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リスキリング #シロクマ文芸部

 布団からヤバいものが出て来た。
 といったら昔はあれだ、平成くらいまではグラビア雑誌エロ本という時代が長かった。他にも、磯野家のカツオのような点数の模試の結果とか。好きな子に書いた手紙とか。交換日記とか。ずっと前に中で脱いで忘れ去られていた臭い靴下とか。コンドームとか。当人以外には別にヤバいものではないが、恥ずかしいもの。母親に部屋の掃除をするなと厳命していたのに家に帰ったら布団が干してあってカバーとシーツが洗われていて、隠しておいたものがベッドマットに綺麗に並べられていたりして。あーあ、なんで見て見ぬふりというのができんのだ、と思う程度の話だ。
 他に布団から出てきてヤバいマズいと慌てるのは、うっかりお持ち帰りしてしまったお嬢とか同僚かもしれないが、まあそこはそれ、キャバ嬢に怖い美人局がついていたりしない限り、なんとかなる。

 今回出てきたのはそんな可愛い代物ではない。
 赤ん坊だ。
 えっなに、なんなんこの状況。
 自分が産んだ?まさか。
 百歩譲って、自分が女であったら、まあもしかして、万が一、あり得ないことではないかもしれない。だがさすがに自分には子宮が無い。卵ならいざしらず、尿道と肛門の穴以外に穴のない生物に子供が産めるのか、いや、無理。

 目覚めしなにふと腹に何か柔らかく小さなものが触れ、ああ猫かな、自分、ついに猫拾ってきてしまったんだなと思って布団をめくってギョッとした。裸の赤ん坊がすやすや寝ている。

 猫ちゃうやん。猫のほうがよかったわ、猫にしてくれや。

 跳び起きて、目がおかしくなったのかと、目元をこすってみたり押してみたり引っ張ってみたりして良く目を凝らしたが、明らかに赤ん坊だ。万歳して寝ているから男児だということは明白だったが、それ以外には、生まれてどのくらいの子かもわからない。何にもわからない。
 ひょっとして、赤ん坊のいる女の人を連れてきてしまったのか?その女の人は子供だけ置いてどっかに行ってしまったのか?
 それとも、ああそう言えば昔そんな小説読んだけど、恋人がどんどん若返っていって、ついに赤ん坊になっちゃったのか。いやそんな逆回転の恋人は自分にはいない。そこまで半永続的な関係をもつ女なんて、今は母親以外に誰もいない。母親も遠い田舎に住んでいる。だいたい、この子は男だ。じゃあ男の恋人か。そんなのいるか。友達泊めたっけ?いやそんな覚えもない。

 じゃあなんだ。なんであろうか。
 意味もなく現実から逃げたくなり、枕元に全巻並んでいた呪術廻戦から無作為に11巻を手に取り、パラパラめくった。ああもしかして、なんかの呪術?呪い?この赤ちゃん呪いなのかもな。だったからって何も解決しないけどな。
 赤ん坊の形をした植物、とか――そういうの、なんかの怪奇小説に出て来たっけな。
 うーん、と言いながら、布団の上に胡坐をかいて座り、自分と赤ん坊の間に呪術廻戦11巻を置くと、眠る赤ん坊を見つめた。
 はだか、というのがなんとも不可解だ。誰かが置いていったのなら、なんらかの衣服を身に着けているだろう。この赤ん坊が目を覚ましたら、どうなるのだろう。泣くのだろうか。泣いたとして、うちには何もない。赤ん坊の世話なんてどうしたらいいかさっぱりわからない。とにかく、なんかにくるんだ方がいいのではないか、という考えが浮かび、洗面台の傍に置いてあった実家から持ってきた貰い物のタオルを取ってきた。首が座っているとか座っていないとか、そう言えば聞いたことがあるが、この赤ん坊は大丈夫なのだろうか。頭を支えながら、赤ん坊を持ち上げる。ずしりと重い。なんとかタオルに包んだ。水色で花柄のタオルは、フィギュアとアクスタであふれた自分の家にはまったく不釣り合いなものだったが、赤ん坊には良く似合っていた。
 子泣きじじい、という妖怪がいたな。と、ふと思い出す。
 泣いている赤ん坊の姿をした老人をかわいそうに思って背に負うと、石のように重くなり、ついには命を奪う、というような話・・・たぶん・・・
 はい、うろ覚え。
 いやこの子は老人ではないし。そう思いながら抱く。赤ん坊はただ寝ている。温かくて重い。間違いなく生きているように思われた。
 気持ちが少し落ち着いてきたので、赤ん坊を布団におろし、タオルを避けて赤ん坊の全身を隈なく観察した。背中に星型のあざなんかはないだろうか。緑色になってこないだろうか。透明になるとか。いやいや漫画の読み過ぎだって。
 自分の赤ん坊の知識は恐ろしいほどに無かった。三十年、見事に赤ん坊と無縁の人生をおくってきたのだな、と逆に感心する。姉妹や従姉妹もいないから出産した親戚もないし、友達に子供が生まれても、別になんの関心もなかった。友達が奥さんと子供を連れてきても、ミルクだの抱っこだの漏らしたの泣きやまないだの大変だなとちらっと思う程度ですぐ忘れてしまった。そういえば「抱っこしてみます?」なんて言われても「いやいやいやいや」などと言って回避していた。壊れ物みたいで、自分が触れてはいけないものだと思っていたし、なんだかよくわからない生き物に対する気持ちの悪さもあった。

 写真を撮って、SNSで知り合いに聞いてみようか。「この子が布団の中にいたんですけど誰かわかる人」みたいに。いやまさか。コラ画や冗談だと思われるのがおちだし、変な結婚出産報告すな、と笑われるのが関の山だろう。
 どうする、自分。
 今日も今日とて別に何の予定もない。だから昨夜は夜遅くまでネトフリを見て漫画を読んで昼までダラダラ寝ていたらこの始末だ。飲みに行っていたとか正体無く酔っぱらっていたとか、そんな事実もない。アルコールによる記憶喪失ではない。
 あ。そうだそうだ。最も簡単な解決方法があった。「夢オチ」。
 大抵はこれだ、リアルな夢だった、というやつ。
 これはもう、寝よう。寝てしまおう。寝て起きたら、赤ん坊は消えている。そうだ。きっとそうに違いない。
 
 眠る赤ん坊をタオルに包んだまま漫画の向こう側に置くと、自分も仰向けになって目を閉じた。自分、11巻のナナミン、赤ん坊。赤ん坊に布団をかけていいのかわからなかったから、掛布団はかけずにごろんと横たわった。さあ、眠るぞ。どうせ今日は惰眠を貪る予定だったのだ。二度寝したってなんてことはない。そういえば今日中に就活用のスーツをクリーニング屋に取りに行かなければならなかったが、そんなの夕方でいい。行きがけにコインランドリーに寄って日常の洗濯をして、帰りにクリーニングを取ってきて――そういえば洗濯周りのことばっか気にしてるな。自分、意外と綺麗好きか。あ、目が覚めてまだこの子がいたら、コインランドリーのとこにおいてこようか。誰か拾ってくれるんじゃないだろうか。あそこのコインランドリー流行ってるからな。となりの街中華でチャーハン食おう。
 すぅ、と眠りに吸い込まれて意識が遠のくかと思いきや、まったく眠れない。なんだよ、眠りってなんだっけってくらい眠れないぞ。隣の赤ん坊のすうすうした寝息が気になる。実にお健やかにおやすみだ。夢だった、ってことにするために眠ろうとしてるのに全然眠れねえじゃねえか。というか夢だから?夢の中で眠るって無理なの?ねえこれ無理なの?眠れないの?

 天井をにらんでいたが、ふと視線を感じて振り向くと、ぱっちりと目をあけた赤ん坊と目が合った。水色のタオルがはだけ、裸で横向きになった赤ん坊は黒目がちな目でじっとこっちを見つめている。その隣で呪術廻戦11巻の表紙の七海建人がこっちをにらんでいる。見比べるうち、だんだん赤ん坊の視線が七海のように鋭くなっていくように思われた。
 やばい。目を覚ました。こちらから、あばばとか、うぶぶとか、なんらかの音を発したほうがいいのだろうか。泣くのだろうか。泣いたらどうしたらいいんだ。そう思いながらも、赤ん坊の目から目が離せない。
 そのとたん、赤ん坊のへそから何かがうごめき出るのが見えた。と同時に、妙な感覚がした。自分の臍からも何かが出て行くような感覚だ。急いでTシャツをまくり上げ、ジョガーパンツを臍の下まで引きずりおろして手を当てると、臍が少し出っ張っている。おかしいな、自分の臍はでべそではなかったはずだが、と思う間に、みるみるうちに臍からグネグネとした白っぽいピンク色のミミズのような管が生えて来た。血管が青く赤く透けて見える。ねじられたツイストチュロスのようなぬめぬめとしたそれは、見る間に隣の赤ん坊の臍から出た同じ紐に向かっていった。そして白い膜につつまれた赤黒いふたつのねじり紐は、宇宙船がランデブーをするときのような奇妙にゆっくりとした動作でしっかりと確実に、結合した。

 臍と臍がつながった赤ん坊と自分。突然意識が遠のいた。
 ああやっと眠れるのだ、と思った。夢だ。夢だと証明できる。起きたらすべてが夢になっている。しかし次の瞬間に自分が見たものは、信じられない光景だった。
 視線の先には漫画が転がっていて、その先には何もない。方向からして三十歳の男性の身体が無い。七海は反対側から見ても、藪睨みにこちらをにらんでいるように見えた。
 なんてこった。
 入れ替わった。赤ん坊と入れ替わって、自分が消えた。どういうことなんだ。入れ替わるならせめて猫が良かった。いやまて。こういうのは「入れ替わり」とは言わない。赤ん坊に吸い込まれたのか。
 四肢を動かそうとするが、どうやって動かせばいいのかがうまく思い出せなかった。声もうまく出ない。うきゅぅ、という小さな叫びが出ただけだ。当然、起き上がることも立ち上がることもできなかった。

 呆然としていると、1DKのアパートのドアの鍵がガチャガチャという音を立てた。ひやりとした冷気が下方からすぅと流れ込み、誰かが入って来るなり、あらあら、という声がする。
 あらやだほんとなのねぇ、宣伝に偽りなしだわぁというその声は、母親のものだった。なんだ。なんなんだ。混乱していると、母親はふとんのうえに座り込み、自分の身体を慣れた手つきで水色のバスタオルに包むと抱き上げた。そして優し気な顔で覗き込んできた。
 名前は新しくつけましょ。だって同じ三十年を生きられちゃほんと嫌だからねぇ。あ。ちゃんと支払いできてたかしら。最近はペイペイとかなんとかペイとか支払い方法があり過ぎて困るわ。
 そう言って母親は、左手のほうに自分の頭を持ってくるようにして抱きなおすと、右手でスマホを操作した。下から見上げた母親は中年らしくしっかりした二重顎だった。時間が過去に戻ったというわけではないらしい。呪術廻戦11巻も健在だ。
「ええとなになに。育て直しキット、成功報酬制です。無事に赤ん坊とお子さんが入れ替わりましたらお支払いください。万が一失敗しても、赤ん坊のほうは1週間もすると縮んで消滅しますので心配いりません、・・・ふうん。なお、お子さんのほうの意識は交換後しばらくは残っていますので、言動にはご注意ください。新たなトラウマを作らない為にも、24時間は元のお子様だと思ってください。話をすることはできませんが、聞いています、——だって。へえ、そうなの、マサト?聞いてる??」
 自分に語り掛けながら、母親は今まで見せたことが無いくらい優しい顔をしている。
「お母さんねぇ、あんたのこと、育て方間違えたなって。今どきはいいのがあるのねえ。育て直しキットだって。今度こそ、ちゃんと育てるからね。こんな、漫画ばっかり読んでバイトもサボるような大人にしないんだからね。就職してはすぐ辞めるくせに、いっちょ前にひとり暮らしじゃないと結婚もできないとかいって家賃の高い賃貸に暮らしやがって。生活費から何から全部うちからお金持っていきやがって。変な女にひっかかってしょっちゅう借金しやがって。毎日毎日うちまで借金取りがくるようなの、もうお母さん、耐えられなかったから――だからとにかくそんな男には、絶対、しないからね。ねっ。うちもまあ、今はあんた産んだ時よりお金あるし、あんたの作った借金返したら、あんたが習いたがってたこといくらでもさせてあげるから。ゲームなんて子供のころからさせないし、悪い友達ともつきあわせない。誉めて褒めまくって、つきっきりで勉強みてやって、美味しいごはん作ってあげて・・・大事にしてなかったかな、頑張ったつもりだったんだけど・・・ほんと、やり直すんだから、お母さん。全部―—全部最初から――」

 延々、終わりそうにない母親の話を聞いていたら眠くなってきた。
 どんだけ自分のことがうざかったのかよくわかったよ母さん。
 とりあえず漫画のコレクション捨てないで。
 あと今日クリーニング取りに行って。
 たのむわ。

 ああ~確かになんか、色々間違ってた人生だったかもしれないな。全般的に漫画とアニメとゲームとバイトくらいしかしてないわ。母さんが育て直すっていうなら「育ち直し」もまあ、悪くないかもしれない。どうせなら人生二周目のやりなおしが良かったけど、しゃーないわ。自分はこれから2024年からの人生を生きてくんだな―― 
 目を閉じると、今度こそ意識が遠のいてきた。
 こういうのなんつーんだっけ。リスニング・・・いや、リスキング・・・リスキリングだっけ・・・あれ・・・
 はい、うろ覚え。
 そういうとこだぞ、自分。

#シロクマ文芸部
#布団から

※レギュラーメンバーになったので1日早くお題をいただいています。
※5000字超えてしまいました。最近、長いですね。自覚しております。
※自分、もしかしたらロクデナシを書くのが好きなのかもしれません。
※息子さん受け入れすぎでは??もうちょっと怒ってもいいですよね。


※ 呪術廻戦11巻表紙、七海建人はこちら。↓


※リスキリング:新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、新しい業務や職業に就くこと