GLAYのことには触れられていないが、たとえば下記のような議論がそれである。

ただ、GLAYおよびTAKUROの場合は、恋愛対象に会いたくて仕方がないとか、ひとつのケースとしての遠距離恋愛とか多忙による会えないという思いというものとは、根本的に異なる感情が内在しているように思う。

実は僕は年末にTAKUROのソロライヴに行ったのだが、そのアンコールで彼自身が唄った「Goodnight TOKYO」(仮タイトル)にも、やはり会いたいという思いが込められていた(この曲についての詳細は、GLAYのファンクラブであるHAPPY SWINGの次に発行される会報で僕がライヴレポートを詳しく書いているので、会員の方は読んでみてほしい)。デビューから30年を数えるというのに、もう50代だというのに、それでもまだ唄い続ける、会いたいという気持ち……。
再び僕の推察だが、これにはTAKUROが幼い頃にお父さんを事故で亡くしているという事実が大きいのではないだろうか。それが彼の人格形成に大きな影響を与えていることは、実はこれまでにも言及されてきている。
だから、思う。彼は恋愛とか愛情といった側面のみならず、もっと根本の部分で他者を求める思いがものすごく強い人ではないかと思うのだ。
そしてそれがGLAYというバンドの歌の世界でも大きなものとしてずっと存在し続けているのではないかと、僕は考える。

GLAYの4人は50代になり、今でもカッコいいバンドとして君臨している。デビュー30周年のアニバーサリーということで、今年は企画やイベントが多そうだ。
これからも熱いハートを持ったバンドとして、そして最高に人間くさく、それでいてカッコいいバンドとして、精いっぱいの活動を続けてほしい。


文中で触れた『音楽と人』誌が主催の新年会が
下北沢の中華料理店で行われました。
4年ぶりの開催で、
今井智子さん、小野島大さんといった同業の大先輩、
カメラマンのみんな、
レコード会社や音楽事務所の方々も多数参加。
こういう集まりは本当にひさびさで
あれこれ歓談しましたわ~

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