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カンヌ映画祭2023日記 Day10

25日、木曜日。6時10分起床、パソコン業務があったので1時間ほど机に向かってから、7時にシャワー、そして朝食へ。チケット予約のストレスが無いのは、やはり楽だ!7時半に外に出て、今朝は薄曇り。雨の予報もあるけど、どうだろう。
 
9時の上映はチケットが取れていたので、もっとゆっくり行ってもいいのだけど、早く並びたい習性を抑えきれず、8時の開場とともに入場。あてがわれたゾーンの中で最良の席を確保。あとは開映までゆっくりできるので、この時間は貴重なのだ。席でパソコンを広げ、この文章を書いたりしている。
 
ここで、昨夜力尽きて書けなかった作品のコメントを。
 
「ある視点」の『Mother of All Lies』は、モロッコのアスマエ・エル・ムディール監督が10年をかけて完成させたというドキュメンタリー。自分の子供時代の写真が存在しないことを不思議に思うものの、常に母親からははぐらかされてきた監督が、一家を精神的に支配していた祖母にカメラを向け、家族の秘密に向き合おうとする、日本でいうところの「セルフ・ドキュメンタリー」。ただ、そこにはモロッコが80年代に経験した凄惨な事件が背景にあり、セルフ・ドキュメンタリーの枠を超えていく。

"Mother of All Lies" Copyright Insight Films

父親がクレイ人形製作のアーティストで、80年代に暮らしていた町の様子をミニチュアで再現していく過程が、過去の物語のフラッシュバックに用いられ、作品の個性を引き立たせている。前半が少し混乱している感があるけれど、後半は一気に持っていかれる。力作。
 
「監督週間」の『Agra』はインドの作品。恋人と結婚して実家に迎えようとする青年が、実家に歯科クリニックを構えたいとする母親と対立し、そしてその実家の2階には父親が愛人と暮らしており、家の方針を巡って三つどもえの争いとなる。しかし青年は実は妄想癖があり、性欲にも支配されており、恋人というのは想像上の恋人なのだった…。
 
というのが、まだまだ物語の序盤に過ぎず、その後さらにいろいろと展開していく。インドの家父長制のいびつさを露呈させる物語であり、青年のフラストレーションを赤裸々に描く作品でもある。ただ、間延びするカットや余計な切り返しが目立ち、100分程度で良さそうな内容が、2時間越えは少し冗長に感じられてしまう。もっとも、ボリウッドとは無縁の作品だとしても、インド映画にはインド映画的な時間の流れがあるので、それを含めて楽しむべきなのだな。

"Agra" Copyright Les Films de l'Atalante

さらに、書き漏れていた作品を記しておくと、「監督週間」のアメリカ映画『The Sweet East』。サフディー兄弟の撮影監督として知られるショーン・プライス・ウィリアムス監督の初長編作で、主演は『17歳の瞳に映る世界』(20)のタリア・ライダー。
 
美しさが際立つタリア・ライダーが、ワシントンを訪れた修学旅行からはぐれ高校生に扮し、美貌と機転を武器に奇想天外な旅を経験する青春ロードムービー。もちろんキラキラ青春とは程遠く、サフディー兄弟的な、ざらついたインディータッチの青春なのだけれど、荒唐無稽な展開が実に面白い。怪しい中年男性の世話になったり(『レッド・ロケット』のあの主役の人だ!ショーン・ベイカーやサフディー兄弟などの米インディーの刺激的な面々との繋がりが感じられる)、大金を盗んで悪の組織に追われたり、ハリウッドデビューしたり、個性的な人々との出会いが続き、まるで現代アメリカを旅する不思議の国のアリス的世界。
 
そしてタリア・ライダーは、今後日本でもブレイクするのではないだろうか。それほど魅力的。ひょっとしてウィノナの娘?と知人に聞いたら、「あの人こどもいないから」ってAI並みの速さで返されてすごいなと感心したのはともかくとして、新たなライダーさんの今後に期待大。

"The Sweet East" Match Factory

さて、9時から見たのは、コンペのトラン・アン・ユン監督新作『The Pot au Feu』。『青いパパイヤの香り』で1993年にカンヌでカメラドールを受賞し、その後30年を経て初のカンヌコンペ入りを果たし、昔からのファンが感涙しながら注目している作品。僕も彼を東京国際映画祭の審査員に招聘したことがあり、その人格者振りと気骨のある人柄に感動したひとりなので、この度のコンペ入りは本当に嬉しい。

"The Pot au Feu" Copyright Carole Bethuel - 2023 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 2 CINÉMA

時代は19世紀後半あたり。フランスのシャトーで料理人をしている男性ドダンと女性ユージニーのコンビが、美味しそうな料理を次々と手掛けていく。ふたりはコンビを組んで20年が経ち、互いを必要としているが、ドダンが何度求婚してもユージニーははぐらかし、かわしている。そんな時、某国のプリンスに食事を供することになり、ドダンが考えたメニューは、庶民の料理「ポトフ」だった…。
 
料理はストーリーを彩るために存在しているのではなくて、料理そのものが主役のひとりだ。調理場に差し込む柔らかい陽射しのもと、調理の経緯と完成した料理とが実に丁寧に描かれて、眼にもお腹にも(空腹だろうが満腹だろうが)大きな幸せをもたらしてくれる。こじゃれたヌーヴェル・キュイジーヌではなく、古き良き伝統的なフランス料理の数々。シンプルなコンソメスープを作るための膨大な作業、牛肉の固まりにかける手間、そこにかけるソースの数々…。ヒラメ用のひし形をしている鍋(驚いた)で丁寧に火を通されるヒラメ、腹を裂いてトリュフを塗り込んだ鶏、かずかずの野菜、そしてもちろんケーキ…。もう本当にたまらない。
 
そして料理と並行して、もちろんドダンとユージーンの愛の物語が語られる。ブノワ・マジメルとジュリエット・ビノシュ。もはや言う事なし。ルノワールの絵画のような屋外の食事、そこに降り注ぐ光線、そしてシンプルで真摯な愛の物語。これは、もう、日本でのヒットが今から約束されているような(そうであってほしい)作品だ。食事付上映イベントとか、やってくれないかな…。
 
トラン・アン・ユンの持ち味としては、ふたり(と助手のひとり)による調理の段取りを振付のようにスムーズに動かしていく流れの演出や、レトロで心地よい風味をもつ色合い(グレーディング)に発揮されていると言えるだろうか。いい仕事だ!
 
11時を少し回って上映が終わり、次はチケットが無いので、そのまま12時半開始の回の「ラストミニッツ」列に並ぶ。問題は、『ポトフ』終映から列に並ぶ間にトイレが無いことで、11時くらいから小をもよおしていたのだけれど、並んでいるうちは行けないし、そして入場しても通路に近い席は取れないので、トイレに行くには隣に座る10人ほどの人に立ってもらわないとならないのでそれも憚られ、結局上映が終わる14時まで我慢することになった。トイレを我慢しながら見られる映画も不幸だけど、見ている本人も大変だ。
 
そんな状態で見たのは、12時半から、コンペで、ナンニ・モレッティ監督新作『A Brighter Tomorrow』。映画監督が新作の撮影で苦労する物語をベースとして、その撮影している劇中映画と、監督とプロデューサーである妻との関係もひとつの軸になる。主演の監督役にはモレッティ本人で、劇中監督は「5年ごとに1本映画を作っているが、もっとペースを上げなければ」と焦りを示し、それはモレッティ自身の本音でもあるのだろう。肩の力の抜けた、モレッティ本人のセラピー映画というか、『親愛なる日記』以来の日記映画の系譜にある作品と呼んでいいかな。

"A Brighter Tomorrow" Copyright 2023 Sacher Film - Fandango - Le Pacte - France 3 Cinema

劇中に撮影されている映画は、ハンガリー動乱に揺れる50年代のヨーロッパを背景に、イタリア共産党所属の市長(かな?)がハンガリーのサーカス団を招聘するという物語で、イタリア共産党がハンガリーの自由化運動を弾圧するソ連との関係をどうするかが注目される。遠回しに、いやかなりストレートに、いまのロシアを非難する内容にも読める。さらには、劇中でハンガリーを応援することで、現在のEUで困った存在になっているハンガリーに対してメッセージを送っているのかもしれない。いや、それはさすがに深読みかもしれないけれど…。
 
楽しい映画は尿意を忘れさせる、のかどうか分からないけれど、なんとか乗り切り、いったんホテルに戻って20分ほど休んでから、同じメイン会場へ。
 
16時からのチケットを知人が譲ってくれたので、深く感謝。14時くらいから並ぶ覚悟だったのだけど、余裕を持って15時に入場。あとは席でパソコン開いてこの文章をのんびりと書けるのでありがたい。で、そろそろ始まるのでパソコン閉じる。
 
見たのは、コンペに出品されている方のヴィム・ヴェンダース監督新作『Perfect Days』(扉写真も)。特別上映部門で紹介された『Anselm』はドキュメンタリーであったけれど、こちらは全て東京で撮影されたフィクション作品で、主演に役所広司。
 
台東区と思しき古いアパートに1人暮らす男の規則正しい生活を描く作品。まだ外が暗いうちに起き、朝のルーティーンをこなし、繋ぎを着て、作業車で都心に向かう。最新型の公衆デザイントイレ(という言葉があるのか分からないけど)の清掃が仕事であり、複数個所を回りながら、効率よく丹念にトイレを掃除する。銭湯の開く時間までには仕事を終え、湯に浸かり、浅草の地下街の行きつけの店で夕食を取り、帰宅してスタンドの明かりのもと読本を読み、そして眠る。その繰り返しの毎日に、さりげない変化が訪れる…。

"Perfect Days" Copyright Haut et Court

ミニマルにして端正な作品で、実にいい。反復される日常の中に起きる、ささやかな変化。都会の中の緑と、木漏れ日。男の正体はほとんど分からないけれども、日々を噛みしめるように生きている。どんな過去があろうが、人を信頼し、生を肯定する光が作品を貫く。ああ、これはとてもいい。
 
男は60年代や70年代のロックをカセットで聴くのが趣味で、運転中にかかる有名曲の数々がベタにならず、タイムレスな空気を醸し出しているのは、ヴェンダースならではか。もちろん、タイトルから連想されるあの名曲も流れる。
 
そして、驚愕のキャスト!これは書きたくないけど、ここで隠してもしょうがないのか…。いや、でもまだ隠そう。うわー、こんな大物歌手がバーのママさん役で出ていて、あれを歌うとは!とか、おおっ、僕もご縁のある青年監督が中古レコード店のスタッフ役で出ている!とか、この大物俳優と役所さんの共演はちょっと記憶に無いかも、という驚きの終盤など、淡々とした映画に中に(特に日本人であれば)興奮がたくさん詰まっている。日本で見る人には大変申し訳ないけれど、情報ゼロで見る映画の醍醐味は、やはり映画祭でしか得られない…。ごめんなさい!
 
さらにスタンダードサイズの映像が非常に素晴らしく、キャメラはフランツ・ルスティグという人。ちょっと分からなかったので検索してみたら、ヴェンダースとは『パレルモ・シューティング』で組んでいる人だ。ああ、なるほど。前述した3Dドキュの『Anselm』も同じ人だ。ヴェンダースとの相性が抜群だ。
 
そして役所広司さん、真剣に主演男優賞あり得ると見た。絶対に検討候補には上がるはず。今年のコンペ、女優が強い作品は多いけれど、男優となるとあまり対抗馬が思い付かない。ジュード・ロウ?いや、他に見当たらない。これはマジで行くかも!
 
20時半から、「ある視点」部門で、フランスのジャン=ベルナール・マルラン監督による『Salem』。前作『シェヘラザード』(18)に続き、マルセイユの血なまぐさい世界を描くドラマ。アフリカ系とラマ(ジプシー)系が対立構造にあり、半グレ的若者が抗争を繰り広げている。それぞれ14歳のアフリカ系の青年とラマ系の少女が愛し合い、少女は妊娠するが、両陣営を結ぶきっかけにはならず、逆に悲劇が加速していく…、という物語。

"Salem" Copyright 2023 - UNITÉ - VATOS LOCOS - FRANCE 2 CINÉMA

マルセイユの実態をある程度反映していると思われ、かなりしんどい気持ちになってしまうけれど、そこに神秘的要素を盛り込んで、絶望に陥る寸前に不思議な救いをもほのめかす。なかなか。

23時半に宿に戻り、本日も充実したなあとブログの残りを書く。ああ、いよいよカンヌも大終盤。そろそろ1時を回った。おやすみなさい。

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