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【百年ニュース】1921(大正10)4月5日(火) 原敬首相が官邸で新聞記者との懇親園遊会を開催。世論に影響するジャーナリズムとの関係を重視する原による,歴代内閣に前例のない催し。各紙が好意的に報道した。「議会関係の新聞記者を主として四百余名の記者を招き,官邸にて園遊会を開催したり」(原敬日記)

原敬は平民宰相と言われ、全国に鉄道建設や道路建設を進め、立憲政友会の党勢拡大に利用した、保守的で泥臭い政治家というイメージをもたれるケースが多い。しかし実際にはこの記事にあるように、フロックコートを着こなし、身だしなみに気を使うオシャレな人物だった。29歳から33歳にかけて外交官としてフランス公使館に勤務し、フランスの華やかな政治や外交の世界に触れたことが生涯、身だしなみに気をつける習慣につながった。

また原は心酔していた陸奥宗光の容態が悪化すると外務省を離れ、請われて大阪毎日新聞の社長に就任し5年間経営した。自身のイメージをジャーナリズムを通じて拡散する重要さは十分に認識していた。現在にもつながる政治家の手法が見えて興味深い。

前例を破って 如才ない首相 記者団を招待して滑稽な不死身問答

原首相は昨日午後官邸に議会関係記者300余名を招待して園遊会を行った。歴代内閣に前例のない催しだ。主人公の首相はフロックを粛(つつ)ましく着こんで、何々という記者連に埋まった。芝生にとろけそうな笑みを傾けて如才なくやる。

「不死身というのは原さん自身が仰せあった言葉だといいますね」「冗談じゃない。ありゃあ君、誰かほかのひとが言った言葉だよ。ナンカンというと、またそれ諸君の筆先で問題化するんじゃないかね。いや堪らない」

丸一の太神楽がテケテンテケテン「はいあの通り・・」とやり出すとさすがの不死身でもお目は薄くなったと見えて鼻眼鏡を取り出してニコリニコリ。一方では大塊(野田卯太郎*)逓相が人気を集めて「力士雷電の半纏というのを着たが、たいして俺に大きくもなかったタイ、ウワッハッハ」

取り巻きという格で政友会は岡崎(邦輔*)御大以下幹部総出、内務、外務、農商務、海軍、司法、鉄道各省も大臣次官勅参ことごとく顔揃いだ。模擬店では大塊逓相の蕎麦五杯、元田(肇*)鉄相のおでん四串などは大うけである。

4時から立食、首相起って曰く「今日は何もないがゆっくりして頂きたい。議会中は諸君のうちで大変お骨折りくださった方もあるし、またそうでない方にもたいそうご面倒をかけました。左様な次第でありまするから・・」答弁仕込みの御挨拶おわれば、杉村(楚人冠*)、吉川両氏の謝辞あり、篠原氏の発声、万歳等ありて、午後5時和気あいあい裡に散会した。

東京朝日新聞 1921(大正10)年4月6日 (*引用者註)

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