見出し画像

太ったから諦めたこと

水着を着ること
役者をやること
可愛い服を着ること
人と会うこと
人に何かをあげること
気に入ったものを買うこと
好きな人に好きだと言うこと
子どもを産むこと
自分を好きになること

基本的に何もかも、「私は太ってるから」で諦めている節がある。結婚式は1年かけてダイエットしてなんとかやれたけど、それは何百万とかかかってるからプレッシャーで覚悟を決められただけだ。

たぶん普通に病気だと思う。毎日ではないが、夜中や1人でいる時に心がざわざわと落ち着かなくなってなんでも食べてしまう時がある。夫がそれを防止するために家に食べ物を置かないようにしてるのに、例えば焼き海苔とかワカメとか氷とか、なにかを頬張らないと落ち着かなくて泣きながら口に入れている。

そんな絶望的な理由で太っているのだが、普通に怠惰だから太っているようにしか見られないし、外見について色々言われるし感じる。あ、この人私のことデブだと思ってんなとか、わかる。

太っていても元気に暮らしてる人もいるのかもしれないし、私の観測範囲の全員が気にしてないふりをしてるだけで本当は太っていることに悩んでるのかもしれない。ちなみに今こんな感じです

結婚式から半年経った私



そんなに深く悩むほどか?と思う人もいれば、これはヤバい、人間ではないと思う人もいると思うが、私は後者である。

マジで生きててもなにも楽しくない。人に話しかけるだけでもこんなデブに話しかけられたら不快かなとか思うし、可愛い服とかコスメを見つけても似合わないので買えない。ある意味節約。
昼間の食事はそこまでたくさんは食べていないのに、夜中に過食するので昼間の食事にもかなりの罪悪感が伴う。米なんか食べていいのだろうかとか思って箸が進まない。拒食症みたいになってんのに太ってるから意味がわからない。

そもそもなんでこんなに太っていることが辛いのかというと、話は小学生時代に受けた男子からの暴言にまでさかのぼる。

当時私は小学6年生にして160センチ52キロ。めっちゃくちゃ、発育が良かった。
スリーサイズが89・59・89とかいう今から思えば完全に理想的なバランスだったのに、私はなぜ自分だけ尻が大きいのか、なぜ私の脚はみんなみたいに細くないのか、毎日悩んでいた。
悩んでいたから標的にされたのか、言われるようになって悩み始めたのかは不明だが、とにかく毎日デブ呼ばわりされていた。50キロ超えてる女子が周りにほぼいなかったので、誰にも知られてはならないと強く強く思っていた。

その呪いはどうやら18年経った今もしつこく私の心にこびりついているらしい。髪色を変えようかな、いや、明るい髪色にすると丸顔が強調されてデブに見えるかもしれない。あの財布かわいいな欲しいな、いや私のようなデブには似合わないからやめよう。財布がかわいそうだ。全部そう。何かを望む度に「は?お前が?」と言ってくるやつがいる。それは小学生男子の姿をしていたり、鏡の中の私の姿をしていたりして、私の心を締め付ける。

私にはふさわしくないものしかこの世にはないと思った。

だけど下ばかり見ていても仕方ないのだ。私はなにも持ってないわけではない。

例えば、太っている女と結婚した私の夫はかわいそうなのか?
太っている女と仲良くしている私の友達は?
私を大切に思い続けてくれている両親は?

それをかわいそうとか申し訳ないと思うことがとても失礼だということを、30歳を目前にやっと理解した。

太っているということは私を構成する要素のひとつであって、私は「太っている女」以外の属性も持っている。むしろそこに私を属させて自由を奪っているのは私自身なのだ。

乗り越えたいと思う。今は少し難しいけど。
太っていようと痩せていようと、自分の全てを否定する理由にはならない。それを自分に言ってあげるだけのことがこんなにも難しい。

だからせめてこれを読んだ人には言ってあげたいと思う。

太っていても痩せていても、目が大きくても小さくても、身長が高くても低くても、それはあなたの全部じゃない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?