鈴木もも吉

はじめまして。特段の決意はなく、いわば事始め。初投稿からひと月を経ての自己紹介。IT音…

鈴木もも吉

はじめまして。特段の決意はなく、いわば事始め。初投稿からひと月を経ての自己紹介。IT音痴、SNSほぼ無縁。読んでいる人がいることは承知の助。ありがとうございます。リプライについては勉強中。あくまでも個人的な「日記」みたいなものですが、よろしければお付き合いください。

マガジン

  • ”思いつき”定義集Ⅱ

    相変わらずのIT音痴。日進月歩の世界で化石化を自覚していますが「”思いつき”定義集Ⅱ」を始めました。よろしくお願いします。

  • 《雑多な雑感――NPOの戯言》

    2024年4月1日。何事かを開始するにはうってつけ。なので、脳内雑談のつもりで記し始めました。まぁ、反省と疑問の記録みたいなもの。常識を逸脱することのない駄文ですが、読む人若干名を募集しています。

  • ”思いつき”定義集Ⅰ

    「定義集」「アフォリズム(箴言)集」といったジャンルは文芸の一領域として夙に確立されています。マルクス・アウレリウス、ラ・ロシュフコー、アランなど、優れた古典が読み継がれていることからもそれは伺えます。私もそうした著作に親しんできました。  ただ、もう少し手軽に、つぶやき風に、人口に膾炙し(使い古され)てきた言葉について考えてみるのも大切な試みのように思われます。多少の皮肉を交えつつ頭の体操の気分で。もとより私見ですから「正しさ」を求められるのは困りますが、首肯できる部分があれば何よりです。  できる限り50音順で載せていけるよう努めますが、“思いつき”ゆえその通りいかない場合もあるかもしれません。ご容赦願います。

最近の記事

雑多な雑感――NPOの戯言⑮

《たぶん普遍的なテーマ⑧》 神様と仏様(2) (つづき)  前回したためたように信心深いわたしではないが、信心深い人の気持ちも理解できる(つもり)。わが母系では信心深い人が多いというのもあるが、わたしの経験も加えておきたい。わたしは幼年期「ケガの王様」と言われるほどケガと命の危険にさらされてきた。  定かな記憶として二つだけ。一つ目は自転車ごと水の流れていない用水路に落っこちたこと。場所も含めて「落ちる瞬間だけ」は覚えている。あまり気持ちのいい話ではないので割愛するが今も頭の

    • 雑多な雑感――NPOの戯言⑭

      《たぶん普遍的なテーマ⑦》 神様と仏様(1)  日本人の多くは寺にも社にも参拝する。わたしも然り。クリスマスもハロウィーンもそこかしこで盛り上がる。宗教宗派に厳格な人もいるだろうし、冠婚葬祭に臨むたび悩む人もいるにちがいない。ゆえに宗教上の「ロミオとジュリエット」も普遍的テーマであり続ける。  わたし自身は、浄土真宗本願寺派の仏教徒だが自分で選択したわけではない。あくまでも偶然。母親の家系がそうだったから。親が離婚していなければ神道だったかも(《自己紹介》参照)。大半の人たち

      • ”思いつき”定義集Ⅱ㊱「ら・り」

        【ラジオ】たぶん最後まで生き残るメディアの一つ。有用性・利便性についてはTVや新聞を上回ることも多々ある。例えば災害時。災害大国日本では頗る重大な役割を果たす。情報が常に正確かどうかは判定できないが(あらゆるメディアに言える)SNSで細工された動画のお遊戯より信用度は高い。  また、なんとなく対話が成立しているような雰囲気を醸し出すことも好ましい。基本的に聞き役だが、聞きながら同調できる場合が多い。心地悪い話しは途中で放棄して切り替え自在。意外と選択肢は豊富でストレスの少ない

        • 雑多な雑感――NPOの戯言⑬

          《たぶん普遍的なテーマ⑥》 偶然か必然か  人生は偶然の連続とも言われる。「宿命」「運命」と呟かれる事態もまた偶然の重なりによって培われる。わたしが日本の大阪という地で生誕したことを作為とすることはできない(作為なく子の生誕はないが、そういう意味ではない)。ゆえに必然ではありえない。  人との出会いを考えてみよう。例えば小学校や中学生のクラスは自分で選択できない。みんなと仲良くなることができるかもしれないし、仲間外れで嫌な思いを抱え込むことになるかもしれない。偶然の作用は大き

        雑多な雑感――NPOの戯言⑮

        マガジン

        • ”思いつき”定義集Ⅱ
          36本
        • 《雑多な雑感――NPOの戯言》
          13本
        • ”思いつき”定義集Ⅰ
          45本

        記事

          雑多な雑感――NPOの戯言⑫

          《たぶん普遍的なテーマ⑤》 健康と不健康  病院嫌いの人は多いと思うが、わたしも然り。なので進んで受診するなど沽券にかかわるほどの精神的苦痛の種である。にもかかわらず健康診断に2年連続で足を運んだ。第一の理由はタダだったから。第二は最初の検査結果の紙切れに「あなたは不健康です! そんなことでどうするんですか! 正気ですか!」と示唆されたから。  世は健康ブームどころか健康のためなら死んでもいいという時代だ。健康は大事という若干の自覚はあった。しかし吞兵衛とは酔いの継続を生きる

          雑多な雑感――NPOの戯言⑫

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉟「よ」

          【欲/欲求/欲望】堕落への入り口。いや、自己を高めてくれる原動力か。いずれにしても折々に湧き出てくる、あるいは舞い降りてくるもの。食欲や性欲、睡眠欲など生理的なものから、モテたい、金持ちになりたいなどの願望まで。  やっかいなことに、欲をとことん満たそうとすると失敗する。旨いもの、好きなものだけを食べ続けると、スマートな容姿を望む欲求から遠ざかる。悠々自適を優先すると仕事は疎かになり、欲を満たすための原資を損なう。詰まるところ、ほどほどに理性を働かせなくてはならない諸刃の剣。

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉟「よ」

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉞「や・ゆ」

          【野次馬】マス・メディアの「原型」。ついつい非日常に引き寄せられてしまう名もなき人びと。やめられない止められない。人が好奇心を抱いていることの証しだが、事件であれ事故であれ(うわさ話のネタにはなるが)事態に対しては何の役にも立たない。もちろん役に立つ必要もないが、無責任をいいことに過誤の情報源にならない心構えは持ち合わせていたい。 【ヤンキー】もともと侮蔑的な表現ではあるが、日本では「不良非行」を形容する場合が多い。今日ではファッション化している向きもある(あくまでも個人的

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉞「や・ゆ」

          雑多な雑感――NPOの戯言⑪

          《たぶん普遍的なテーマ④》 謙虚さと傲慢さ  わたしは謙虚さを壁画にしたような人間である。けっして自慢ではない。そもそも、自慢できるネタが無ければ自ずと謙虚さを装わざるを得ない。例えばわたしは暑がりで寒がりだが自慢できるものではない。通常、謙虚さとは人間の内面を他者から評されるものだが、わたしの場合、自認せざるを得ないのである。その意味でわたしの謙虚さは虚飾である(壁画と言うより落書きか)。その程度の物分かりの良さは持ち合わせている。  さて、自慢できる人がいるとすれば、特段

          雑多な雑感――NPOの戯言⑪

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉝「め・も」

          【めぐり逢い】神の存在を信じたくなる出来事の一つ。多幸感を伴うポジティヴな人間関係を表現する場合が多い。「めぐり逢いたい」――その筆頭には、恋人、親友、離別した父母や亡き祖父母――それぞれである。ただし映画のようにはいかず、たいてい「めぐり逢えたら」で終わってしまう。やはり神は存在しないのか、今日も多くの嘆息とともに日は暮れる。 【妄想】これぞ人間の証明。人間のほかに妄想することができる生物がいれば、それはそれで楽しい。猫がネズミに抱く妄想とは、カラスがゴミ置き場に寄せる妄

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉝「め・も」

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉜「む」

          【むさくるしい】ネガティヴな気分を表現する形容詞。なので個々人の感じ方に違いがある。想像上の事例。 ◇事例①:カフェ、レストラン――上着を脱がず食事中にクチャクチャ不協和音を奏でる人。皿をドラムと勘違いしている人。レジで店員を詰って調和を破壊する人。 ◇事例②:病院――ジジイだからというだけで威張るジジイ。耳が遠いせいか自己拡声器の音量が最大限。とりあえず正気であることを願う。 ◇事例③:その他――梅雨空にダウンコート。満員電車でスーツからまき散らされる悪臭。 ◆注:誰も何も

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉜「む」

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉛「ま・み」

          【マス(mass)】マス・コミュニケーション、マス・ゲームなど身近なところで使われているが、その正体は不明。意味自体は大衆・群衆といったところだが、マスとは基本的に「消されている」がゆえに成り立つ概念である。メディアで匿名・ペンネームが使われるのはその判りやすい証しの一つ。実態はあるはずなのに見えない(invisible)存在とも言えそうだ。  例えば、個人がマスコミに攻撃されると、マス=「個性のない数」がバックになって個はその威力の前に跪くことになる。マスは文字通り個をどこ

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉛「ま・み」

          雑多な雑感――NPOの戯言⑩

          《たぶん普遍的なテーマ③》 おとなと子ども  小さい子どもの頃(子どもは小さいのが普通だがびっくりするほどデカいヤツもいる)、おとなになれば人は変わるものだと信じていた。おとなの立ち居振舞いが立派に見えていたのである。断言してもいいが、それは錯覚である。理由を整理してみた。  まず、振舞いの違いは単に体力・気力の衰えの反映である。個人差は相当に認められるが、これはわたしの実感によって部分的証明にはなる。行動の「ゆとり」「鷹揚さ」「威厳」とは「しんどい」「疲れた」の身体的表現に

          雑多な雑感――NPOの戯言⑩

          雑多な雑感――NPOの戯言⑨

          《たぶん普遍的なテーマ②》 未婚と結婚 (前回のつづきのような気もするが)  かつて「勝ち組」「負け組」という言葉が流行った。格差社会化のなかで正社員と非正規(派遣など)の所得格差をマジかヤケかは知らないが指し示すことが多かった。「就職氷河期」も影響していたのだろう。教師として授業で触れる機会もあったが「人生氷河期」のわたしに特段の感慨はない。  また「結婚する(できる)女性」と「結婚しない(できない)女性」という乱暴な括りで「勝ち負け」を争う言説もあった。価値観に基準がある

          雑多な雑感――NPOの戯言⑨

          雑多な雑感――NPOの戯言⑧

          《たぶん普遍的なテーマ①》 モテる男とモテない男(2) (つづき)  わたしのもろもろの欠陥を除くと、美醜という問題を俎上に乗せておかなくてはならない。わたしはナルシストではない。二枚目と言われたことは一度もなく鏡を見るのも気が進まないのだ。しかし、教え子に「先生のランチは愛妻弁当ですか」と聞かれたことがある。つまり既婚者に見える程度には周囲に不快感をまき散らす人間ではないとの推論が成り立つ。また、冷静に考えてみると美男美女がモテるとは限らない。では何が問題か。たまにでしかな

          雑多な雑感――NPOの戯言⑧

          雑多な雑感――NPOの戯言⑦

          《たぶん普遍的なテーマ①》 モテる男とモテない男(1)  前回《自己紹介⑥》で未婚を明示したので。  わたしはモテない男である。未婚である理由の根源にモテないという厳然たる事実があることに気づくまで随分の時間を浪費してきた。この事実は、すでに歪んでいる人間性をさらに歪め卑屈にさせる重大な問題になり得る。必然ではまったくない。とりあえずの事例はわたしの現状のみである。すでに述べたように自虐趣味はない。根拠あって一定の結果を導くという真理に則っている。わたしの性格上の欠陥もあった

          雑多な雑感――NPOの戯言⑦

          雑多な雑感――NPOの戯言⑥

          《自己紹介⑥》生い立ち(超・簡略版―4) (前回つづき)  調子こいて長くなった《自己紹介》も最終回。  20余年にわたって教師を勤めた挙句、潔く辞めた。担当科目を馘(クビ)になったせいもあるが、それだけではない。大学は教育機関であると同時に研究機関である。その研究について、何事にも控え目なわたしの場合に限るが「ほぼ寄与することがない」と覚えていたことが大きい。寄与した覚えが一度もないのは残念至極。  それなりに知見を得るのは楽しいことであり、寝ている学生を無理矢理起こす快感

          雑多な雑感――NPOの戯言⑥