見出し画像

「継続は力なり。というけどそれってただの執着では?」: 日替わりコラムその89

おはようございます。
よたろーです。

もうおはようございますもなにも、日付が変わって26時。
起きてから20時間くらい経過してます。
明日の分を書いてんのか、って感じです。

現にあと4時間くらいで起きないといけないので今日より明日のほうが近い状態。

それでもこうやって更新しようとしてるのはなんなのか。

というのがタイトルで書いた、

執着

というやつですね。
仏教用語なのかどうかわかりませんが、仏教でよく使われます。

仏教ではとにかく執着を捨てることが大事。
逆にいうとなんでもかんでも執着です。

こうやって毎日意地になってでもnoteを更新しようとするのも執着。

一度手にした権力を離したくない、というのはすごくわかりやすい執着ですね。

そして、

桜が散っていくのを惜しいという気持ちも執着

なんです。

要はすべてのものはうつり変わる。
それだけが真実。

だから何も惜しいものはない。
その惜しい、と思う気持ちがすべて執着だよと。

というのが浅学な私の解釈なので間違ってたら教えてください。

戻るとこうやって眠い老体にムチうってnoteを更新しようとするのは立派な執着。

捨てておしまいなさい、と。

それでもあきらめきれない、まさに執着。

とすると、

継続は力なり

とか、

石の上にも三年

とかってのもただの執着なんでしょうか。

まぁべつに自分も継続は力なり、と思って書いてるわけでもない。
かといってやめるのもなんかイヤよね。

やれるだけやってみたらいいんじゃない、という気持ちです。

オチもありません。

本日もおつきあいありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?