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資格試験の楽しみ

僕は数カ月に一度くらいの頻度で、資格の亡者になる。様々な資格に興味を持ち、取得したいと考えるようになる。資格の取得方法について調べ、関連する書籍を買ったり、資格試験のための勉強を始めたりする。

人生に不安を感じたり、気分が落ち込んだときに、資格試験に走る人は少なくないと思う。資格試験は、それがどのように役立つとか、自分のやりたい仕事につながるとか以上に、それ自体が救いになることがある。

自分の今置かれている状況に違和感があったり、将来が見通せないと感じたり、将来に魅力を感じなくなったときに、人は資格に目を向ける。

そこには明確な目標と、明確な結果があり、人生にとってプラスになりそうな将来を思い描くことができる。少なくとも、そこに向けて歩き出すことができる。資格試験の存在によって、今を楽しみ、今をやり過ごすことができる。

日本にはたくさんの資格がある。まずは、国家資格。国が定めた基準や、国が認定した団体の取り決めに従って認められる資格だ。次に、民間資格。民間の様々な団体が、独自に設けた取り決めによって認められる資格だ。

同じ系統の資格の場合、国家資格が力を持つということもあるけれど、国家資格がないような分野においては、民間資格も十分に社会的影響力を持つ。

資格に興味を持ったときに、最初に思いつくのが、国家資格だ。国家資格でも人気なのが、所定の課程を経た上で取得できたり、国家試験受験資格が得られる【課程型】のもの。

例えば、医師や看護師といった医療関係の資格、教員免許の人気は高い。その職業への志望や理解がなくとも、多くの人にとって魅力的なのは、国家資格という響きだ。だから、なるべくそのような資格が取得できるような大学や専門学校を進学先として目指すことがある。

しかし、これらの国家資格には、課程と国家試験という二つの壁がある。まず、大学や専門学校で所定の期間学ぶだけの経済力と学力が必要になる。さらに、国家試験に合格する素養と学力が必要になる。

学校で学ぶだけの経済力や、授業を乗り越えて行くための学力がなければ、所定の課程を終えることができない。さらに、国家試験には実技を伴うこともあるので、実技を乗り越えるためのある程度の素養は必要だし、授業を乗り越えるのとはまた違った学力が必要になる。

人生に迷った果てに、この選択肢を選べるという人は、選べばよいと思う。しかし、この選択肢を選べない人も多い。特に、一度社会人になってからだと、今の日本でもまだまだハードルは高い。経済面、学力面、両面において学びやすいシステムがあるとは言い難い。今を楽しむための選択肢としては、少々重たい。

だから、多くの人は民間資格に目を向けるようになる。インターネットを少し探れば、数限りない民間資格の広告に触れることになる。

特に熱心なのが、【課程型】の民間資格だ。その資格を認定する団体が実施する講座の課程を受講することで、資格を得られるという仕組みの資格だ。講座の受講内容はとてもわかりやすく、難解なことには触れないことが多い。学習についていけなくなることは、ほとんどないように設計されている。

課程の最後にその団体による試験があったり、別名義の団体の試験があったりはするものの、参考資料を見ながら受験できたり、実質レポートのような問題であることが多い。課程を終えて資格を取得できないということは、まずない。

このような資格へのハードルは、経済力と通学できる環境である。まず、【課程型】の受講料は安くはない。講座の日程や種類にもよるけれども、通信学習タイプで4~5万円、通学タイプでは10万円以上かかるものが多い。

同じ内容を、自分で専門書を買ったり、YouTubeで勉強することは十分できる。その場合、費用は1万円もかからないだろう。ただ、講座を受講することで、初心者でもある程度まとまった情報が得られる。まるでその分野の知識がなかったり、本や動画を探すことが苦手な人にとっては、良いと思う。

それ以上の魅力は、勉強する過程が用意されていることと、資格という形に結びつくことだ。専門書を読んだり、YouTubeで勉強することでは満たされない気持ちがある。テキストを進めながら、レポート等で進捗を確認することで、確かに学んでいるという実感を得ることができる。そして、資格という形にすることで、満足感を得られるし、対外的にアピールすることもできる。

また、通学タイプの場合は、参加者とコミュニケーションを取ることや、直接指導してもらえることも魅力だ。これも、インターネット上で交流したり、詳しい人に直接教えてもらうこともできるけれども、それよりもずっと簡単にその機会を得ることができる。一緒に学ぶ仲間との関係が、その後の人生の支えになることもあるだろう。

このような魅力があるから、【課程型】の資格は人気がある。資格ビジネスとか、協会ビジネスというやや批判めいた言い方もあるけれども、結果として救われている人も多いのだから、僕はいいと思う。

僕自身もいくつか【課程型】の資格を取得したけれども、資格の社会的影響力はともかく、リラックスして勉強できていた時間は心地よかった。薄く内容の少ないテキストに従って、作業のように問題をこなしていく。

知識としては専門書を読んだ方がずっと得られるものは多いかもしれない。けれども目的は、その時をやりすごすことなのだと思うと、最適なのではないか。

日々の暮らしや、仕事、将来への不安に対して、今に集中し、将来に向けて少しずつ歩いている実感を持つことができる。費用はかかったけれども、その時を乗り切るには必要だった。

資格自体は民間資格の上、講座を受ければ得られるものだから、そこまで頼りにはできない。経済力と学べる環境があれば、誰でも取得できる資格である。ただ、自分をアピールする一助にはなる。資格によっては、社会的に力を持っているものもあるし、その分野の勉強をしたという証明だけでも役立つこともあるだろう。

僕が取得したものに「音楽療法インストラクター」というものがある(現在は「音楽療法カウンセラー」に名称変更したらしい)。社会的な力はほとんどないけれども、自己紹介には使える。「この人は音楽が好きなのかなあ」「何らかのセラピーには興味があるのかなあ」くらいには思ってもらえる。就職の面接のときには、様々な資格がある中で、唯一話題に上がるくらいには、話のタネにはなった。

ただ、このような【課程型】のハードルを乗り越えられないことも多い。安くない費用を考えると学ぶことをためらうことは当然だし、そもそも地理的な問題で受講できないことも多い。

そこで考えるのが、【試験型】の資格だ。例えば、検定試験が代表的なものだ。学歴や講義の受講は必要ではなく、試験に合格すれば取得できる。これには、国家資格も民間資格も様々ある。

【試験型】の資格の良さは、最低でも受験料だけで資格を取得できることだ。学習教材が指定されているわけではないので、安価なものを用意したり、無料で入手したり、YouTube等を駆使しても勉強できる。

試験勉強というものに慣れている人にとっては、おすすめの資格だ。学校の定期試験や、入学試験、基礎学力系の検定試験を経験してきた人であれば、独学でも勉強できる。

もし、試験勉強というものに慣れていない人であっても、対策講座を検討するという方法がある。公認会計士や社会保険労務士といった資格であれば、対策講座を受講する人も多い(厳密には、これらの資格には大学卒業というハードルもある)。また、比較的目指しやすい資格であっても、様々な団体が対策講座を用意している。

ただ、これらの講座を受けるとなれば、通信講座にせよ、通学型の講座にせよ、民間資格の【課程型】と同じ程度は費用がかかる。講座の内容も比較的難しいし、授業についていけなくなることもありえる。その上、民間資格の【課程型】と比べて合格率はずっと低い。だから、その資格を取ることを重視する場合はともかく、資格試験を楽しみ、今をやり過ごすためには、この方法はあまり向かないと思う。

だから僕は、自分が独学でも取得できそうな資格に行きつくことが多い。極力お金はかけずに、学習意欲は持ちつつ、取得まで行きつきそうな資格。自分のこれまでの知識や経験が活かされ、勉強するのに苦にならない資格。

僕の場合ちゃんと取り組んだ【試験型】の資格が、日本語教育能力検定と、メンタルヘルス・マネジメント検定だった。社会人になってから勉強したのだけれど、久しぶりに勉強するのが楽しかった。

大学生の時に日本語学はかじっていたので、日本語教育能力検定には取り組みやすかった。また、労務環境やカウンセリングについては関心があって勉強していたので、メンタルヘルス・マネジメント検定も既知の部分が多かった。

社会に出ると、試験のようには単純に評価されないことも多い。努力したり、知識を身につけたり、時間をかけたり、工夫したりしても、それが評価されたり、成果に結びつかないことがたくさんある。

そんな中で、はっきりと成果がわかる試験勉強は、とても楽しいものだった。日々進んでいる実感があるし、成長している実感があった。それに、知的好奇心を満たしてくれるという側面もあった。今を楽しみ、今をやり過ごすには、最適な行動だった。

もちろん、検討したけれど(今のところ)諦めた資格もたくさんある。一年に何度も、何年も資格欲が生まれて、そのたびに考えるから、一つや二つではない。

例えば、国家資格だとキャリアコンサルタント、社会福祉士、社会保険労務士、ITパスポートを検討したことがある。

前の二つは【課程型】で、所定の課程をクリアするハードルが高かった。検討したころに地方に住んでいたから、地理的なハードルもあった。後の二つは【試験型】で、独学では勉強できないと判断した。難易度としては社会保険労務士の方がずっと高いけれども、ITパスポートは僕にとっては同じくらい難しく感じた。

民間資格だと、何度か検討しながらも受験に結びついていないのが、漢字検定、数学検定、英語検定、TOEIC、美術検定、神社検定、手話検定、食生活アドバイザー、教育カウンセラー、音楽療法士(日本音楽療法学会認定)、認定心理士だ。

ほとんどが【試験型】だが、どれもテキストは何度か買っている。そう、何度か。思い立って、購入して、ほとんど開かずに、売る。それを何回か繰り返している。

理由は二つ。一つは、学習意欲が続かないこと。もう一つは、地方でかつ休みも自由にならない生活を送っていたこと。資格試験はまず申し込んでしまうのがいいというのは、本当だと思う。「いつか」「そのうち」のためには、勉強はしない。ただ、申し込んで受験しなかったことも何度かあるけれど。

最後の三つは、【課程型】の資格だ。どれも課程を終えるのが果てしなくて、諦めた。特に音楽療法士はとても関心があったけれども、基本的に大学や専門学校で学ばなければならない。独自の講座もあるが、ランダムな日程で行われること、最低2年かかること、その上さらに学会での活動が必要なことに、途方の無さを感じた。

このように考えてくると、国家資格だろうが民間資格だろうが、【課程型】か【試験型】だろうが、いいあんばいの資格を見つけるのも大変だと思う。それでも、その中に今の自分に調度いいものが見つかれば、それを楽しみにすることもできる。

資格というものは、将来の夢とか、やりたい仕事とかの為に取得するという側面はある。しかし、実際取得してみた後に、いろいろな理由があってその仕事には就かないとか、一度は就いても辞めることだってある。

教員免許があるから教師とか、看護師免許があるから看護師とか、せっかくその資格があるならやらないともったいないという意見もわかる。けれど、逆にその資格が、当人の可能性を狭めてしまうのは、もっともったいないと思う。

資格なんて、資格にすぎない。その人が歩んできたほんの一部分、その人の魅力の一側面にすぎない。資格がその人の能力や適性を必ずしも証明することにはならない。資格を得ていても、能力や適性に欠けることなんて、十分に想定できる。

逆に、資格がないからといって、その人に能力や適性がないというわけでもない。だから、この世のほとんどの仕事や役割には、資格なんて必要ないのだ。

子どもだろうが大人だろうが、これから自分がやりたいことが見つかって、そのために資格が必要なら、資格取得の為にシビアに捉えることはあっていい。

ただ、そうでないなら、資格というものをもっと楽しんでもいいと思うのだ。その資格が権威を持っていようがいまいが、取得が難しかろうが簡単だろうが、その資格をとってみたいから取る、でもいいと思う。

看護師になりたくなくても、看護師資格を取っていい。食生活に気をつけなくても、食生活アドバイザーの資格を取っていい。何に役立つかなんてわからなくても、漢字検定を勉強したっていい。

これは、「勉強」の肯定でもある。何の目的やメリットがなくても、勉強していいのだ。それが「資格」という形になることで、周囲にアピールしやすくなる、または自分にアピールしやすくなる。

これからの時代は、あまり役に立たなそうな資格の方が役に立つような気もしている。

仕事につながりそうな「役に立つ」資格は、逆に言うとその仕事以外では役に立たない。働き方やビジネスの仕組みが変わる中で、その資格が役に立たなくなることもあるだろう。また、異業種への転職が増える中で、必要なくなることもあるだろう。

一方、「役に立たない」資格が、どこかで役に立つこともあるだろう。これからの医療業界に役立つ資格は、看護師免許よりも、ネイリストやカラーコーディネーターかもしれない。これからの教育業界に役立つ資格は、教員免許よりも、野菜スペシャリストや終活アドバイザーかもしれない。

だから、とりあえず資格に興味を持ったら、とりあえず検討してみればいい。それがどのように役立つかということよりも、今の自分にとって適した学び方ができるものを選ぶことが大事だと思う。

ちなみに今の僕は、「アロマテラピー検定」の取得を目指している。申し込みはした。テキストは買った。開いてはいない。


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