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「若さに憧れなんてない」といったキョンキョンを想う。2020.0608

「若さに憧れなんてない」

 小泉今日子さんが中年女ならでは日々の澱をにじませた横顔でつぶやいたのは、10年以上も前に文芸誌にてロングインタビューした時のこと。
 キョンキョン(ここでは敬愛をもって、そう呼ぶ)は40歳を過ぎた頃、私は33歳だった。その言葉は強がりでも諦めでもなくて、ただの実感だった。彼女の体を通り抜けて漏れたであろう言葉。だから、シンプルな言葉でも色っぽく響いたし、強烈に心に残った。

 キョンキョンは若さがもたらす果実を適切な時に味わい尽くせたからそう言えるのだと、当時の私は思った。甘い果実だけではない。苦い果実も、誰も知らない稀有な果実もたくさん味わってきたに違いない。魑魅魍魎の芸能界の第一線に立って突風を浴びつつも、透徹な瞳で世界を見つめて「なんてったってアイドル」をやってきた人なのだ。長い間。

33歳の私は、若さとは微妙な距離にいた。もう若くはないけれど、憧れるほど遠くはない。中年の実感はまだ無くも焦燥感はあった。30代にしては経験値が足りない気がしたし、心も成熟してないのではないかと。仕事はずっと忙しく、求められるがままに働き続けた。誰かの役に立とう、期待に応えようと懸命に目の前に立ちはだかるものを1つ1つ越えていると、1年どころか、 3年くらいはあっという間だ。

 もっと冒険して私生活も充実させなければ、あらゆる経験を積まなければ。具体的に言えば、「結婚」とか「出産」とかしておいた方が良いのかな? 
そういえば、若さがもたらす甘いほうの果実も味わっていない!
 これは当然といえば当然か。10代の頃からひねた部分があった。公私ともに、若い女子として扱われることに居心地の悪さを感じていたし、恋とか愛とかに身を費やしつつも、不器用すぎて楽しめない一方、どこか異次元へと突き抜けられるほどの野性味もなかったから。
 ただ歩いているだけでも雨は降ってくるけれど、食べたい果実は自分から手を伸ばさなければ受け取れない。それを知りつつも、あの時もこの時も手を伸ばさなかったのは自分。時間は無限にないとは知りつつも、ずっと、モヤモヤしながら生きていた。

 若さに憧れない人になれるだろうかと、折にふれキョンキョンを思いながら。

 あれから、10年以上が経過して、私は若さに憧れない中年になっていた。
意思的で行動的な女に変身して、後悔などないように生ききれたわけでもないし、目に見える富や成功などを手に入れている実感もないけれど。それでも、「若さに憧れなんてない」と言い切れる。

 なぜだろう?

 おそらく、生きることにちょっぴり慣れてきたから。

 たとえば、この世界の風景に慣れてきた。
 自粛後に急速にはしゃぎ出す人たちがいることや、自分探し以外の目的もなく上京した同級生がうっかりネットワークビジネスにハマってしまうこと。権力を持った人間が無自覚に暴力的な思考を育ててしまうことや、「女は40歳まで」とか「子供を持たないと後悔するよ」などと親身に助言してくれる年長者がいること。それから、人間はびっくりするほど分かり合えないことにも、慣れた。若い頃は真に受けて傷つきすぎていた1つ1つのことに、少しだけ慣れてきたのだ。
もちろん、慣れたからといって、共感したり、受け入れたりするわけじゃないけれど。「まぁ、あることだよね」と唱えて平静を取り戻し、複雑な感情をひっそりと埋葬することができるようになった。

 自分が自分であることにも慣れてきた。
 クールになりたいのに全然クールじゃない、ウェットな自分。コロナで荒れる世界の風景や、テレビで観ていた可愛い女の子が自死したニュースを聞けば、何日も寝つきが悪くなる。ストイックな人に憧れながら床に転がって本を読み、いちご大福を食べている自分や、せっかくドレスアップしてもハイヒールを履きこなせない自分にも慣れてきた。

 いくつになっても新しい悩みは出てくるけれど、そのこと自体に慣れると同時に前向きな諦観みたいなものが生まれた。混沌とした世界でも晴れる日はあるし、悩んで生きても悩まずに生きても、生は尊く、年月を重れば、人は生きることに慣れていく。年をとるって、それだけでも美味しい!どれだけ体力があろうとも、社会にちやほやされようとも、若さゆえのあの狭苦しい時間には戻りたくない。


 それに、人生は慣れてからが本番だ。

 いろんなことに慣れてくると、人からどう見られてもいいし、社会がどうなろうとも生きていくと思えてくる。すると、不要なものを捨てることが上手くなるし、変わることが楽しくもなってくる。身軽に図太くなって、物事の人生の本質に無邪気にどんどん迫っていけるという、実感が出てきた。

 キョンキョンのいう「若さに憧れなんてない」とは、言いかえれば、おそらく「変わることをいとわない」ということだ。若い容姿であることに、これまで得た安定した場所に、やり方に、地位に、名誉に、富に、人間関係に、過度に固執しないということ。

 数年前、キョンキョンは、永遠のアイドルでありながら、「エンタテインメントそのものに貢献したい」と会社を立ち上げて、これまでの自分のあり方をガラリと変えた。軽やかに変わりゆく大人は、美しく、強く、かっこいいなと思う。

 2020年6月。コロナを中心に世界が回る中、世界も社会も個人もため込んだ膿を垂れ流しながら、新しい生活が始まった。キョンキョンは、社会に対して思うことを発言している。そういえば、キムタクもInstagramを始めたね。

 ますます変わりゆく世界で、今あるものにしがみつくよりも、大切なものだけを握れていたら、あとはどんどん自由に変わっちゃほうが強いし、きっと面白い。
 新しい自分を生きていたら、若さに憧れているヒマなんてないということだよね。

追伸:先日、髭男爵の山田ルイ53世さんとお会いして、「ふと思ったこと」を書こうと、記憶の中にあるキョンキョンの言葉を導入にして、キーボードを打っていたら……本題が変わってしまった! 次は、先の思いつきも書き残したい(願望)


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