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子供に本を好きになってもらいたい。僕が本を好きになった理由から考えてみた。

僕は子供のころから本が好きでした。

だから、子供たちにも本好きになってもらいたいなと思うのだけど、子供たちは活字だけの本になんてまったく興味を示さない。

うーん。

なんでかな。

自分の知らない話ではなく、映画ドラえもんの原作本だとか、タイトル自体に興味があるものだとしても、読んでみようとはならない。

子供たちにとって、ドラえもんはマンガだからこそ、ドラえもんなのかもしれない。


そういえば僕はどうして本が好きになったのだろうか?


僕は親に勧められた訳でもないのに、勝手に本を読むようになっていた。

キッカケは、ダンボール3箱分の本をもらったことだ。

その入手先はどこだったのか覚えていないが、童話だとか伝記だとか、いろんな本をもらった。

ほら男爵の冒険、ガリバー旅行記、シートン動物記、小公女セーラなどなど、結構分厚い本もあったのだけど、むさぶるように読んでいた。


文章を読んでいると、国語には強くなる。

国語のテストでは漢字部分の記憶に頼るところは苦手だったけど、文章読解の部分に関してはほぼ間違うことはなかった。

息子が国語どころか、算数や理科の問題の文章ですら取り違えたりしているのを見ると、息子にも本をもっと読んでもらいたいなと思う。

あくまで読解力がつくのは副産物であるとは思う。

とにかく本を読むことは人生を豊かにしてくれることなので、子供たちには本を読む楽しみを知ってもらいたいと思う。


なんで僕はダンボール3箱という大量の本を貰ったからというだけで、率先して本を読むようになったのだろうか?

理由は3つあると思う。

理由1、他に娯楽が無かったから


うちは裕福な家庭では無かったので、ゲームやマンガといった本を買ってもらうことは少なかった。

他にすることがないから、ちょっと貰った本でも見てみるかと、読んでいるうちにハマってしまったのかなと思う。


理由2、時間がたっぷりとあったこと。


本て読み出しからいきなり面白いということはマレだと思う。

最初は淡々と始まり、だんだん面白くなって没頭してくる。

子供の頃、両親は勉強しろとか全く言わなかった。

僕は先生に怒られるのは嫌だから、最低限宿題は必ずやっていたし、親はそれ以上のことを言うことはなかった。

宿題さえしたら、あとの時間は自由時間。

時間はたっぷりとあったのだ。

だから、最初のとっかかりが退屈だったとしても、暇に身を任せて読み進めることができたのだと思う。

何もすることがない退屈よりはマシだったのだろう。

理由3、本がそこにあったから


僕が望むか望まないか別にして、ダンボール3箱分の本がすぐ近くにあった。

だから自然と手が伸びたし、パラパラっとめくるし、字も読み進めてみたのだ。



この3つの理由から、僕は本を読むという習慣を手に入れたのである。


じゃーうちの子供たちはどうなのだろうか?

この3つの理由に照らし合わせてみると

理由1、他に娯楽が無かったから

ニンテンドースイッチ、アニメ、マンガ、ゲームの攻略本、知育玩具のパソコン、スマホやタブレットなどなど、ありとあらゆる娯楽が家の中にある。

そりゃーつまらなそうな本を読みたいと思わないよね。


理由2、時間がたっぷりとあったこと

うちの妻は息子の教育に熱心である。

宿題をやるのはもちろん、プラスしてドリルもやらせているし、翌日テストがある時などは、できるまで遅くなっても勉強を続けている。

そんな状況なので、息子の自由になる時間は少ない。

休憩時間には、ゲームはアニメを見るなど、より楽しいことをして、本を読むなんていう選択肢がそもそもないのである。


理由3、本がそこにあったから

ダンボール3箱分もの本が送られたとしたら、少しでも気になった時に手が伸びる可能性はある。

しかし、うちにはそれだけの本はない。

子供によさそうだなと買い与えた本が数冊とあとは図鑑があったりするくらいである。

身近なところに本がないというのも、大きな理由なのだと思う。


ということで、思い返してみると、子供が本を読まないのも納得できるところである。

いまから僕が子供のころの環境を作るのは難しいだろうし、まずは図書館にいっていろんな本があるということを知ってもらうことがよいのかなと思う。

僕はたまたま理想の条件だっただけで、本を読む習慣がなければ、本なんてめんどくさいものを読まないのでしょうね。

僕自身、最近は電子書籍でしか本を読まないので、親の背中というものも見せてないのも反省かな。

まずは僕自身がもっと本を読んでいるところ。

本を楽しんでいるところをこれから見せようと思う。

読んでくださるだけで幸せです。 サポートいただけるほど、何か心に残るものが書けていたのだとしたのならこんなに嬉しいことはありません。