余命宣告を受けました。

どうもこんばんは、吉沢です。

久方ぶりの、note更新。

タイトルを
「真夜中の独り言」
とどっちにしようか迷いましたが、

多分こっちの方が
インパクトが強そうなので、
こっちにします。

この時間帯にゲリラ的にスペース配信して、
アーカイブも残さず、人知れず語ろうかとも
思ったんですけれど、

そもそも自分の思いも考えも、言葉も、
全くもってまとまっていないので、

今回はあえて、
”内省”資質をフルに発揮して
文章で表現してみようと思います。


最初に言っときますけど、この記事、
ぜんっぜん面白くないと思いますよ。

今、これから何を表現するか、
何を表現したいか、とか、
そんなこと一切決めてませんから。


「”内省”をフル活用する」
とか言っときながら、ですけれど、
頭に浮かんできた言葉を
そのまま書いてるだけですので。

どっちかというと”コミュ”資質の方かも。

思い浮かんだことをとにかく文章にして、
つらつらとアウトプットするだけ。


今、僕の中にある
得体の知れないモヤモヤを言語化して、
自分の気持ちを整理したいだけ。

ですので。


そんなことにまで興味のある
物好きさんだけ、
この後読み進めることをおすすめします。

OKですかね?






では、進めます。

タイトルの通りです。
余命宣告を受けました。


あ、僕がじゃないですよ?

念の為ため、ね。


今日、祖母が余命宣告を受けました。

残り、あと2、3日なんだって。

意味わからないですよね。


いや、たしかにね、
この数ヶ月間に関しては、
以前に比べたらだいぶ弱ってきてましたよ。

それは目に見えてわかってたから、
もう着地点が見え始めたんだな、
っていう感覚は、
感じざるを得ませんでした。


でもさ、
さすがに早すぎん?

こういうもんなの?
人生が終わる時って。


まあ、客観的にみたら、
92歳なんで、そりゃもう
いつどうなったっておかしくないよ?

けど、ちょっと前まで
元気だったじゃん。

俺が崎陽軒のシウマイ買って帰ったらさ、
喜んでめっちゃ食べてたじゃん。

ノンアルビールなんか普段飲まないのに、
俺がビール飲んでるからって
一緒に飲んでくれたじゃん。

全部飲めないからって、
半分以上俺にくれてたじゃん。


なんでなん?

なんでこんなに急なわけ?


こんなもん、
受け入れられるわけないでしょ。


ってね、思うんですよ。
いや、思ってるんですよ、
現在進行形で。


でも頭ではわかってるんですよ。

「人はいつか死ぬ」ということ。

その現実を受け入れるしかないこと。

時間とともに、
少しずつ受け入れていかなければならないこと。


だけど心は納得できんよ。

もっと話したいこと、
もっと聞きたいこと、
いっぱいありますよ。


今日の夕方に親から連絡もらって、
新幹線飛び乗って今大阪の実家ですわ。

家帰っていつもおばあが寝てる部屋入ったら、
すごい苦しそうに呼吸しながら寝てましたよ。

「ばあば、帰ってきたよ」って言ったら、
目はぱちっと開いたけど、
言葉が出てこなかったです。

でも僕の手をぎゅっと握って、
声にならない声でなんか伝えようとしてたよ。


何て言いたかったんやろうね。

何か伝えたいことがあったんじゃないかって、
そう思うんですよ。


去年の夏、母方の祖父が他界したんですよね。

祖父もずっと元気にしてたし、
親からはそう聞いてたし、
母からはいつも祖父の愚痴ばっか聞かされてたからってのもあって、

なんかね、
おじいはいつまでも死なないんじゃないかって、
勝手に思ってたんですよね。


でも逝く時はあっという間でした。

最後、何も声をかけられなかった。

というか、何も間に合わなかった。


母からのLINEで
「永眠」って言葉見た時の、
あの意味わからん感覚。

なんでもっと会いに行かなかったんだろう
っていう、後悔。

もっといろんな話聞きたかったっていう、
あの後悔。

それをしたくなくて、
何かあればすぐ駆けつけるつもりでいたよ?

それでもなんで間に合わない?

なんで話ができる状態に間に合わない?

どんだけ俺に後悔させたいねん、
この世界は。


人はいつか死ぬ。

そんなのはわかってます。

じゃあ「生きる」って何?

死ぬために生きるの?

それなら、死ぬ時はせめて
満足のいく死に方させてくれよ。


ってまあ、
おばあが今どんな気持ちでいるかは、
僕にはわからんのやけれどもね。

どんな人生だったのかね。

「自由に生きる女」
やったのは間違いないけれど。

いろいろ楽しませてもらいましたよ、
僕はね。


でも、本人はどうだったのかな。

楽しく生きれたのかな。


パーキンソンを患って、
それでも17年間、薬の副作用に苦しみながらも、
施設には入らずずっと家にいました。

そりゃ、いろんなことを他の家族のみんなに頼ってたけれど、
おばあを家に一人残して半日出かけることくらい、
余裕でできてましたからね。

僕はパーキンソン患者のことは
祖母以外しらないので、
一人でなんだかんだできてることが
普通なんだと思ってました。

でも、医者に言わせれば、
パーキンソンの診断受けて
17年間もこんなにまともな生活できてるのって、

奇跡としか言いようがないそうです。


おばあは、
そんなに長く生きたかったのかな。

どうなんでしょうね。

なんか僕なら、
体の自由がきかなくなって人に迷惑かけるくらいなら、

なんかあった時用のお金だけ残して、誰かに渡して、
さっさと施設に入って、時が来たら
「もうええわ〜」って言って、コロッと逝く気がするんだけれども。


母がよくいうんですけれど、
おじいは生前、
「俺はええ人生やった〜」
って、常々言っていたそうです。

それを聞くとね、
人生謳歌できてよかったね、ってなるんだけれど、

おばあからは、特にそういう言葉は聞いてないんですよ。

ちょっと前、まだまだ元気だった頃に、
何気なく、

「もうええかな〜とはよう思うんやけど、
みんながワイワイ楽しそうにしてるのみてたら、
もうちょっと生きてみたいな〜て思うんやわ」

って言ってたのは覚えてるんですけどね。

ほんとに、「もうええかな〜」と思ってるんなら、
あとは安らかに、眠るように、
穏やかに逝かせてあげたいと思うね。




だーっと思い浮かんだ言葉を書いてみたら、
こんな文章になりましたわ。

まったく見直してもないし、
流れもクソもない殴り書きでしたけれど、
なんとなく、自分のモヤモヤの正体がわかってきた気がします。


やっぱりさ、家族とは別れたくないですよ。

あり得ないとわかってても、
自分が死ぬ時まで周りにみんなおってほしいよ。

これからだんだん、
みんないなくなっていくんですよ。

それが怖い。

最後は独りになるんじゃないか。

僕は自分で死ぬ勇気はないから、
寿命が尽きるのを待たないといけないんですが、

そうなると、最後は孤独を背負いながら、
一人で寂しく生きなければならないんじゃないか。


「つながり」という、
満たしたい価値観を満たせなくなるんじゃないか。


そうなった時、僕は今のこの人生を
「ええ人生やったわ〜」って言えるのか。

そんなことを漠然と考えていたようです。


ま、結論考えても答えは出ないんですけれどもね。

てか、まだ今の時点ではおばあは生きてるわけで、
もしかしたらちょっと持ち直して、
会話もできるようになるかもしれないんですけどね。

いずれにしても、
最後は安らかに、苦しまずに逝ってもらいたい。

いろいろ思うところはあっても、
「楽しかったし、まあええか〜」って思っていてほしい。


92年間、ほんまにお疲れさん。

あなたの孫に生まれてよかったです。

また明日ね、ばあば。

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