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#22 最終話「さらば、ヨッシャマングレート」


どうも最近、前置きが長くなってしまっていけない。結果、長文になってしまい書ききれないという羽目になる。
そういうわけで、また前回のつづきを書くことにする。まんまと書ききれなかったから。

ネコになりたい、という人が結構いる。
そのほとんどが、「働きたくな~い」「家事したくな~い」という疲弊した者たちである。
私も仕事はしたくないクチであるが、ネコにはなりたくなかった。家ネコなどもってのほかだ。
退屈で死んでしまいそうだ。何が楽しくて生きてるのだ、と思っていた。少し前まで。
が、


あなた、無為の達人じゃないですか!


サイン下さい。
今はにゃんこ先生と呼んで教えを乞うている。
こんなに身近に師がいたとは。

子供の脳は退屈に耐えられないらしい。
だから、遊びを思いつく。
何もないところから、錬金術みたいに面白いものを生み出す。
それは楽しい。
しかし、私は知ってしまった。
決して無意味ではない無為の味を。
何もしないことの至福を。


結婚していた時に、
「大人になりなさい!」と妻に何度も言われた。
あんまりうるさいので、
「僕は大人になる気はない!」
と宣言した。
その時の妻の絶望の顔を今でも忘れない。
なんか……悪いことしたな、と思う。
大人とはなんだろう。
それは、退屈を恐れない人。なのではないかなという気がしている。

日常を4つに区分けしてみた。

1.やりたくないことをやる時間
2.やらなくてはならない事をやる時間
3.やりたいことをやる時間
4.なにもしない時間

下に行くほど幸福度が高くなる。
「無為の至福」を知ってしまうと、とにかく4の時間をできるだけ取りたくなる。3は放っておいていい。どうせやるのだから。
問題は1と2である。
1に関しては、持てる力の全てを使って我が人生から排除すべきと思う。忍耐などというマゾヒズムは私には不必要で、世界を敵に回してでも「やりたくないことをなくす」ことが幸せの鍵だと思う。
あとは、2をどう折り合いつけていくかということになるが、これは時間をかけて取り組んでいこう。やらなくてはいけない事とやりたい事が融合してくれることが最もありがたいのだけれど。
例えば、薪割り。


何もしないことが一番楽しい。
こんなことは今まで考え付きもしなかったし、誰も教えてくれなかった。
ひまつぶしのスマホや本がないと軽くパニックになるような生き方だった。
瞑想ですら、私にとっては空白を埋める作業だったのだ。
もちろん絵は美しい。しかし、まっさらなスケッチブックもまた美しいと思う。


結局、どっちでもいいんだよな。


という所に着地した。
なにをしてもいい。なにもしなくてもいい。
どうでもいい、とは違う。
どちらも楽しいからどちらでもいい。
この、「どちらでもいい」と思える場所に立っているとおそろしく気分がいい。
見晴らしのいい山頂に立っているような、もふもふの雲に寝そべっているような。
自由と安らぎというやつなのだろうか。
極意というのは、案外気持ちの良いものなのかもしれない。

武術の先生が、「不動心」について話をしてくれた。
「動かないことが不動心ではないのですよ」と先生は言った。
動くまい、動かされまいとすると身体が固くなる。かたくなになる。
「そうではなくて、動いても動かされてもいい。だけど、すぐに元の位置に戻れる。それが不動心なのです」
なんか、「どちらでもいいの極意」に似てるなと思った。

この数ヶ月、私はヨッシャマングレートの影を追い続けてきた。
偉大な戦士になりたかったのかもしれない。
しかし、今は変わってきた。
何もしなくても幸せなのだと知ってしまったせいだ。
今は何者にもなりたくないと思ってしまっている。
なぜなら、

何者でもない方が心地よい。


と感じてしまったからである。

ある時はヨッシャマングレートであり、
またある時はエロいおっさんであり、
未熟な冒険者であり、
熟練のロマンチストであり、
作家であり、武術家であり、
父親であり……
その実体は謎に包まれている。
自分でも解けないミステリー。
ヨッシャマンという名前だけあればいい。

何者でもない感覚。
それは例えば、演者が千秋楽を終えてひとりになり、衣装もメイクも落としてシャワーを浴びる。
次の役に向かうまでの空白。自由。
そんな感じなのかもしれない。
世界の中で自分がどうあるべきなのか。どこへ向かって歩いていけばいいのか。
そういったものを、空き缶みたいにぽーーいと放り投げると、どこにでも飛んでいけるような気がする。

最後に彼にメッセージを残したい。


~親愛なるヨッシャマングレートへ~

私はずっと君を追いかけてきた。
それはもうやめようかと思う。
どうしてもなってほしいと言うなら、そっちが追いかけてこい!
うそうそ。
私は「特別ななにか」になろうとするのをやめたのだ。
何者でもないほうが面白いと思ってしまったから。
何者でもなければ、誰と比べることもない。
私はもっと自由でいられる。

もちろん、君はいつまでも私の一部であることに変わりはない。
ここまで導いてくれてありがとう。

      ヨッシャマンより


       おわり。


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