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自由、の話

本屋で何気なく、占い本を手にとった。私て木星人マイナスやったよな。パラパラページをめくり、衝撃。

え、今年大殺界やないか。

占いにケチをつけるわけでもなんでもなく。全然悪い年ではなかった。

今年は自分にとって「解脱してるなあ」と思うことだらけだった。数十年かかって思い込んでいたことが、ごっそり剥がれ落ちて、中から出てきたツルツルのゆで卵みたいな自分と初めて出会っている、みたいな年だった。

今年を振り返るにはまだ早いけれど、今年は自分にとって大きな変化だった。

成果主義の営業会社で、割とストレスフルな日々を過ごしている中で、改めて自分は「ちょっとだけ普通の人と違う」と腑に落ち、そこを認めると凄く楽になった。

ポイントは「ちょっとだけ違う」ということ。
だから少し無理をすれば、ハタから見ると社会に馴染めている感じになれてしまう。それが良くも悪くも、なことだった。でも実はめちゃくちゃ無理して頑張っていた。みんなと同じになろうとして。日々ぐったりだった。

普通の人が繰り返しなんにも考えずにできる仕事が、私は「思い」を入れたり「やる意味」とか「背景」を自分に落としこまないとできない、と気がついた。ていうか前から気づいてた。それをダメなことやと思っていた。

「他の人のように効率的に上手くやらねば」て多分頑張ってたんやと思うけど、ああ、心底それがほんまは嫌で嫌で。

ある日ふと「いやいや、私は私でいていい。ずっと居続けていい。」ていう言葉が頭に浮かんだ。

そういうインスピレーションをもらったのは、いろいろなきっかけが重なったけど、一番大きかったのは西加奈子さんの小説「サラバ」を読んだことだった。

夏頃にこの本を読んで、もう涙が止まらなくなり、
確実に私これ、今大事にせなあかんメッセージやわ!と刺さり、それからなんとなく、自分の目で観ること、自分の座席のようなものから動かないことを意識してきた。

そうしているうちに「自分で居続けていい」という
言葉に辿りつき、合わなかった上司も、苦手だったマウント同僚女子も、気がつくとどうでもよくなり
仕事の成績が安定し始め、いろいろ整い始めた。

もちろん何もかもが楽になってはいないし、相変わらず日々グッタリだが、私に初めて出会い直せたような感覚はすごくあって、なんとなくこれからも大丈夫な気持ちがある。社会に馴染もうと頑張る私、心底おつかれさん。よう頑張ってる。ぼちぼちいこな。と思いました。

ていう話を、今日ピアノの先生に話すと、

「自由てね、自らを由、ていう意味なのよ。」

と先生が笑っておられた。

そう、そんな感じ。私40歳超えて、自由になりました。わかる、そんな感じ。

長くなりましたが、読んでくださりありがとう。これからも気がついたことを書きます。

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