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#20 ヨッシャマンVS結婚


メガネを失くした。
どこかに置き忘れたとか、実は頭の上にあったとかいう話ではなく、メガネをかけながら失くした。
そんなことあるだろうか?
私の頭がおかしいのだろうか?
買い物をするためにメガネをかけて出かけ、気がついた時にはノーメガネで呑気に歩いていた。
メガネを外した記憶もない。
煙のように消えてしまったのである。
ほんと痴呆の神隠し。そんな映画が作れそうだ。
まだ買って1年もたっていなかったのに。
恋人に選んでもらった物で気に入っていたのだけれど、どうやらメガネにも愛想をつかされたらしい。
どれだけ探してもみつからないので、仕方なく買いに行った。
昼はどうということはないが、近視、乱視、老眼と目の三重苦を背負っている私は、夜の車の運転が裸眼では無理なのだ。人に引かれるのは慣れているが、轢いてしまうのは困る。ヘレン・ケラーと誕生日が同じということが何か関係している可能性はある。

メガネ購入時、最大の問題点はメガネをかけてメガネを選べないということである。ろくに見えていないのだから似合うも似合わないも分かるはずがない。
もちろん、今回も変なメガネを買ってしまって困っている。

このメガネ選びというのは、結婚相手を選ぶのに似ていないだろうか?
そう。ろくに見えていない所が。

そんなわけで、今日は結婚について書いてみよう。

パチ……パチ……パチ……

まばらな拍手をありがとう。
興味のなさがうかがえる。
それはそうだ。そこらのおっさんの結婚話がお眼鏡にかなうはずがない。
しかし私は書きたいのだ。
お付き合いいただくしかあるまい。

プロフィールにもある通り、私は2回結婚をしている。
それなのに、私は人生において結婚願望を抱いたことがない。2度結婚しているにも関わらずだ。
成り行きで結婚×2してしまった。
「なんとかなるだろう」という安易で短絡的な思考の濃度は若ければ若いほど濃いものなのだ。

私は若いイケメンの美容師さんに髪を切ってもらっている。
なんとなく自慢しておく。
「若い」「イケメン」「美容師」3拍子揃ったらもてないわけがない。
私はサロンに行くたびに、彼の最新恋愛事情の調書を取るのが楽しみなのだ。
そのサロンは彼が1人でやっているので、おっさんと恋ばなした所で誰も気持ち悪がったりはしないから安心してほしい。
その彼も結婚願望はない。
「なんで?」と聞くと、
「自由がなくなるじゃないですか」と笑う。
まさにそこなのである。
結婚とは自由が奪われるもの。
私もずっとそう思っていたので結婚願望をもつことが出来なかったのである。
同類はかなりの数にのぼると思う。

同級生が四十を過ぎてから再婚した。
なんてバカなやつだと思った。
離婚して、やっと手にいれた自由を手放すなど正気の沙汰ではない。
そう思っていたのだが、今は弟子入りを考えている。
そう、私にもようやく結婚願望というものが芽生え始めたのである。

きっかけは失恋だ。
架空の星に恋人が帰ってしまった後で、私は失ってしまったものの価値に気が付いた。
それは時間だった。
「今日はどこか行く?」
デートプランを決めるはずの話が盛り上がりすぎて、結局出かける時間がなくなってしまうなんていうことがあった。
彼女とはいくらでも話していられた。
家だろうと車だろうと店だろうと外だろうと関係なかった。
彼女とのおしゃべりは、とにかく面白すぎた。
その楽しい時間は、決して当たり前のものではなかったのだと今なら思う。
そして、神の啓示みたいな数式(?)が降りてきた。

自由<楽しい時間

どうしてこのシンプルすぎる不等式に私は気付かなかったのだろう。
あまりに「自由」に固執していた。
確かに自由は大切なものだ。しかし、私にはそれ以上に大切で優先すべきものがあったのである。
もちろん、この公式には個人差がある。

ずいぶん前だけど、妹弟と3人で飲みに行ったことがある。
その席で、
「人生で一番大切なものはなに?」という話になった。
弟は、「安心、安全」だと言った。
その言葉通り、弟は安定企業に入り、絵に書いたような良妻賢母のパートナーを見つけて幸せな結婚生活を送っている。
妹は、「自由」だと言った。
その言葉通り、妹は籍を入れず、自由気ままにいさせてくれる絵に書いたようなやさしい彼氏と幸せな同棲生活を送っている。
「アニは?」と聞かれ、
私は、「面白いかどうか」だと答えた。

分かってたんじゃん!

私は「面白い、楽しい」結婚をするべきだったのだ。それが一番大切なのだから。
それ以外は全部目をつむったっていい。自由?そんなものは猫のエサにしてしまえばいい。
結婚の価値はそれぞれで、正解はないと思う。
ただ、自分の思う「価値」だけ分かっていればいい。それが宝物だと分かってさえいたら、ぞんざいに扱ったりはしないはずなのだから。

人生に遅すぎるということはない。
という言葉がある。


いや、あるよね。


明らかに結婚願望が生えてくるのが遅すぎた。
長女に続き、中学生の次女も帰還を表明している。
彼女たちを再び世に送り出した時には、おそらく私はアラ環だろう。
今度こそ山に移住するだろうし、今の感じからすると、仙人になりたいとか言い出しかねない私がいる。
詰んでいる。

しかしながら世の中には絶対はないという噂だし、何事も「ない」ことは証明できない。白いカラスも奇跡も同じである。
なので、妄想だけは逞しくしておきたい。
私が三度目のパートナーの募集要項に書きたいのは一文である。
「楽しく会話できる方」
これだけでいい。
好きな人と楽しく会話する。それ以上の娯楽がこの世にあるだろうか?
楽しい生活なら1人でも送れる。現に私は1人でも十分楽しい。でも、会話はできない。その至福は味わえない。
2人ならもっと楽しいのだ。

昼は戦友のように。
夜はお姫様のように。

私が今想像し得る、最も素敵な会話の始め方がある。
目を覚ました彼女に、私はこう言うのだ。
「今日はなにして遊ぶ?」


募集要項の追記。
「メガネを選んでくれる方」

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