苦手な相手が消えたりいなくなる
嫌いな相手や苦手な人を相殺する方法があるって言ったら耳を傾けてくださいますか?
では、はじめましょう。
くれぐれもその相手にバレないうちに。
陰陽の平衡法則
結論から申し上げますと、自分の苦手な相手は0になると居なくなります。
まず苦手な相手の存在意義、彼らは心の投影である現実のエネルギーバランスを調和させるため現れる。
例えば、会社に嫌いなお局が居ますね?
どうして、お局がそこら中に現れるのか考えたことはありませんか?
きっと、お局は超能力者か何かで、自分の前に必ず現れると思っているかもしれませんが、それは少し違います(超能力はあるかもしれません)。
お局という存在は、自分の心が作り出したネガティブなキャラクター。
シンデレラでいうところの意地悪な継母役。
きっと会社にあのお局がいなければ最高なのにと思っているはず、であればこそ、お局が存在意義を持っているのです。
だんだんわかってきたでしょうか? 続けましょう。
お局を消すのなんて簡単。少しエネルギーバランスをいじれば、どこえなりとも消えてくれるのですから。
具体的な方法を一緒に考えてみましょう。
自分の潜在的な心の状態が顕在化した存在がお局の正体です。
お局が常に自分の前に現れるということは、自分の心に何かしらの不均衡が起こっている証。ですから、お局を消すためには、自分の心の状態を陰陽平衡にせねばなりません。
心の状態が平常になる、お局のことを良いも悪いもどちらでもない、空気のように感じられた暁にお局がいなくなる仕組みです。
お局という存在を完全に赦し、受け入れたうえで何も感じなくなる。するとその役を演じられなくなったお局は、自分の前に居られなくなるのです。
シンデレラは王女になり、継母はその役割を終えたように。
しかし多くの人は、この仕組みを知らず気づかぬまま過去の経験やトラウマを繰り返し思い起こし辛さを募らせます。やがてその場にいずらくなり、自分さえいなければと自己嫌悪する。
責任感や思い込みによって、まじめな人ほどそうなる。自我は何も知らないからそうやっていつも自分を傷つける。
やがて耐えられなくなって、楽になるため逃げ口上を用意する。無理にその場所にいる必要はないと、元に0に戻ろうとする。そしてまた再就職先で、新たなお局の襲撃に合うのです。
雑魚ほどよく吠える
ここで少し休憩がてら、私の若い頃の話をします。
私は調理師学校を卒業すると共に、ある老舗のホテルに就職いたしました。
これはその厨房で経験した話です。
配属された厨房にはすでに20名以上の料理人が働いており、どの世界でも同じですが上下関係は非常に厳しく、毎日14時間以上拘束された上、先輩の川口さんに約一年ほど職場苛めにあいました。
とはいいましても、職人の世界では特に珍しくもない話で、つらくないかといえば嘘になりますが、今思い返すとさほどのことではありませんでした。
入社2週間ほど経った頃、川口さんからあからさまに嫌がらせのようなことをされ、すぐにそれと気づいた私は、一切そうと悟られないように気づかない素振りを一年間通しました。
そしてむしろ、自分から可能な限り川口さんへ近づき、何度怒鳴られてもその姿勢を貫き続けました。
やがて半年が過ぎるころ、少しずつ状況は変わり始めます。
だんだん川口さんの表情や言動が柔らかくなり、私だけでなく周りの人たちとも打ち解けはじめているようでした。といいますのも、私は薄々気づいていたのです。
川口さんは脱サラして、20代後半から職人の道を志した方でした。
一方私は、調理の学校を卒業しいきなり即戦力的な扱いを受ける存在。
きっと川口さんからすれば面白くなかったことでしょう。
しかし、そのようなことは私には関係ありません。ですから恐れることなく自分からぶつかっていけたのです。
そして彼は消えたのです、出会って約一年という短い期間で。
最後にこう言っていました「ありがとう、誰も相手にしてくれなかったのにナスノ君だけは違った、ごめん」
・・・感動しますか? 残念ながら私の心には一切何も響きませんでした。
川口さんなど、鼻から眼中になかった、邪魔だから論理的に排除したまでです。そんなドライな心持にならぬ限り、嫌いな相手は消せないというお話でした。
話を戻しましょう。
律儀にエナジーバンパイアの相手をしない
この世界は振り子のような原理で蠢いている。どんな相手であれ、エネルギーを奪えなくなったら消滅する。文字通り目の前から消える、人生の舞台から消えるのです。
エナジーバンパイアやエネルギーヴァンパイアという言葉に聞き覚えはありませんか? ネガティブなエネルギーは瞬発力があり、力強いので彼らにとっては格好のエネルギー源。
職場裏などで上司や会社の愚痴を言うグループに引き込まれそうになった経験は? そして、それを拒もうものなら、途端に敵愾心を向けられ嫌がらせなどされたはず。学校のいじめなども同様の原理。
一方で、ポジティブな人やアホのふりをしている実は賢い人からは、エネルギーが奪えません。
この世界では、ネガティブなエネルギーのほうが、大きく揺れ動きパワフルな時代を形成できるため、いちいち動乱が引き起こされる。その結果、ネガティブに感化された者たちは、その手先になったように行動します。
その際多くの人が、怖いと思ったりイライラしたりして、自分のエネルギー状態をネガティブに寄せていく。そのせいで世界の思惑にまんまと乗せられ、手先のように振舞っている人たちと同様に、ネガティブキャンペーンを開催してしまうのです。
そしてやがて、無関係であったネガティブな世界へと自分の足で向かい、当事者となった挙句、何かしらの事件や事故や災害に巻き込まれる可能性が高まるのです。
では、ネガティブを絶滅に追い込めばいいのかというと、それこそがこの世の破滅。この世界は必ず陰と陽のバランスで成り立っています。であれば、陰と陽は決して戦ってはならないのです。
嫌いな食べ物をこの世から排除できないように、怒っている上司に反論しては元も子もない、話を最後まで大人しく聞いて謝ればいいだけ。
つまり相手にしないということ、そのためには一度相手の存在を認めねばならず、誰もがこれに苦戦するのです。
それもそのはず、明らかに相手が間違った言動であることが確定的なのに、どうして普通に真面目に生きている自分が折れないといけないのか、全く理解できないから。
でもその相手を理解する必要はないし、むしろ理解してはいけないのです。
自分とは一生相いれない相手がこの世に存在していることをただ認識し、あとはもう知らないふりをするだけでいいのだ。
相手の思い通りにならない
ここでもう一度、私の若い頃の話をします。
あれはたしか、中学校一年生のホームルームの時間。
急遽ホームルームが自習となり、先生も居ない中、誰もが思い思いに自習していた時。武蔵君というクラス番長を気取った子が、一番端っこの子にメモを渡しみんなに読んで回すように言いはじめたのです。
そのメモには、「次の休み時間、中山を全員でやっつける」と書いてありました。そこで私は、コッソリ文末にこう付け足しました。
(そう見せかけて、実は武蔵君を驚かす)
その結果、終業チャイムと同時にみんなが武蔵君に群がっていったため、人生で一番驚いたような顔で固まっていました。
どうなるか高みの見物しようとしたら、クラス全員に取り囲まれたわけですから、きっと予測の範疇になかったことでしょう。
その後、何故そうなったか知る由もない武蔵君は大人しくなりました。
誰の言いなりにもならなくていいし、仮に自分の信念であってもそれは変えられるのです。
話を戻しましょう。
いい波乗ってますか?
多くの人が真面目で律儀、だからこそ何かに直面した際、素直に従います。でもそんな必要は一切ない、むしろ楽しみたいなら、逆をいけばいい。
できるだけ誰もやろうとしてやっていないことをするのです。そして、多くの人が勘違いしている、ポジティブがいいことであると信じないこと。
ポジティブな状態はネガティブの正反対なだけで、いいものではありません。お酒に酔ってテンションが上がってる人をいい人だと誰が思うでしょうか?
大切なのは、ポジティブでもネガティブでもない生き方。
つまりありのままの自分、自分らしい生き方です。
このように常に俯瞰した視点を持っていると、この世界というゲームに従属しなくてよくなります。
世界の波とは別の、穏やかな自分の波に漂っていると、やがてある波がやってきます。きっとこれまでの人生において、なんだか最近いいことが立て続けに起こるなんて経験をしたことがあるでしょう。
それが良い波です、そしてその波は波であることから、時間的制約のようなものがあり、いつまでもその波に乗れるわけではないということ。
その点にだけは注意し、是非これからはいい人生の波に乗って、自分らしい人生を生きてみてはいかがでしょう。もちろんそうでない人生だって大切です。しかしここを見ている人はきっとそうではないでしょう。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。