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高松の旅(3)イサム・ノグチ庭園美術館と蘇る記憶

高松に来るまで行こうか迷っていたのが、「イサム・ノグチ庭園美術館」である。ぼくは正直イサム・ノグチのことをよく知らなかった(世界的彫刻家らしい、くらい。札幌のモエレ沼公園やニューヨークの『赤いキューブ』も彼の作品だと知ったのは今日になってから)。それに、絵画や現代アートは好きでも、彫刻や石の世界にはあまり関心を持てなかった。

たとえば古代ギリシアの筋肉隆々の男性の彫刻や、『ミロのヴィーナス』とか『サモトラケのニケ』とか、そういう具体的な作品ならわかりやすいし、まだ興味もある。でもイサム・ノグチの作品は非常に抽象的で、どう解釈して良いのかがまるでわからない(試しに「イサム・ノグチ 彫刻」と検索してみてほしい)。入館料2200円を払ってたくさんの石や彫刻を観たところで、何もわからないまま終わるんじゃないか。そういう不安があった。

それでも「たとえ心に響くものがなかったとしても、やっぱり一度は観ておこう」と決意したのは、口コミに「ここに来るだけでも高松を訪れる価値があります」「写真撮影禁止。わかりにくい場所にある。そういう不便さを全て超えるくらいの素晴らしい体験。一生に一度は、訪れないといけない場所」などの声があったからだ。庭園内は一箇所を除いて写真撮影が禁止されているため、どんな作品が展示されているのか、どんな空間なのかはネット上にもまるで情報がない。「自分の目で確かめるしかない」という点も好奇心を駆り立てられた大きな理由である。

入館は完全予約制で、おまけに少し前までは「往復はがき」で予約するしかなかったらしい。驚きのアナログさ。現在は「往復はがき・Fax・Eメールで予約可能」となっているが、それでも若干の不便さがあり、鑑賞のハードルを上げている気がする。ぼくは2日前に見学予約希望のメールを出し、昨日返信があった。それで今朝10時から鑑賞できることになった。見学はガイド付きで、所要1時間(それ以上は見学できない。厳格)。同じグループのお客さんは15〜20名くらいだった。一日3回、10時〜、13時〜、15時〜で見学できるようになっている。

ホテルを出てバスで30分屋島方面へ行き、バス停から7分ほど歩くと庭園美術館に到着した。受付を済ませ、ガイドツアー開始までの時間、パンフレットを眺めていた。すると、テレビ画面に流れていたイサム・ノグチの生涯を紹介する映像から、「庵治石(あじいし)は世界一の花崗岩として知られ」みたいなナレーションが聞こえた。その瞬間、頭の中で何かがビビビッと反応した。

そして首を左に振り、目を山の方に向けると、採石のため岩肌が大きく剥き出しになっている箇所が見えた。この独特の景色と、「庵治石」というワードが、ぼくの中で眠っていた記憶を呼び醒ました。

「このあたりに、昔来たことがある」

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ぼくが初めて高松を訪れたのは、大学卒業を控えた2011年3月の春休みのこと。そのとき、無一文で四国を旅していた。「無一文で」というのは貧乏旅行をしていたという意味ではない。誇張表現としての「無一文」ではなく、文字通りの無一文。1円もない状態。財布もクレジットカードも何も持たずに旅をしたら何が起こるのか、という企画を試みていたのだった。

もともとは、そんな旅をやる予定はなかった。ちゃんとお金を持って旅をするつもりだった。卒業旅行として、青春18切符で四国へ行き、現地で自転車をレンタルして四国を一周するはずだった。

しかし、出発前夜に思わぬ出来事があった。その日ぼくは、今は亡きエベレスト登山家の栗城史多さんと食事をしていた。「明日から四国を旅するんです」と言ったら、「せっかくだから、何かおもしろいことしなよ」と言われた。

「おもしろいことって?」
「たとえば、無一文で行くとかさ」

栗城さんは2018年のエベレスト登山中に帰らぬ人となった。彼のチャレンジについては色々と思うこともあり複雑な心境だが、少なくとも学生時代のぼくにとって、スポンサーを集めて好きなこと(登山)に挑み、NHKのドキュメンタリー番組でも取り上げられていた彼は憧れの存在だった。

そんな尊敬する彼が、ぼくに直接「無一文で行ったらおもしろい」と言うのである。「嫌です」とは言えない。

酔っていたせいもあってか、「無一文で行きます!」と勢いよく言ってしまった。言ったからにはやるしかない。もうどうにでもなれという気持ちだった。

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そして持っていた財布を、一緒に飲んでいた社長(栗城さんのスポンサー企業の社長)の自宅に預けた。

「財布はお預けします。でも青春18切符はもう買ってしまったので、これだけは使わせてください。あとは無一文で行きます」

しかし問題は、その日家に帰るお金すらないことだった。すると社長が、1,000円だけチャージされたPASMOを渡してくれた。

「今夜はこれで帰れ」

そういうわけで、ぼくは一切の所持金を置いて、自宅に帰ってきた。翌朝起きたとき、酔いから覚めて、これが夢ではなく現実なのだとわかり、絶望とワクワクが混同する初めて味わう気分になった。自宅には小銭程度の現金すらなかったので、リュックひとつと青春18切符だけを持って関西方面へ向かった。本当に怖かった。

その旅で、ぼくは結局11日間を無一文で過ごした。食べ物や寝床の問題を解決したのはTwitterだった。「今日は高松に向かいます。どなたか食事を恵んでくださる方、泊めさせてくださる方、いらっしゃいましたらご連絡ください。自転車旅の話でよければいたします」みたいなことをつぶやきながら、きっと誰か助けてくれるはずだと信じて移動を続けた。

そして実際、行く先々で人の親切に助けられた。そのときお世話になった方々には心から感謝している。高松では、「麺通団」(讃岐うどん人気を全国に広めた集団で、香川では誰もが知る存在だとか)の主要メンバーであるごんさんが家に泊めてくださった。また、ある主婦の方は、日中ドライブで高松の観光案内までしてくれた。そのとき、「ガイドブックにも載ってない場所に連れてってあげる」と言われて訪ねたのが、イサム・ノグチがアトリエを持ったこの「庵治」というエリアなのだ。

当時は山と海の景色を眺めるだけで、今自分がどこにいるのかよくわからないまま助手席に座っていたが、採石のために山が削られた風景が記憶に残っていた。そして彼女が「この辺は高級な花崗岩の産地なのよ」と言っていたことも。確かにそのとき、「庵治石」という言葉を聞いたはずだ。

その当時の記憶が一瞬で蘇り、ぼくはなんだかイサム・ノグチと縁があるのではないか、という気がしてきた。だって、意味のないことなんてないから。石のことも彫刻のこともよくわからないし、彼や彼の作品の魅力さえまだよくわからないが、何か時空を超えた縁がありそうだ。そういうポジティブな気持ちで、見学がスタートした。

※無一文で四国を旅したエピソードについては、5年前にTABI LABOで記事を書いたので、もしご興味があればお読みください。思い入れのある記事です。

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「イサム・ノグチ庭園美術館」の見学は、前半と後半に分かれている。前半30分は彼の作品がズラリと並ぶアトリエのスペースを見て、後半30分は庭園と彼が過ごした住居を見た。

写真を撮れないから載せられないのが残念だ。唯一撮らせてもらえたのはこの場所のみ。まあ、これを見ただけではよくわからないだろう。

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まず最初に、円形の石垣(庵治石が使われている)で囲まれたアトリエを見学した。そこには彼の作品が30〜40個くらい並んでいた。未完成のものもたくさんあったが、完成と未完成の違いはぼくにはよくわからなかった。イサム・ノグチは、煮詰まったら別の作品をつくる、というのを繰り返していたという。「後からもう少し手を加えたいな」と思ったら未完成なのである。でもそれはぼくのような素人からしたら、別に完成でもいいんじゃないか、というようなものである。それくらい、本人の問題なのだ。絵画なら「これは未完成だね」と素人でもわかるものが多そうだが、抽象度の高い石のアートではなかなか難しい。ただいずれにせよ、迫力のある作品ばかりだ。彼は大胆でユニークな作品を求めたらしい。

このエリアで群を抜いて存在感を放っていたのは、この美術館の目玉でもある『エナジー・ヴォイド』という作品(下の写真の左側)。高さ3.6メートル。これ、マジで石なのか?と思うくらい巨大。

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ガイドさんは最初に簡単な場所の説明だけすると「では10時30分まで自由にご見学ください」と野放しにするのだが、こちらから質問すればなんでも答えてくれる。ぼくは気になることをストレートに聞いた。

「あの作品は、本当に"石"でできているんですよね?」
「はい」
「重そうですね」
「1.7トンあります」
「1.7トン!? ってことは、1万7000kg。盗まれる心配がないですね」
「そうですね(笑)」
「日本の石なんですか?」
「いえ、あれはスウェーデンの石を使っています」
「スウェーデンから、船で運んでくるんですか?」
「そうです。ノグチは、石を求めて世界中を飛び回っていました。たとえば、あれはブラジル、あの作品はインド、あちらはアフリカの石でできています」
「本当に世界中の石を」
「庵治石や小豆島の石も使っていましたが、全体の中では一部です」

イサム・ノグチがここにアトリエを構えたのは65歳のとき。制作パートナーの和泉正敏さんと、晩年の時期をそこで過ごした。和泉さんは先祖代々続くこの地の石屋に生まれ、25歳のときに才能を買われてノグチのパートナーになる。以来20年以上、ノグチがデザインし、和泉さんが制作する、という役割分担だったようだ。その和泉さんは昨年9月、82歳で死去した。

後半の30分で、まず彼の住居を見た。といっても中には入らせてもらえないので、窓から内側を眺める形だった。和紙で作られた照明があたたかい雰囲気を生んでいた。ニューヨークやイタリアにも住居があったため、この家で暮らすのは年に3〜4ヶ月程度だったという。

そして広大な庭園は、段々畑だった土地に盛り土をして作ったそうだ。ところどころに作品が置かれているが、ノグチはこの空間全体を「彫刻」と捉えていたようだ。石で水の流れや滝を表現している箇所もあった。カリフォルニアから持ってきたという大きなユーカリの木も良い。

1時間のガイドツアーが終わってから、スタッフの方にお願いして、イサム・ノグチの20分間の映像を見せてもらった。

晩年の彼は、石の個性を生かすことを心がけていた。若い頃はもっといじっていたが、どんどん手を加えなくなっていったようだ。

「彫刻は間違いの塊だ」と彼は言う。「自然のままの石が、すでにでき上がった彫刻なのです」

石と向き合い、石の声を聴く。そしてその声に従って、手を動かしていく。「石の持つ神秘性は、神の存在をうかがわせる」という言葉もあった。

「大きいものを作るのが大好き。地球そのものを彫刻したい」と口癖のように言っていたそう。

断片的ではあるが、以上が「イサム・ノグチ庭園美術館」を見学したなかで印象に残ったことである。

はじめにも書いたとおり、当初、ぼくは「石の作品を見ても、よくわからずに終わるんじゃないか」と危惧していた。でもこの文章を書き終えた今、少なくとも芸術については、「わかること」や「理解できること」はそんなに重要ではないような気がした。より大切なのは、何かを感じて、受け取ることである。

たとえよくわからなくても、ぼくはイサム・ノグチについてこれだけの文章量を書けたのである。文章量とは、思考量でもある。彼の作品や生き方には確かにエネルギーがあって、そのエネルギーがぼくにこれだけの文章を書かせた。ぼくの知的好奇心を掻き立てた。そう理解すれば、訪れた価値は大いにあった。たとえ言葉で表せなくても、感じたことは自分の中に残るはずである。

これは庭園美術館の近くにある公園。イサム・ノグチの作った遊具が2つ置いてある贅沢な公園だ。

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最後に、今日食べたものだけメモしておこう。

朝は時間がなかったのでコンビニのパン。昼は「スパイスカレー ときどき」でイカと瀬戸内レモンのスパイスカレー(1000円)。

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その後、昨日お会いした「な夕書」の藤井さんに教えてもらった「くつわ堂 総本店」でケーキセット(700円)。モンブランとコーヒーをいただいた。アートがあり、静かで広々としていて落ち着ける空間だった。

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夜はうどんの名店「しんぺい」で冷やかけ+天盛り(750円)。うまかった。

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