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「自己変革は慣性の打破、から。」: 日替わりコラムその88

おはようございます。
よたろーです。

あなたは家を出るとき、左右どちらの足からくつをはきますか?

歯をみがくのは右手?左手?

自販機から飲み物を取りだすのは右手?左手?

たまたま問いが右左のことばかりになってしまいましたね。

で、どうですか?
左右どちらか思い出せます?

そしてその意思決定、右手で、とか右足から、とかなのは、なぜですか?

「なぜって…」
「どっちの手でみがいてもこっちの勝手だろ、ハゲ!」

おっしゃるとおり、どちらでもべつにかまいません、もちろん。

ただどのくらい意識されてるのか、聞いてみたかったんです。

意識的に

「右(/左)でやってるよー」

とか、

「左右半々くらいでやるようにしてるよ」

というかた、どのくらいいらっしゃいますでしょうか。

ちなみに私は歯みがきは左手でやるようにあるとき変えました。
といってもここ数年の話しですけど。

べつに右手をなくしたわけじゃありません。


なにか変えて脳に新しい刺激を送る必要がある、的なことをどこかで読んだからな気がしています。

ただどうしても細かくて正確なストロークが欲しいときは右手のサポートも使っています。

いつもあたりまえのようにやってること、無意識でやっていること、それはそれで効率を求める、という意味では非常に理にかなったこと。

動いているものはそのまま動かしておくほうが楽ですよね。
そして止まってるものを動かすのは大きな労力がかかる。

世界は効率的に作られているので、今ある状態を維持するように働きます。
これを慣性の法則といいますよね。
どっかで習ったのでは?

そして物体だけでなく、人間にも慣性があります。

それが無意識的な考え方や行動です。

普段何気なくやっていること、無意識でやっていること。
人間の行動は慣性のかたまりといえるでしょう。

ルーティンの仕事を淡々とこなすのに慣性的な判断や行動は向いています。

ところが変化が激しくなってくると、今までのやりかたが通用しなくなる。

そういうときは思いきってやりかたを変えないと環境変化から取り残されることに。

ところが慣性というのは思いのほか強固なもので、なかなか変えようと思っても簡単には変えられない。

さらにやっかいなことに、慣性というのは自分にとってのあたりまえ行動なので、そもそも気づくことがむつかしい。

気づけばまだ手の打ちようは、大変だけど、ある。
ところが気づきづらいからやっかいなんですね。

じゃあどうしたら…?

まずは気づくこと。

「だからそれをどうすんだ、って訊いてんだよ、ハゲ!」

自己分析ツールみたいなのを使って自己分析もいいんですが、やっぱり自分の価値観の中(=慣性)で分析をするので、自己完結して

「やっぱりな」

で終わってしまうことが多いようです。

「で、なんなん?」


てなるとか。

そこでおすすめなのは、人との対話をとおして自分のあたりまえや無意識に気づくこと。

他者との違いを鏡にして自分を映し出すのです。

「そんな他者どこにいるの?」

確かにキャリアのようなプライベートな話しは、仕事で関わりのある人とはしづらいですよね。

であれば学生時代の友人や仕事とは関係のないつながりの人を探してみたらどうでしょう。

それでも心あたりなければ私にご相談ください。

本日もおつきあいありがとうございました。

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