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鑑賞レビュー:サントリー美術館 四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎/”武士でない”生き方をえらんだ男

3月24日、展覧会最終日となってしまったサントリー美術館で開催された大名茶人 織田有楽斎についての特別展を見に行きました。

この展覧会は建仁寺正伝院により、院の再興者である織田有楽斎の400年遠忌として、これまで歴史の中で「本能寺から逃亡した(卑怯な)男」として語られてきた織田有楽斎についての歴史認識を新たにしたいとの意向で企画されたという事で関連の書状や愛用の茶道具など、展示品の過半数が正伝院の収蔵品で構成された展覧会でした。

私は最近まで織田有楽斎という人を知りませんでした。なので、この展覧会自体にそんなに興味はなかったのですが、音声ガイドのボイスが推しの声優 鳥海浩輔さんの声なので、鳥海ボイスで展覧会をガイドしてもらいたくて行ってみました。

展覧会は5章の章立てとなっており、有楽斎が「織田長益」として歴史に登場した”本能寺の変”にはじまり、豊臣の御伽衆として仕え、そして晩年には建仁寺正伝院を再興し、茶人としての人生を全うした織田有楽斎という人間について、縁者とのやりとりや愛用の品々を眺めることで「織田有楽斎とはなにものであるか?」を鑑賞者が考えていくような展覧会構成だと思いました。


第一章 織田長洲の活躍と逸話ー”逃げた男”と呼んだのは誰か

この展覧会、最初が「織田家家系図」と本能寺の出土瓦でした。
家系図については、戦国武将にはまったく詳しくないので見てもわからずスルー。
展示室中央の「本能寺の出土瓦」は大きなガラスケースにレンガのような瓦礫と見事な細工の鬼瓦がレイアウトされていました。
マニエリスティックな瓦を見て、本能寺がどのような(信長趣味の)建築物であったのかを想像してしまいました。
京都市埋蔵文化剤研究所資料より「本能寺出土瓦」資料
https://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/380.pdf

史料として、有楽斎が歴史に登場した史料として愚軒による『義残後覚』の展示もありました。
「織田の源五(長益)は人ではないよ 御はらめせめせ めさせておいて 我は安土へにくる(逃げてくる)源五」と、本能寺の変がおこったときに織田信忠に自害を進めて自分はにげたというわらべ歌がうたわれたという記載があるといいます。
この本自体が「豊臣を持ち上げ、織田をこき下ろす」というスタンスたという事(Wikipedia、サントリー美術館資料他による)。

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そして、国宝「短刀 無銘 貞宗(寺沢貞宗)」。
寺沢貞宗は本阿弥光徳が折り紙を付けた名物であり、秀吉→有楽斎→秀忠と主を転じた名刀。織田家のみではなく有楽斎は豊臣家とも強い絆があったという証であるとも思えました。


第2章 織田有楽斎の交友関係

第2章は有楽斎の木像のほか、ほとんどが書状。
木像は、知的で柔和な面差しのなかに強い信念を思わせるストイックな一面を併せ持つ人物像を思わせる肖像でした。遠くを見る明るい眼差しには「理想」を持つ人としての品格が見え、同時代の肖像木像の中でも大変見事な出来栄えだと思います。

書状の内容は、茶会の開催についての謝罪やあいさつ、お礼などをしたためた短いものが多いようでしたが書状の差出人が「細川忠興」「桑山左近」「徳川家康」…宛先が「中納言」「古田織部」…など日本史に詳しくない私でも見知った人物が多いことで、有楽斎の大物ぶりがうかがえました。

第3章 数寄者としての有楽斎

数寄者(すきしゃ)は、好きが転じて数寄になっということばであり、いわゆる好事家、趣味人という意味ですが、ここでは「茶道にこだわる人」のような捉え方だと思いました。

展示ケースの中に端正な茶杓が並んでいました。茶杓の見方というのはわかりませんが 千利休、武野紹鸚、有楽斎、織田道八の作の茶杓があり、「すごいメンツだな~」と思いながら見ました。しかし、外国人の方は、このありがたい「小さな竹製の匙」をどのように見るのだろうとかとも考えました。
コレクションの中には文琳茶入れや伝説の「宗吾茄子」という陶製の小物もみられました。
私には素朴な手仕事でつくられた作をよしとする”侘茶”の美意識がよくわかりませんが、これらのものが「高価」であるというのは、そのものの背後にある物語が内包されているかも。

愛用の唐物茶碗のよさはみただけでわかりました。どれも独創性があり、力強く均衡がとれており、それでいてのびのびとして温かみある茶碗ばかりでした。
花形の青磁茶碗を鎹で止めた茶碗や江戸の陶工 仁阿弥道八の作と言われている黒楽茶碗、個性的な「呼継」の筒茶碗などユニークな器もあり、有楽斎の遊び心がうかがえました。
※”有楽井戸”や”藤袴”は時代小説の中にもでてきますが、いちどみたら忘れられないおおらかな佇まいの茶碗です。趣味のよさがうかがえました。

(下リンクは国立文化財機構所蔵品統合検索システムより”大井戸茶碗 有楽井戸”)

”有楽井戸”のような井戸茶碗とは、そもそも高麗の庶民の雑器だったということですが、その姿が和文化における「侘茶」の美意識にかなったという事で茶道具として用いられるようになったという事でした。

第4章 正伝永源院の寺宝

第4章では、書状や道具の他、正伝院で使われていた絵画や工芸品の展示になっていました。
絵画作品には軸や屏風などさまざまな作品がありましたが、なかでも狩野山楽の蓮鷺襖図(十六面)は見事で、金を背景に、一日のうち朝、昼、夕に姿を変える白蓮の花の姿が描かれており、壮麗で瞑想的な空間を構築していました。
保存がよくなかったのか、かなり傷みのみえる長谷川等伯や狩野山雪による障壁画などもあり、有楽斎の構想した正伝院が当時の文化の粋を集めた建築物であったことが想像できました。

第5章 織田有楽斎と正伝永源院ーいま、そしてこれからー


最後の章は江戸時代に織田長清によって編纂された『織田真紀』、有楽流の茶書『正傳集』『貞要集』などの、歴史的な資料と、狸型壺など。

『織田真紀』や『正傳集』などは四百年遠忌で再考察するための資料展示だっていうことはわかったけど、狸型壺の由来はちょっとわからず。

織田有楽斎という人と、戦国時代のことをイメージするために『有楽斎の戦』(講談社文庫 天野純希著 2020年刊)という小説を読んでみました。小説なので「仮説」ではありますが、将棋の駒のように兵を動かし「勝ち負け」と「階層」に命を懸けてこだわるという戦国武士の理論はクレイジーなのではないかと思いました。
そして、有楽斎という人はその世界で「もてなし」を武器に、綱渡りをしながら生き抜いた人なのではないかと思った次第でした。



そもそも紛争の発端となった”明智光秀なんで本能寺攻めたのか”もわかってないので、織田家についてはこれからも「仮説」がいっぱい出ることでしょう。

※『有楽斎の戦』は、関ヶ原に参戦した武士「織田長益」を中心に展開する物語ですが、長益と織田家や豊臣家の関係がわかりやすくなります。

💛三日月宗近(鳥海浩輔さんボイス)のご案内で楽しく鑑賞いたしました!

おまけ)ミュージアム・カフェのあんみつ、もちもちの麩とぷりぷりした寒天に黒蜜とあんこがからまってサイコーにおいしかったです😋

東京ミッドタウンで1000円以下で食べられるものとしてはかなりコスパいい。































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