#18 ヨッシャマンと禁断の書
本好きにとって聖地が書店であるならば、図書館は教会だろうか。
それなら古本屋はなんだろう?
冒険者が集う大衆酒場かもしれない。
17、8年ばかり前の事だと思うが、頻繁に通う酒場があった。
乱雑に積まれた古本の山の中から、掘り出し物を見つけ出すのが楽しかった。
店のご主人が、「これ、面白いよ」と小説を勧めてくれることもあって、例外なく面白かった。
しかし、そういうのとは別に明らかに本に「呼ばれたな」と思うことがある。探したわけでも勧められたわけでもないのに、まるでその本だけ浮き上がって見えるような、そんな感覚。
「そなたが来るのをずっと待っておったのだ」
とその本は言った。
タイトルを見ただけで、これはヤバい本だと思って素通りしようとしたのだけれど、
「待て待て。聞こえておるのだろう?ちょっとだけ読んでみ?2ページでいいから」
私は買った。
それがこの本である。
紹介はするけれど、おすすめはしない。
危険な本だ。私には責任が取れない。禁書というべき本である。
背表紙を見てみよう。
これだけで、変態か、頭のおかしい人か、頭のおかしい変態の著者であることが分かる。
面白くないはずがない。
鷹師匠と私は呼んでいる。
もちろん、面識はない。
実は私も昔、ふんどし天狗という謎の動画を撮ることにとりつかれていて、何だか他人のように思えないふしがあるのだ。
さて、では簡単にこの本についてまとめてみよう。
細かい内容についてはできる限り触れないようにしたい。
まかり間違って読んでみたいという人がいないとも限らないからだ。その人の楽しみを奪うような不粋な真似を私はしたくないのである。
これは「不食」について書かれた本である。
不食というのは鷹師匠の造語だ。
ちなみに鷹師匠は、「人間には先生も師匠も必要ない」とおっしゃっておられるが、私のような凡夫にはいてもらわないと困る。
不食と断食は何が違うのか。
概念がまるで違う。出発点が違う。たどり着く場所が違う。
「人は食べなくても生きられる」
このタイトルがすごい。何がすごいって、本当に真っ向からこれだけを語った本だといえるからだ。比喩でも暗喩でもなく、ましてや再生回数を稼ぐための動画みたいな釣りタイトルでもない。
そのまんまの意味である。
「人は食べなければ死ぬ」
私たちはそう思っている。
そんなのは当たり前で、議論の余地どころか、議論をするということすら思い付かないほどに。
私はその概念を打ち砕かれた。
鷹師匠は、不食が可能であるといういくつかの根拠を挙げられている。
そして、痺れるような推論と実験の数々。
こんな変人がこの世にいるのかと本当に驚く。
そんじょそこらの変人には到底真似できないことを平気でやってのける。
真の変態である。
何より、著者の体験以上に雄弁なことはないだろう。
書きたくてたまらないが、内容についてはここまでにしておこうと思う。
ただ1つだけ。これは少食やマクロビオテックなどの延長線上にあるものではなく、単なる食や健康を語るにとどまらない、壮大で派手にぶっ飛んだ本である、ということだけは言っておきたい。
これだけでも、1人くらいは読んでくれるかもしれない。
とくに布教活動をするつもりもないが、他の人がどんな風に感じるのか聞いてみたいとは思う。
さて、そこまで言うならば当然私も不食体験をしたのだろうとあなたは思われるかもしれない。
やるわけないじゃん。
と言った方が面白いかもしれないが、
実はやってみたのである。
単純さでは、私もそれなりの大家であるからして。
17年も前の話ではあるけれど。
しかし、それをここで書き出すと長くなるので、次回にゆずることにする。
つづく。
という記事を投稿しようと思ったのだが、noteシティをパトロールしていたら、鷹師匠の同じ本について書かれている方を発見した。しかも、現在進行形で不食をされている方である。
これは私の記事はいらないな、と思ったのだけれど、せっかく書いたのでアップする。
不食について詳しく知りたい方は、CHIKOTO
さんのお部屋を訪れてほしい。
↓
仮に、の話である。
本当に仮にでいい。
もし人が食べなくても生きられるのだとしたらどうなるだろうか?
もしそうなら、あなたの生活はどう変わるだろうか?
ちょっと考えてみても面白いかもしれない。
そして、もしそんな人がどんどん増えていったらこの世界はどうなるだろうか?
もしそれが、もしではなかったとしたら……
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