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カンヌ映画祭2023日記 Day8

23日、火曜日。昨夜は3時就寝で、ワインがまだ抜け切れていない重さを感じつつ、何とか6時に起床。3時間強の睡眠が1週間続いており、そろそろ出張の魔法も切れそう。でもまだ一応大丈夫。
 
7時に、最後のチケットトライ。もはや4日後の土曜日はクロージング日で、他に公式上映はほとんどないので、ダメモトで「セレモニー+クロージング上映」をトライしてみたら、当然のように取れず。まあもとより期待していないので、これは構わない。昨日カウリスマキとエリセが見られたので、もうあとは何があっても(なくても)平気なのだ!
 
今朝は8時半からのコンペ作品のチケットが取れておらず、7時半に「ラストミニッツ」列に並びに行く。快晴。天気は完全に回復しており、良き時のカンヌが戻ってきた。前半の雨を辛抱した参加者には、まさに恵みの太陽だ。
 
会場に到着してみると、またもや誰もおらず、列の先頭。いやあ、恥ずかしい。この上映はぎりぎりに来ても大丈夫みたいだった。でもまあ、時間があるなら並んだ方が精神衛生上もいいのだよな…。
 
見たのは、コンペで、オーストリアのジェシカ・ハウズナー監督新作『Club Zero』(扉写真も)。「意識的な食事」を提唱する女性(ミア・ワシコウスカ)が高校に臨時教師的な立場で招かれ、持論で生徒たちを啓蒙する。女性の教えに強く共鳴した生徒たちが極端に制限された食事を始めると、当初はパフォーマンスが上がるが、やがて教えはエスカレートし、生徒たちは絶食を最良とする「クラブ・ゼロ」のメンバーを目指すようになる…。

"Club Zero" Copyright Coproduction Office / Fred Ambroisine

カルト宗教の洗脳に似ているけれど、「意識的な食事」は体にも環境にも良く、当初は正論としてスタートするから防ぎにくい。ただ、何事もエスカレートすると原理主義的に過激になり、人は自分をコントロール出来ていると信じていながら、その実は完全にマニピュレートされているという罠に陥ってしまうという、洗脳の怖さが描かれる。ハウズナーらしい端正な映像とリズム、そして師匠のハネケを継ぐような社会に潜在する闇の描写で見せるが、「その先」をもう少し見たかったという不満も少し残る。絶食したら数日で動けなくなるだろうとのツッコミもしつつ、ここは満腹富裕層への批評的寓話ということで理解はできるかな。
 
11時から、ジャパンパビリオンで数件ミーティング。昨日「ACID部門」で公式上映された『逃げきれた夢』の二ノ宮隆太郎監督にお会いし、主演の光石研さんも日本から駆け付けたという昨夜の上映は、本当に素晴らしかったとのこと。二ノ宮監督も幸せを噛みしめているようだった。本当に良かった!
 
それからひょんなことで是枝監督にご挨拶でき、一瞬だけ昨夜のエリセ(「会場にコレエダさんが来ています」と檀上のティエリー・フレモー氏から紹介されていた)の感想を交わすことが出来て嬉しい瞬間。
 
13時に上映に戻り、「ある視点」部門のイラン映画『Terrestrial Verses』。上映前に監督(男性ふたりの共同監督)が登壇し、挨拶。昨年9月にテヘランで活発化したスカーフ反対運動に賛同した女性が当局に殺された事件の重要性に触れ、「イランでは政府に対する抵抗活動は常に存在しましたが、9月の出来事は特別です。火事の横にいながら関係ない物語を語るのは不自然であり、我々はまさに火の中にいるのだから、イランに伝統的な会話劇の形で現在の状況を映画にしたのです」と語る。
 
『Terrestrial Verses』は、ワンシーンワンカットのショートストーリーが次々と連なっていく構成の作品で、1人の人物が、カメラのこちら側にいる人物(=画面に映らない)とやりとりをする設定で語られる。ズボンとTシャツ姿で無邪気に踊る幼い少女が、洋品店で進学のための女性用の衣服を次々と着せられて最後は目しか外に出ない姿となって憮然とするエピソードや、運転中の姿をオービスで写真に撮られスカーフを着用していないことを咎められる女性や、就職面接で社長からあからさまなセクハラを受ける女性や、運転免許証の発行のために服を脱いでタトゥーを見せろと嫌がらせをされる男性や、脚本の不適切な個所を指摘されて結局ボツにしてしまう映画監督などなど、次々と絶望的な状況が描かれていく。ただ、設定に毎回工夫があり、ただヘヴィーな作品を狙っているわけではなく、極力(語弊はあるけれど)楽しく見られるように作られている。 

"Terrestrial Verses" Copyright TAAT FILMS

イラン映画において、少し前までは、社会の不自由な状況をメタファーの形でほのめかすことが多かったのが、このようなダイレクトな形で社会の矛盾を指摘する作品が生まれてきたことに驚く。そしてそれは、現状を映画で国外に伝えねばならない危機感がイランの映画人に切迫していることの証でもあるはずだ。その勇気に深い敬意を表するとともに、監督たちは大丈夫だろうかと身の上も心配してしまう。
 
モハマド・ラスロフ監督の傑作『悪は存在せず(There is no Evil)』(20)を東京国際映画祭で上映した時、4つのエピソードを並べた作品であったことに対し「長編だと当局から目を付けられやすいので、それぞれのエピソードを短編として撮ってレーダーにかかりにくいようにして、あとで長編にすべくくっつけた」と監督が話していたことが思い出される。『Terrestrial Verses』が細かいエピソードに分かれているのも、同じ作戦を取ったのだろうか。イランとイラン映画の行方が今ほど気になる時もない。
 
16時から17時までミーティング。
 
18時から、「監督週間」のポルトガルの『Legua』という作品。持ち主がもはや訪れることのない田舎の別荘を丁寧に管理する使用人の老女が体調を崩し、姪の女性が後を継いでいく物語。使用人文化の終焉をほのめかしつつ、老人介護の視点も盛り込んでいく。

"Legua" Copyright Uma Pedra no Sapato

姪の娘を含む3代の女性の物語であるという(勝手な)思い込みや、スチール写真が魅力的であったこともあり、大いに期待していた作品だったのだけれど、少し期待し過ぎてしまったかな。状況描写の積み重ねで進行し、物語がなかなか動かず、そして序盤ががちゃがちゃしていて落ち着くまでに時間がかかり過ぎるなど、いくつか難点がある中で、介護の様子が丁寧に描かれる。しばらく実家の親の介護を経験した自分としては、なんかもう映画では見たくない気持ちになっており、そういう意味では単に僕向きで無かったというだけなのかもしれない…。
 
上映終わり、同じ会場に並び直し、21時から同じく「監督週間」で『A Song Sung Blue』。中国の女性の新人監督による作品で、登壇したのは監督と2人の女優と女性のキャメラマンで全員女性。勢いを感じる。

作品は、15歳の地味な少女が年長で奔放な女性と知り合い、刺激を受け、思春期を脱していく成長物語。繊細にして真摯な姿勢は伝わるものの、どこか大胆さに欠け、少しだけ小さくまとまってしまった感もあるかな。将来に期待したい。

"A Song Sung Blue" Copyright The Seventh Art Pictures

上映終わって22時45分にホテルに戻り、ブログを書いて、早くも睡魔。今日はなんとなく終日眠かった。そろそろちゃんと寝る日を作らないと終盤が危ないので、今日は1時前に就寝することにします!

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