人類学的態度の淵に立つ。〜裏・糸島フィールドワーク振り返り〜
ゴールデンウィーク初旬に参加したフィールドワークについて振り返っていく。
参加理由
2年ほど前から人類学に興味を持ってインプットやら読書会やらしているが、フィールドワーク/エスノグラフィーの実践の場を求めていた
昨年糸島開催されていた「働くことの人類学」実践ゼミ──「働く」を紡ぐ旅──にとても参加したかったものの、タイミング合わず逃していたのでそのリベンジ
参加動機としては上記のような感じ。特に1点目については前々から課題感を持っていて、ちょうど3月に初めてエスノグラフィ体験をしてきたところだった。(ラーニング・ツアー もう一つの世界を想像するための「世界の見方」: 人類学・エスノグラフィと工藝・・・主に、フィールドノートの取り方やその後の分析方法について、テクニカルな手法を学ぶ場だった)
当日を迎える心持ち(もやもや)
後から振り返ると考えすぎだった気もするが、正直不透明感で一杯だった笑
裏・糸島ってなんだろう。そもそも表や裏って人によって捉え方違うのではないかな?
3時間という時間制約やその後発表しないといけないことで、アウトプットに囚われたフィールドワークになってしまわないかな?
ペアワーク上手くやれるかな・・
などなど。
特に2点目は、仮説ドリブンで言動しやすいという自分の思考の癖(意識して以前よりはだいぶマシになりつつあるが)と、前述のエスノグラフィ体験の学びから結構気がかりだった。具体的には「いつ分析を始めて仮説を持っても良いが、エスノグラフィと分析は分けて、エスノグラフィの際はとにかく記録に集中する(特にフィールドに入った初期は!)」というのが前回の最大の学びだったので、それを実行できないかも?という懸念を結構持っていた。
結論としては、案の定一定程度は懸念通りになってしまった一方、今回の最大の学びは別のところにあったこと、そしてそれがペアワークによって一層可能になったということだった。(それについては後半の学びパートで述べたい)
いざ、フィールドワーク!
前述のようなモヤモヤを抱えていたら(?)手が動かず、ほぼリサーチせずにその日を迎えてしまった。正確には前入りしたのでフィールドワーク前日の金曜日に糸島に着いた。
前日は着いた瞬間バス停にいたおばちゃんに話しかけられたり、そのおばちゃんがおすすめする角屋食堂で昼食を食べたり、創業100年以上という村島かまぼこ店でクジラ天を食べたり、観光案内所でおすすめされた前原歩帖のmapの唐津街道の旧街道にあるここのき(セレクトショップ)を訪れたり、明日フィールドワークする予定の福吉駅〜大入駅を歩いたり、おばちゃんが3階に住むらしいビルの1階にある居酒屋磯花に行くなどして過ごした。
結局のところ、着いたら着いたでできる限り見れるものは見ておきたいという気持ちがむくむくと湧いてきて動き回る感じになってしまった。
フィールドワーク当日は朝からレンタサイクルで伊都国歴史博物館に訪れたのち、大入駅近くの本屋アルゼンチンで顔合わせてイントロダクションを終えて、早速フィールドワークを行った。当初の予定通り大入駅から福吉駅方面に歩いて向かい、福吉駅界隈を散策する形で過ごした。
道端の鳥居を見つけたり、
道端の鳥居を見つけたり、
あるいは、道端の鳥居を見つけるなどして過ごした。
ひろーい空き地に、
鳥居がぽつり。
ちなみにミニ鳥居はゴミを捨てられたり、立ちションされやすい場所に立てられているらしく、鳥居があると罰が当たると思って悪行が減るとのことだった。(それにしても上記の空き地は、酷なほど鳥居の守備範囲が広いw)
実際には鳥居だけでなく、お店を中心に聞き書きをしながら以下のマップのエリアをうろついていた。
裏・糸島ってなんだった?
初日は10チームぐらいがそれぞれフィールドワークを行い、2日目に発表と振り返りを行った。結局のところ裏・糸島とはなんだったのだろうか?
そもそも表をどう定義するかは難しい問いだが、糸島が全国的にメジャーになったのは、「世界で最も魅力的な小都市」で世界3位に選ばれたことかと思う。(鹿児島育ちの自分が糸島を知ったのもそれがきっかけだった)
ちなみに観光案内所に立ち寄った時に紹介されたマップは以下。映えスポットの多い志摩がほとんどで、今回フィールドワークした福吉をはじめとする二丈地域は見切れている。
GWのおすすめスポットも大体志摩地域だった。
糸島に行ったことがない人の印象や観光目的で行く人の印象は大体こんなことろかなと思う。(ちなみに、今回のフィールドワークの期間には全くと言っていいほど訪れていない)
フィールドワークで裏付けが取れたものばかりではなく、仮説含みの部分も大きいが個人的かつ暫定的に思ったのは以下。
表:農耕に適した大地、豊かな水源
裏:その上での人々の営み(含、映え産業)
表については数日まちを歩いただけでもヒシヒシと感じられたし、事前情報や伊都国歴史博物館での展示内容や解説員のお話、フィールドワーク中に聞いた話も含めて認識を強めていった。
などなど。
自分が普段暮らしていたり仕事で訪れるエリアが、都心or森林率95%超えの中山間地がほとんどだということから来るバイアスもあるかもしれないが、比較すると違いが際立つような気がする。
山など上流の水源からの水は、川や地中を流れて里を経由し海まで流れ込むので、里や海の豊さから考えるに山の健康状態もとても良いのだろう。(人が入って整備されているからなのか、ほんとに自然の恵みなのかは分かっていない)
観光案内所で購入したShittokaina?糸島という雑誌にもこんな1ページが。
とにかく、フィールドワーク開始前には「これを表と言わず何を言う?」と言う気分になっていた(笑)
それに対して裏が何かと言うと、こうした風土の上で展開される全ての営みなのだろう(解像度激低!笑)
具体的な話として聞けたのは、前述のここのきさん、わかまつ農園さんぐらいだが(何しろミニ鳥居を追いかけていたのでw)、映えスポットにしても(ランドスケープも含めた)風土に根ざす魅力がとても多かったように感じている。
ちょっとざっくりしすぎとはいえ、糸島に住む人々の地理的スケールの捉え方(普段の生活圏、意識している地理的範囲)の多様性も包含できる気がしている。ラトゥールの『地球に降り立つ』風にいうと(急に!?)、クリティカルゾーン(水やガスが循環する樹木の先端から地下水の底までの、地球表面の薄い膜状の範囲。表)によって、テレストリアル(あらゆる地上存在。裏)は全て繋がっているのだから。
そして一見表っぽい目立つものが裏で、地面とか地中とか目に見えない(あるいは当たり前の前提として不可視化されている)裏っぽいものが表なのは面白いと感じている。どちらが裏、どちらが表ともいうこともなく、表裏一体ということなのだろうけど。
仮説ドリブンで言動しやすいという自分の思考の癖(中身は脇に置いておく)が発動してこのパートの文量が多くなっているけれど、もう少しだけ続けると裏表は螺旋状にぐるぐるねじれながら変化していくような気がしている。
フィールドワーク前日に前原を散策した際に、「世界で最も魅力的な小都市」で世界3位に選ばれたことを地元民はどう捉えているかを訪問先で尋ねていたのだが、前述のここのきの店員さんが「住んでいる人がプライドを持てるので良いこと。そして実際にそうなっている感じがする」とおっしゃっていたのがとても印象的だった。市外の人から評価されるきっかけによって地元の方が魅力を再発見する→それが強化されると市外の人にとっても魅力度もアップする、という再帰的、循環的な働きが生まれているのかもと思った。「1市2町が合併したことで『糸島』としてパッケージで売り出しやすくなったことも注目度が上がったことの一因」という話も相まって、メディア受けするマーケティング的な側面が一概に悪いとは当然ながら言えない。
今回のフィールドワークの振り返りでも「我々がフィールドワークしたことも含め、外の人間も含めた関わり合いを通じて、表なのか裏なのか、ナラティブが強化されていく。それはある意味でまちづくりと言えるのかもしれない」(by 大谷さん)と言う話が上がっていたが、我々自身もすでに裏表の螺旋に巻き込まれれているのだろう。
上記を踏まえて仮に糸島でフィールドワークを継続するとすれば、「地元民の地理的スケールの捉え方」(同じ地区でも生活スタイルなどによって個人差がありそう)と「地名・地域区分」(例えば、糸島の"いと"も糸、伊都、怡土と複数あったり、福吉も福井+吉井からきていたりする)と「風土の特性」(生態学的、歴史的)と「そこでの人の営み」と「市外の人からの認識」あたりの絡まり合いについて、関係性や変遷を解きほぐしていくと面白そうだと思った。(そしてほんとはそういう個別具体的なストーリーを紡いでいった先に、上記のような大きなストーリーを語れると良いのだろうな)
「ミニ鳥居を通じて立ち上がる問い」についても書こうと思っていたけれど、文量多くなりすぎたので割愛。さすがにテーマを絞るのが早すぎた感は否めないけれど、それはそれで深掘ると色々分かることあるだろうなと言う感想だけ残しておく。
今回の学び
色々と不透明感を抱えながらの参加ではあったものの、今回参加したことによる最大の学びは、「フィールドワークとは、どこかの場所で何か出来事に巻き込まれること」ということだった(笑)
そんなことはpeatixのイントロダクションに書いてあると総ツッコミを受けそうだし、普段自分が遮断しまくっているからということもあるけれども、フィールドワークやエスノグラフィーは実践(という名の修行)を積まなければ深まっていかない(これは前回のエスノグラフィ体験でも感じたことだ)ということを再認識した。
また、振り返りの際にも「能動的に出会う、関わりを作っていくことが入り口だが、その上で柔らかく受け止めていく姿勢が鍵。それによって何かを分かることに近づいていく。」(by 比嘉さん)という話があった。
結論、今回重点を置かれていたのはいかに記録するかや分析するかではなく、いかにフィールドに入り込むか、話を聞くかということにあったのだと自分の中では腑に落ちた。決して十分やり切れた訳ではないけれど、途中「移住先を探す夫婦」と誤認されるなどしながら(もそれを受け入れつつ)色々なお話を伺うことができ、少しだけ感覚を掴むことができた。
そして、ペアワーク(他者とプロセスを共にすること)は普段とても苦手なのだが、今回ペアワークによって他者を受け入れるモードがセットされたことによって(フィールドワーク3時間のうち半分をモードセットに費やした感はあるがw)、上記の学びが得られたのだという気がする。
ようやく、人類学的態度を理解する入り口に立ったと言えるのかもしれない。
今後に向けて
というわけで、フィールドワークやエスノグラフィーの知識を入れたり、実践することを続けていきたいと考えている。
実践については今回のような機会はもちろんだが、もっと日常生活の中で軽やかにやっていけると思うので、肩の力を抜いてやっていきたい。
むすびにかえて(エスノグラフィーが向こうからやってきた!)
頭の中でそんな振り返りをしながら、セブイレのコーヒー片手に歩いていた1週間ほど前、マンションの1階で珍しく話しかけられた。
他者を真剣に受け取るって、エスノグラフィーってこういうこと?笑
何かが分かる兆しはこうして生まれていくかもなので、今後もラフに続けていこうと思います。
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