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最古の血族 大海原を知らしめせ Vol.03

12000年前の大災害、地球規模の地殻変動において沈んだ島や地形の変化、それでもなお生き残った人類の中には、もとは太平洋上に栄えたレムリア共栄圏の人々、つまり我々のご先祖様(Dの一族)もいました。

彼らは自分たちの住む広大な地域のことを『ムー』と呼び、その中でもとりわけ中心であったレムリア諸島には、「ザ・パン(グ)」と呼ばれる中心的な島があり、その東北に位置していた一部が今なお弓のような島(龍のような島)として現代に残り日本と呼ばれています。

地球規模の大災害を乗り越え、何故そうなったのかを理解していたご先祖様は、同じことが繰り返されぬよう直ちに行動を開始します。

まず生き残った人々の一部が現在の日本の地に集まり、元居た海洋民族の人々(縄文人)とひとつとなり徐々に古代出雲族となっていきました。

また国外においては、当時の文明の中心地であった現在の中東地区へ船で赴き、現地の人々と共に文明の基礎を築き、後のシュメール文明や、メソポタミア文明、インダス文明へと繋がっていきます。

また一方では、古代アトランティス文明の流れをくむエジプト文明とも繋がった後、イスラエル、トルコ、ギリシャへと北上し広がり、ヨーロッパにも流れていきます。

その流れの中で、元は一つであった一族は、様々な民族へと派生してゆき、シュメール、アムル、アッカド、エラム、古ユダヤの民(古イスラエルの民)、クナト、エブス、古ケルト人と呼称されるようになりました。

一万年に及ぶ大冒険、信じられるでしょうか?

つまり我々のご先祖様は、時代と共に文明の中心に移動し、金本位制を採用し、その資金力と知恵と技術で王権を擁立しまた移動するという、にわかには信じがたい途方もない一族であったということです。

しかしどうしてはるばる中東まで赴く必要があったのか、それはこの地球における文明のサイクルが一定の周期であることを知っていたことと、現地の人々と一つになる必要があったため。

その後も時代が移り行く度、文明の中心へと移動を繰り返しながら世界中へと拡がってゆき、またその間も祖国との往来は綿々と続いていました。

この世界を股にかけた大往来の痕跡として、インド地方にヒンドゥー教の元になる教義が伝わりやがて仏教の元となり、そして一方では、ユダヤ教や後に派生した宗教が誕生、彼らの移動先に次々伝来していきました。

現地の人々と一つとなり姿も変わり、話す言葉も変われども、彼らは根気強く何世代にも渡り様々なルートで断続的に故郷へと帰ってきました。

その道程では、後の秦国の建国に関わったり、さらに後の時代には、半島において新羅、百済などに繋がってゆきます。その際、新たに生まれた知識や技術を携えて、また最も重要な遺伝子を己の体に宿し。

その偉大な一族たちをして、スサノオ、ツクヨミ、アマテラスといい、秦氏、海部氏(安曇氏)、物部氏、忌部氏、賀茂氏などが渡来系の主だった子孫とされています。

つまり我々日本人は、最古の血脈というのみにあらず、あらゆる人種の混血のハイブリッドであるということです。

古事記に記される三貴子

おことわり

この度の連載「昴の心臓さざれ石」は、フィクションであり、ファンタジーであることをあらかじめお断りいたします。登場する名称等、実在する名称等とは無関係であることを御理解のほどよろしくお願いいたします。

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