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感情のトリミング

「へぇ。自分探しみたいな感じ?」

僕は大学生の頃、1年間バックパッカーをしていました。その旅を決めたとき、その時の話をするとき、幾度となく言われた言葉です。

「そう、そんな感じ」

僕は決まってこう答えていました。特に自分を探しに行ったつもりはないけれども、誰にでもわかりやすく伝わるのはこの言葉だと思っているので、別段否定はしない。僕がどうして1年間海外を旅しようと思ったのかを今回は書いてみようと思います。海外を旅しようと思った理由の1つをお話しする、というのが正確な言い方かもしれません。

今の時代、何か情報を得たいとき、知りたいとき、実際にその地に行ってみる必要はないし、ともすると体験する必要すらありません。多くの情報はネット上に転がっています。

ネット上のものに限らず、情報には必ず「伝え手」がいます。

「伝え手」の存在がいるということは、公正・中立な視点などは存在し得ない(はず)なので、当然その情報には筆者・編者の「視点」が含まれます。情報は恣意的な取捨選択によって読み手、受け手に届けられるのです。

当たり前のことですが、語られることがあるのであれば、同時に語られないこともあります。

例えばある筆者が道端に咲く一輪の花を見てとても美しく思い、その美しさを伝えるための文章を書くとします。その美しさはきっと読む人を魅了する。だけどね、もしかすると実際その場に行ってみると、僕らはその一輪の花の傍に生えている名前も知らないような雑草と言われるものたちに力強さを感じるかもしれない。

また、ある国でパンを盗んだ子どもがいたとします。ある人はなんて治安の悪い国だと思うかもしれないし、ある人は貧困に喘ぐ子どもたちに何かしてあげたいと思うかもしれないし、もしかするとそうした環境に生まれなかったことに安堵するかもしれません。

「ひとつの事実を見ても感じ方は人ぞれぞれだよ」と僕らは小さな頃からずっと聞かされているけれども、意外とその事実を忘れがちです。歓喜、悲哀、充足、喪失、興奮、あらゆる感情を表す言葉はあるけれども、何かを見たときにそのどれもしっくりこない感情を僕らは覚えるかもしれません。しかし、「美しい」と書かれたものは「美しい」としか感じ得ません。

ここに、僕が旅をしてみたいと思った理由の1つがあります。

自分の中で言語化できないまだ知らぬ感情に出会えるかもと思うだけでワクワクするでしょう?「自分の目で何かを見てみたい」と思う理由はここにあると思うんです。端的にいうと、「伝えられた情報」と「自分の目の前の事実」の違いは情報自体のトリミングと感情のトリミングではないかと。

自分の目で見てみたいと思うこと、を軸に今回書いてみましたが、これではなぜ旅先が「海外なのか」に対しては明確な回答になっていません。

またいつか、その話もしようと思います。



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