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「六つの星星」 川上未映子 著 文春文庫

以前読んだ「みみずくは黄昏に飛び立つ」の中で村上春樹さんにインタビューする川上未映子さんのことを、とても健気で賢い人だなぁと感じました。インタビュー前に村上作品を徹底的に読み直したんじゃないかな?と思ったのです。で、川上未映子さんの対談って他にないかなと探し、この本を見つけました。


対談相手は、斎藤環、福岡伸一、松浦理英子、穂村弘、多和田葉子、永井均の各氏。


福岡伸一さんとの対談「文学と生物のあいだ」は哲学的でもあり、元理系の血がさわぐ内容でもありました。進化の過程で視覚が生まれるためには光を集めるためのレンズとしての水晶体、像を映すための網膜、その背後にあるたくさんの神経細胞が脳細胞につながってということが一斉に揃わないと成り立たないわけで、だんだん目が見えるようになるというダーウィニズムの単線的な進化論では説明できないのだそうです。そうした福岡先生のお話を川上未映子さんがウキウキして聞いている様子が伺えます。


「私たちの体って分子の「ムラ」に過ぎないわけですね。濃い部分。あるいは蚊柱みたいなもので、中にいる蚊(分子)はどんどん入れ替わっている・・・。(P.72)」「ドーナツの穴のようなもので、ぽっかり抜けた無の部分の方が自己だ、というわけですね。(P.83)」という川上未映子さんの感性・・・オーッ!!って思いました。そして、福岡先生の「脳って、昔の電話局みたいなものじゃないでしょうか。(P.84)」も刺激的です。脳は電話の交換機みたいなものだというのです。実は、身体の各部位で感じているのかもしれません。ん〜、納得。そして、興奮するなぁ!


松浦理英子さんとの対談では、二人の言葉へのこだわりが見えて面白いです。作家は、そこまで言葉を研ぎ澄ませるんだなぁと思いました。「川の右岸と左岸は水によって隔てられている。同時に水を共有し水を媒介として繋がっている。あるいは水によって統合されている。」という松浦さんの「葬儀の日」の中の文章に、川上さんは、震えるような感動を覚えるのだそうです。これって、福岡さんとの対談の中に出てくる蚊柱の話にも、何か通じるお話ではないかとも思いました。


穂村弘さんとの対談では、「神様の初期設定に抗いたい欲求」という言葉に僕は惹かれました。そうなんですよ。神様の言う通りに人生を全うできたら、皆さんから祝福される幸せな人生を送れるのだろうけれど、それでは僕は僕の人生を生きたのだろうかっていうことになってしまいます。だから、抗いたくなるんですね。


永井均さんのお話は少々難しかったけれど、僕も「ヘヴン」を読んだとき、コジマの「うれぱみん」にウルっときてしまったひとりです。「ヘヴン」の主人公「僕」は悲惨ないじめを受けています。その時、唯一の味方になるのがやはりいじめを受けてきたコジマという女の子です。「うれぱみん」は、コジマの造語です。うれしい時に出てくる脳内物質のことです。「ヘヴン」読み返してみようかな?


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