見出し画像

カンヌ映画祭2023日記 Day6

21日、日曜日。6時起床、7時のチケット予約は2勝3敗の負け越し。3敗した上映は、「ラストミニッツ」列並びでクリアできることを願うのみ。
 
ところで、19日の日記で書いたことに関して、追記をしておきたい。アメリカの『The Feeling That The Time For Doing Something Has Passed』に言及した箇所で、ジョアンナ・アーナウ監督が自ら主演し、裸体を駆使して表現を行っていることに対し「インティマシー・コーディネーターの存在を不要にしてしまう、監督自らが裸体で演じるセックス・コメディなのか…」と書いたのだけど、俳優陣と演出家の間のインティマシー・シーンに関する了解を仲介するインティマシー・コーディネーター(以下IC)が、この作品の場合は俳優と演出家が同一人物であるのだから不要になるよな、という意味で書いたのだった。
 
で、その後に、ICを本職とする親しい友人とやりとりをしたら、僕の認識が足りなかったことに気付かされた。監督が俳優を兼務していることで、確かにその関係においては、ICは不要になるけれども、裸体に触れる他の役者や、近くで見ているスタッフ陣にも配慮が必要になるということなのだ。例えば、男性の役者さんが「自分は気にしないから前貼りはいらない」と言ったとしてもそれで良いわけではなく、見たくない共演者やスタッフもいるわけだから、そこでやはり前貼りは必須ですとアドバイスするのがICの役割になる。なので、本作の場合も、監督が主演を兼ねていて、自分が裸体なのだから他の人にはケアが必要でないということではなく、やはり気を配るべき点をアドバイスするICの出番があるというわけなのだ。確かに、それはそうだ。いやあ、勉強になりました。Cさま、ありがとう!
 
さて、本日もまた雨。昨日も降ったり止んだりで、本日も雨だ。これで、5日連続雨か。まあ、数年に一回はこういう年もある。そして明日から晴れる予報なので、あと1日は辛抱しよう。
 
8時にメイン会場に行き、見やすい席を確保して、9時から本日の1本目開始。世界3大トッドのひとり、トッド・ヘインズ監督(あとの2人はもちろんソロンツとフィールド)新作、『May December』。大贔屓の監督なので、どんなにチケット予約で苦戦しようが、本作が見られるだけで天に感謝だ。

「かつて、ローティーンの少年と関係を持ったことが大ゴシップになった女性セレブの物語が、映画化されることになる。その女性を演じる女優が、本人に取材を重ねるうちに、微妙な感情が生まれていく…。」

ゴシップを起こしたセレブ女性にジュリアン・ムーア。彼女の役を演じることになる女優に、ナタリー・ポートマン。ふたりが互いを重ね合わせながら、腹の探り合いも同時に進める過程がスリリングに描かれる。トッド・ヘインズ作品常連のジュリアン・ムーアは不安定さと得体の知れなさを存分に醸し出し、ナタリー・ポートマンは表面上はソフトながら役作りのためには手段を選ばないミステリアスな女優を巧みに演じる。

"May December" Copyright May December Productions 2022 LLC

さすがに細部に見応えはある。ただ、敢えて言えば、どこか盛り上がりきれずに終わってしまった。クライマックスがあるようで無く、トッド・ヘインズ作品に見られる「スケール感を伴う甘美な揺れ」が、今回は若干希薄かもしれない。常に無条件に愛してきたトッド・ヘインズ監督作に、僕は初めて物足りなさを感じてしまった。ああ、こんなことを書くなんて。

とはいえ、昨夜(かな?)行われたはずの、監督とジュリアン・ムーアとナタリー・ポートマンのレッド・カーペット揃い踏みは見たかったなあ。その他にも、スコセッシとデカプリオとデニーロも来ているし、数日前はハリソン・フォードもカーペットを歩いていたはず。この日記ブログには全くそういう話が登場しないので、我ながら情けない。これでは記事の有料化など夢のまた夢だ。ゴージャスな上映のチケットが取れて、そういう話題も書けたらなあ。

とぼやきつつ、まあまあ、そういう記事は他の方々が書いているから自分の出番などなくて良いのだと言い聞かせつつ、次の上映へ。
 
11時半から「監督週間」で『Riddle of FIre』というアメリカの作品。こどもたちが活躍する愉快な冒険もので、70年代~80年代映画にオマージュを捧げているような(撮影は16mm)、『グーニーズ』や『ストレンジャー・シングス』を彷彿とさせるコメディーで、とてもキッチュ、そしてあまりにもかわいい。監督のセンスを感じさせるし、こういう作品を選出する「監督週間」のセンスも、なかなかだ。

"Riddle of Fire" Copyright Fulldawa Films

14時から15時まで、2件ミーティング。晴れてきた!気温も上がっている。予報より1日早く太陽が戻ってきた!
 
16時に上映に戻り、コンペで、フランスのジュスティーヌ・トリエ監督新作『Anatomy of a Fall』(扉写真も)。ここで断言してしまうのだけど、今年のカンヌはサンドラ・フラーの年であることに決定だ。主演女優賞は間違いなしと宣言したい。問題は、『Anatomy of a Fall』と昨日見たジョナサン・グレイザー監督『The Zone of Interest』のどちらの作品の彼女に授与するかということにあり、いずれも本当に素晴らしく、今年の彼女の存在感は群を抜いている。

『Anatomy of a Fall』は、法廷劇であり、男女のエゴの衝突の物語であり、家庭ドラマでもある。フランスの山岳地帯のヴィラに、夫婦と盲目の息子の3人が暮らしているが、ある日父親が家の外で転落死の状態で見つかる。事故か自殺か他殺かはっきりしない中、母親が殺人罪で起訴される。母親は無実を主張し、裁判となり、まだ幼い息子が重要な証人として呼ばれることになる…、というストーリー。
 
母は作家として成功しており、父も教員をしながら小説を書こうとしていたが果たせていなかったという背景や、息子が視力を失った原因となる事故を巡る事情も絡んでくる。2時間半の長尺があっという間に過ぎる濃密なドラマであり、それを牽引するのがサンドラ・フラーだ。
 
真摯であるようにも見えるし、心が全く読めない時もある。本作はスリラーではないので、彼女の正体を暴くことを目的にしているわけではない。むしろ、社会的成功を収めている妻と、息子の世話で執筆の時間が取れない夫のそれぞれの立場を多彩な角度で検証し、ジェンダーのイシューに踏み込むことがメインだと捉えていいはず。そこでサンドラ・フラーが見せる硬軟取り混ぜた振る舞いは圧巻の一言なのだ…。

"Anatomy of a Fall" Copyright 2023 Les Films Pelléas/Les Films de Pierre

とはいえ、法廷ものと呼んでも差し支えないほど、裁判シーンは迫力がある。立て板に水の弁論で相手を論破していく検察官と弁護士と証人のやり取りは痛快であり、こんなに上手く喋れたらさぞかし気持ちいいだろうにと、観客に快感を与えていく。裁判では裁判官や陪審員にアピールしなければならないので、「芝居がかった」ような、少し大げさな演技も許される。役者さんは大変だろうけど、それでも演じていて気持ちいいのだろうな…。「監督週間」の『The Goldman Case』も良かったし、日本公開が迫る『サントメール ある被告』など、フランスから法廷ものの秀作が続く。

ジュスティーヌ・トリエ監督と、『ONODA一万夜を越えて』の監督として日本では知られるアルチュール・アラルの共同脚本。「女性映画」のひとつのアップデートの形だと思う。
 
もうひとつ。カンヌ前に書いた「カンヌ映画祭予習/コンペ編」を訂正すると、本作でスワン・アルローは夫役だと書いてしまっていたけれどそれは間違いで、弁護士役だった。出ている俳優で見る映画を選ぶことがあるとして、僕にとってスワン・アルローは確実にそのひとり。本作でも実に素晴らしい。

続いて、20時半から、今年始めての鑑賞となる「カンヌ・プレミア」部門で、マルタン・プロヴォ監督新作の『Bonnard, Pierre et Marthe』というフランス映画へ。

日本でも知名度の高いナビ派の画家、ピエール・ボナールとその妻マルトの愛の軌跡の物語。ピエールにヴァンサン・マケーニュ、マルトにセシル・ド・フランス。芸術家の伝記映画として、まずは堅調な出来、と言っていいかな。ヴァンサン・マケーニュの新境地となる作品かもしれない…。

"Bonnard, Pierre et Marthe" Copyright Memento Distribution

本日は以上にて終了。宿に戻り、いくつか終わらせないといけない仕事があったので、しばしパソコンに向かう。それから日記ブログを書き、本日は2時前に寝よう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?