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親子丼が実は親子丼ではないという話

はじめまして。nanahiといいます。

これが初めての投稿になります。

一般的に初めての投稿では自己紹介を行うのでしょうが、1番僕のことを分かってもらえるのは僕の頭の中を見てもらうことだと思いこの話をします。

「丼は一碗で完結する物」とは幸平創真の言葉ですが、その一碗の中に鶏肉という”親”と卵という”子”が同居していることが親子丼の名前の由来です。けれどもその一碗で鶏肉と卵が出会うまでに生産、流通と数多の過程を経ています。
つまり、丼の中でやっと出会えた鶏肉と卵が本当の親子である確率は天文学的数字なのです。

「親子丼は実は親子丼ではないという話」

このタイトルを見たときに察しの良い方であれば、すぐにこの「本当は親子ではない問題」に辿り着くでしょう。
しかしこの問題については既に親子丼界隈では議論し尽くされている問題であり、今更僕が掘り返すまでもありません。

今回の論点は別のところにあります。

現在、一般的に流通している卵は無精卵です。
無精卵とは文字通り受精していない卵。
小学生の頃、母親の目を盗み布団の中で必死に卵を温めましたが、産声を上げることはありませんでした。受精をしていなければ当然、ひよこが生まれてくることはありません。

つまり、無精卵を指して”子”と呼ぶことには生命倫理上重大な問題を孕むのです。

今回のハイライトはここです。
例えば人間に置き換えてみると無精卵を”子”と呼ぶのであれば、人工中絶手術は倫理上到底容認できる行為ではありません。要するに、親子丼は名付けそのものが生命倫理上重大な問題を含む食べ物なのです。

と、ここまで書いてきましたが、僕は親子丼のネーミングに不満があるわけでも人工中絶手術の是非について一石投じたいわけでもありません。
「日本語の持つ面白さ」と言えば聞こえが良いですが、こうした毒にも薬にもならない、知っていても明日からの生活になんらの影響も与えない、そんなことを考えることが好きなんです。

今回は自己紹介がてら僕の頭の中を覗き見てもらいました。これからこうした毒にも薬にもならない話、マンガの話、音楽の話など雑多な話をしていこうと思います。よろしく、どうぞ。

この記事を読んだあなたの明日のお昼ご飯はきっと親子丼。


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