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合コンでの出会い

ぼくは合コンというものが大の苦手である。多分、HSPであることと関係しているのだろう。大人数を前に自己紹介したり、場の空気を読みつつ話をするのはとても緊張する。合コンは決して「誰にとっても楽しいイベント」ではないのだ。だから誘われても滅多に行かない。これまでの人生でも10回くらいしか経験がないと思う。

ところがこの間、中学時代の友人に誘われて、数年ぶりに合コンに参加することになった。

「どうせ暇だろ?」
「あるいはそうかもしれない」

コロナ禍で飲み会から一年近く遠ざかっていたので、たまには飲んでパーっとやりたい、という気分になっていた。それに、もしかしたら良い出会いもあるかもしれないし。

普段、堂々とコンサルをしているのは別の人間なのではないか。どうして場が変わるとこんなにもぎこちなくなってしまうんだろうかと感じながら、「仕事は、えっと、ライターをしています」と苦手な自己紹介をしていた。

「ライターさんなんですか!? どんな記事を書くんですか?」
「エッセイとかですね」
「私、村上春樹のエッセイが好きで」

という女性が目の前にいた。それなりに盛り上がった会のあとで「村上春樹の、何のエッセイが好きなんですか?」と尋ねようとした瞬間、向こうから先に教えてくれた。

「『サラダ好きのライオン』というエッセイ集が大好きです」
「その本は知らなかったです」

ぼくは昨日、図書館へ行って借りてきた。読んでみると、実におもしろい。

2011年から12年にかけてananで連載していた、一年分のエッセイをまとめた本らしい。1本あたり1400字程度(このnoteがちょうど1400字)なのだが、とにかくその読みやすさに驚いてしまう。それでいてちゃんと内容もある。ページをめくる手が止まらず、気付いたらもうこんなに読んでいた、ということになる。自分にとって、また新たなエッセイのお手本ができた。

先週末には、彼の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだのだが、こちらもとにかく文章の読みやすさに驚いた。ぼくが2日間で小説を読んでしまうなんて、滅多にないことだ。そしてとても好きな作品だった。

思えば、村上春樹の小説を最後に読んだのは学生時代のことで、もう10年以上も前になる。当時はまだ、「将来はライターになろう」とは思ってもいなかった。だから書き手の視点などは当然なく、純粋にいち読者として文章を楽しんでいたに過ぎない。

ところが今、書き手のひとりとして彼の文章にふれると、当時はわからなかった奥深さを思い知ることになる。この読みやすさは、いったい何なんだろう? 「良い文章とは何か?」と考えさせられる。

村上春樹の文体には、エッセイであれ小説であれ、音楽性を感じる。読点の打ち方も、一文の区切りもすべてが絶妙で、リズムやテンポがいい。脳内で、一度も引っかかることなく、淀みなく流れる文章。まるで家から駅までずっと青信号で、一度も立ち止まることなく歩けたときのような気持ち良さがある。

小説や海外作品の翻訳が有名だが、彼はエッセイの名手でもある。過去を遡ればかなりのエッセイ集が刊行されているから、ぼくはこれからたくさんの作品を読みたい。

それに関しては今日ちょうどタイムリーなnoteを見つけたので、参考までに。「エッセイだけでこんなにたくさんの作品があるのか!」ということが理解できると思う。

というわけで、久しぶりに行った合コンで良い出会いがあった。本だったけど。

やれやれ。

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