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【百年ニュース】1921(大正10)4月21日(木) 日本初の女性社会主義団体「赤瀾会」結成。私達は私達の窮乏と無知と隷属に沈淪しめたる一切の圧制に対して,断乎として宣戦を布告するものであります,と宣言。山川菊栄(30),伊藤野枝(26)顧問,九津見房子(30),秋月静枝,橋浦はる子(22),堺真柄(18)設立世話人。

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山川菊栄

伊藤野枝

日本初の女性社会主義団体「赤瀾会」が「私達は私達の窮乏と無知と隷属に沈淪せしめたる一切の圧制に対して,断乎として宣戦を布告するものであります」と宣言し、これを綱領に定めて結成されました。参加者は社会主義者の男性を身内にもつ女性たちでした。

中心的人物としては、マルクス主義者山川均の妻、山川菊栄(30)、アナーキスト大杉栄の妻、伊藤野枝(26)。労働運動社の社員、九津見房子(30)、五月会所属のアナーキスト中名生幸力(なかのみょう・こうりき)の妻、秋月静枝、プロレタリア美術運動の画家、橋浦泰雄(はしうら・やすお)の妹、橋浦はる子(22)、社会主義者堺利彦の娘、堺真柄(18)らが設立世話人となりました。

赤瀾会は間もなく開催される5月1日の第二回メーデーのデモで華々しく登場し、新聞各紙で大きく取り上げられ有名になりました。同じ女性政治運動団体で、平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらを中心に結成された日本初の婦人団体である「新婦人協会」と確執を深めていくことになります。

なおちょうど同じ4月には、赤瀾会の身内男性陣である、山川均、堺利彦、近藤栄蔵、橋浦時雄、渡辺満三、高津正道らが東京で「日本共産党準備会」(「コミンテルン日本支部準備会」)を秘密裡に発足していました。大正デモクラシーの一側面として、社会主義運動が盛り上がりはじめるタイミングでありました。


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