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"たゆたう"が下手になったのかもしれない

「大人になって、自分の気持ちを表現したり輪郭を捉えるのが下手になった気がする」

「もともとそんなに考えていないよ」

社会人になって、生活の大部分を仕事の時間が占めるようになった。
いろんな人と対話したり関わる中で、いろんな感情がふっと湧いては消え、湧いては消え…を繰り返しているように思う。

ただ、いそがしい日々を過ごす中で、自分の感情を味わいつくせぬままに未完了にしているものがたくさんあることに、気づいた。

カレンダーに空きがあると、つい埋めようとしてしまったり、
映画や映像コンテンツは基本、倍速視聴したり、
トイレにまでスマホを持っていったり。

そうして生活の中の余白をけずっていくことで、自分の気持ちと向き合う時間が自ずと少なくなってしまっていた。

向き合う時間が少なくなったことが理由のすべてではないかもしれないが、自分の気持ちを表現したり輪郭を捉えることが、昔と比べると圧倒的に下手になった気がする。

たとえば、映画を観た後。そこから湧いてくる感情は、ある。
でも、それをどう表現していいのかわからない。

たとえば、焚き火をみている時。そこから湧いてくる感情は、ある。
火はやさしい。見ているだけで心が落ち着いてくることを感じる。
でも、そこに湧いてくる感情を、うまく言葉にすることができない。

なぜか。

“本当は自分が感じたことを表現したい。
けど、否定されるのがこわい。笑われるのがこわい。”

この恐れが根っこのところにあるからかもしれない。

だから、自分が感じたことをエッセイや音楽、演劇などで表現できる人に対して「素敵だな」と感じるし、表現者を小馬鹿にする人に対して、結構な嫌悪感を感じるんだと思う。

【たゆたい】
 ゆらゆら動いて定まらないこと。

実はこのnoteは、言葉のギフトを贈り合うアドベントカレンダーのエントリー記事のひとつ。
わたしに贈られた言葉は、「揺蕩い(たゆたい)」。

たゆたう時は、のんびりした時間という意味らしい。慌ただしい日常とは対極的な言葉。

22年は、先に書いた自分の中にある恐れに気づくことができた。
そいつに蓋をして閉じ込めておくこともできる。忙しい時間は、恐れを見てみぬふりして、閉じ込めておくには絶好の環境だ。

でも、きっとまたあふれてきてしまうと思う。

「大人になって、自分の気持ちを表現したり輪郭を捉えるのが下手になった気がする」
「もともとそんなに考えていないよ」


そうかもしれないけど、私にはきっと、諦めたくない気持ちもあるんだと思う。

自分の気持ちを捉えるのは難しい。
外に出すのはこっ恥ずかしい。

でも、肯定してくれる人や共感してくれる人と出会うには、つながるには、どんどん外に表出させていくしかない。

だから、来年はもっともっと、たゆたう時を大事に、自分の心に向き合うことを大切にしていきたい。

今回、Advent Calendar冬_2022という企画に参加させていただき、noteを書いてみました。2022年の大きな出来事のひとつはTHE COACHでコーチングを学び始めたこと。

ありのままを肯定してくれる他人がいるって、すごくパワフルでありがたいことだと感じることができました。

12月22日からはプロコース受講予定です。
踏み込めば踏み込むほど、その奥深さに思わず圧倒されるコーチングという領域だけど、習得できれば、誰かの力になれるものだと確信ができたので、楽しんでいこうと思います!

最後に、すてきな企画をしてくださったまーさん、りみさん、素敵な言葉を紡いでくれたみなさん、ありがとうございました!

とりとめのない文章になってしまいましたが、、、最後までお読みいただきありがとうございました。


はやし


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