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「ハードなアプローチは有害か?その2 エッジを超える」

抑うつ的な日々をすご押していたAさんは、当時「セミナー」と呼ばれたグループワークに参加しました。セミナー会場は、ホテルの会議室でしたが、椅子と机は綺麗に片付けられ、自由に動き回れるようになっていました。「セミナー」とは、一九八〇年代から九〇年代にかけて盛んに行われていた自己探究のためのワークショップで、中には泊まりがけのものもありました。そして、参加費も三〜四日で十万円程度と、安くはありませんでした。


Aさんが参加した「セミナー」は、四日間連続のものでした。内容は、さまざまなエクササイズと言われるゲームのようなことをしながら自分自身に気づいていくというものでした。


たくさんの奇妙なエクササイズがありました。盛んに行われたのが、ただ見つめ合うエクササイズで、Aさんは、これが苦手でした。目元・口元が緊張し、耐えられなくなり、結局笑ってしまうのです。笑いはごまかしで、本当は他人の視線が怖かったのです。Aさんは、そうした自分の本性が見破られてしまうのを避けようとしていました。


参加者は、皆フレンドリーでした。Aさんは目立ちたくなかったのですが、スタッフも参加者もAさんに話しかけてくるのです。Aさんはにこやかに、そして無難に答えました。彼らにはそれ以上近づいてもらいたくないとも思ったものです。彼らとの間に見えない、しかし明確な境界線を、Aさんは引いていました。


どのエクササイズも斜めに構えていながら、Aさんは、エクササイズで涙を流す参加者たちを羨ましく思う自分にも気づいていきました。しかし、四日間のワークは無駄で、Aさんには結局何も起こらないで終わるのだろうと思っていました。結局、自分は集団の中にうまく混ざることができない人間なのだと改めて感じていたのです。


Aさんが自己探究セミナーに参加するに至った最も大きな理由は、なぜ集団の中で孤立したり、なぜ人生の中でしばしば、特定の人たちから攻撃されてしまうのか、その理由を知りたかったからです。上司とうまくいかず評価が低かったことや、Kさんとトラブルになってしまったことで、このままでは会社でやっていけないだろうし、このような状態になってしまったのは、Aさんになんらかの欠陥があるのではないかと思ったのです。


Aさんは、他人からは冗談好きで明るく社交的だと思われていた。しかし、実は、他人からの視線が苦手で、会議でプレゼンする場面だけではなく、宴会での自己紹介ですら過度に緊張していたのです。


この他者に対する緊張傾向は、幼少期から続いているものでした。そして、その答えが心理学にあるのではないかと考え始めたのは、高校時代が最初でした。


当時は、まだ学生運動の余韻が残っている一九七〇年代初頭だったためか、書店には左翼系の難しい本が並んでおり、大学生らしき人たちが、分厚い本をフムフムと立ち読みしているのを見かけたとのことです。


Aさん自身は、どうもそうした難しい本には手が出ず、たまに買っても最初の数ページを読んだだけで、本棚の肥やしになってしまうというありさまでした。


そんな頃、たまたま本屋で見つけたのが、精神分析の入門書でした。新書だったし安かったので、なんかのついでに、あまり期待もせずに買ったのです。


しかし、その本が面白かった。難しい思想や哲学の本は抽象的で何を書いているのやらさっぱりわからなかったのですが、心理学はもっと具体的で、理系だったAさんにも理解できたような気がしたのです。


その本には、どんな精神病理があるのか、精神病理が発症するのはなぜか、人間の心理はどのようなメカニズムになっているのかなどなど、非常に論理的に書かれており、まるで数式を解くような感じで読むことができました。


世の中に「こんなに面白い学問があったのか!」と思ったのだそうです。
それからというもの、受験時期であるにもかかわらず、Aさんは心理学の本を読みあさったのです。


Aさんは、一時期、理系から文転し、心理学科を受験しようと考えたこともあるとのことです。しかし、受験科目を変えなければならないし、周囲から反対されたこともあり、結局、心理学科は受験せず、工学部に進むことになったのです。


大学に進んでも、その後社会人になっても、Aさんの心理学に対する興味は尽きることはありませんでした。


ただ、どんなに本を読んでも、その内容に共鳴しても、理論だけで自分が変わることはできませんでした。相変わらず他人に対する緊張傾向は、変わらなかったのです。自分自身が変わるために足りないのは、経験だとAさんは思うようになりました。


会社での評価は、相変わらず低いままでした。当時Aさんが積極的に取り組んでいた省エネと生産性の向上、最適運転システムの構築などの仕事は、他部署からは興味を持たれたが、直属の上司であるB課長からは、全く興味を持たれませんでした。


しかし、そうした仕事よりも、Aさんが事務所にいないで現場に入り浸っていることが、当時の管理職たちには問題と写ったのでしょう。また、Aさんが宴会で幹事をやったとき、上座の場所を間違えたとこと、同じく宴会で人数を間違え料理が足りなかったことなどについては、課長から激しく怒られたとのことです。


そんなことよりも、今Aさんと現場の人たちが取り組んでいることの方が、ずっと価値があるじゃないか、その話を聞いてくださいという気持ちだったのですが、それは、叶いませんでした。


Aさんは、なぜ自分が評価されないのかわからず、途方に暮れました。Aさんは、ややうつ傾向になっていたのかもしれません。頭痛に悩まされ、ひどい肩こりになり、睡眠時間も短くなりました。熟睡できず、毎日のように、夜中まで酒を飲みました。


自分の精神状態は危ないかもしれないと思い始めた頃、B課長が異動になりました。新任のC課長は、静かな穏やかな人で、小言を言われないようになったためか、Aさんはプチうつ状態から、少し回復していきました。


しかし、その頃、Aさんは、前回お伝えしたあの「Kさんとの事件」を起こしてしまったのです。Mさんが緘口令をしいてくれたものの、どこかから事件内容が会社に伝わったら、もう会社にいることはできないだろうと覚悟をしたのだそうです。


そんなある日、Aさんは、東京で心理学を応用したセミナーが開かれているということを知ったのです。そのセミナーは、結構な金額だったし、当時地方に勤めていたので、参加するのも大変だったのですが、Aさんは、直感的に、そのセミナーにすがったのです。


エクササイズの中で、感情が高まり、涙する人たちが続出しましたが、Aさんは、どのエクササイズにも没入することをしませんでした。没入して、自分の本性が見えてしまうのを恐れていたのでしょう。だから、自分の本性に直面して涙する人たちを、少し羨ましく感じてもいたのです。


セミナーの四日間で、おそらくAさんには何も起こらないで終わるのではないかと思い始めていました。ところが、三日目の最後のエクササイズで、予測もしなかったことが起こったのです。


それが、「宣言」と呼ばれるエクササイズでした。内容は、全参加者約三十人の前で、自分を表す「宣言」をするというものだ。その「宣言」が、伝わったら、歓声と拍手が起こり音楽が流れ、みんなからハグされ合格になるのです。


Aさんはいつものように白けていた。適当にやればいいんだろ?と思っていたのです。しかし、Aさんは次第に追い詰められていきます。他の人たちがが、次々に合格していくのに、Aさんは何度かやってもうまくいかない。残っているのが五人になり、二人になり、ついにAさんだけが残ってしまいました。絶体絶命です。


その時点で、もう夜中の十二時を回っていました。Aさんのためにみんな起きているわけです。Aさんは逃げ出したかったと言います。顔を上げると、みんなAさんを見ていました。


しかし、誰一人、Aさんに批判的視線を向けていませんでした。「お前のおかげで、眠れないじゃないか!」って思われても文句は言えない状況なのに・・・。みんな無言でAさんを応援してくれているのです。Aさんは、そんなはずはないとみんなの顔を見ました。


その時、体の奥底から込み上げてくる強い感情を感じたのおです。それは、今まで感じたこともないもので、AさんとAさんを見ているみんなが一つの場にいるような感覚だったとのことです。
一つの言葉が浮かびました。その言葉でAさんは、最後の合格者となりました。


全員の叫び声と拍手、音楽が鳴り、走り寄ってきた何人もの人たちからAさんはハグされ受け入れられました。


その時Aさんが叫んだ言葉は、「僕は、みんなの仲間だ!」だった。Aさんは、大人になってから初めて人前で涙が止まらなくなりました。


そのセミナーの後、Aさんの対人恐怖は、だいぶなくなりました。またセミナー参加から1年ほどで別の部署に異動するのですが、そこでAさんの仕事が評価されることになりました。プライベートでは結婚し、会社にはその後も勤めることができました。Mさんの緘口令が効いたのでしょう。


Aさんの参加した「セミナー」は、時間制限なしのハードなワークショップだったのですが、Aさんにとっては、とても意味のあるものになりました。
唯一不満だったのが、最終日の最後のエクササイズでした。ファシリテーターやスタッフが、「一番感動的なエクササイズですよ」という口々に言うそのエクササイズは、「誰か知り合いをこのセミナーに誘う」というものでした。まるでカルトの勧誘だとAさんは思ったのだそうです。


確かに最後おのエクササイズはいただけませんが、その他のエクササイズについては、どうでしょう?エクササイズは、自分自身を徹底的に見つめるというものでした。Aさんの「宣言」のワークにあるように、参加者は追い込まれる場合があります。Aさんは、そこから得るものがあり、自分自身を超えることができたのです。そうした状況は「エッジを超える」と言われ、人の成長の表れとされましたが、そこには、いくつかの問題点がありました。
「エッジを超えた」人たちがある種のエリート意識を持ってしまう可能性もありました。「自分たちは高次の成長をしている」と言う思い上がり意識を生んでしまう可能性があります。これは、暴走し過激化するカルトの集団心理に通じるものがあります。


Aさんはたまたま「エッジを超える」ことができましたが、超えることのできない人もいるでしょう。超えられなかった人は、劣等感を持ってしまうかもしれません。その人たちへのケアも必要です。


このように、いくつかの課題はありましたが、Aさんには効果があったわけです。ですから、「ハードなアプローチ」を全否定することについては、僕は賛成できません。ただ、そうしたアプローチをする場合については、十分な注意が必要です。


次回は、一部の人たちから「ハードすぎるアプローチ」と言われた吉福伸逸さんのワークについてお伝えしていきたいと思います。



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