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花手水 #シロクマ文芸部

 ガラスの手水鉢ちょうずばちには、紫陽花が浮かんでいた。ソンブレロをひっくり返したような形の鉢に色とりどりの飾り花が目にも鮮やかで、思わず見蕩れて足を止める。控えの座敷に向かう廊下の花台の上に飾られたそれは、ビーズのような水滴がまぶされて障子越しの淡い光に反射していた。

 紫陽花の花言葉ってなんだっけ、と喪服のポケットからスマホを出した。「移り気」「浮気」「無常」。青は「辛抱強い愛情」、ピンクは「元気な女性」、白は「寛容」「一途な愛」。「冷淡・冷酷」「知的」「神秘的」なんていうのまである。西洋では「boastfulness」「You are cold」。ずいぶん意味が散漫だ。最後に「一説には、家族団欒」というのも見つけた。紫陽花の語源は「集真藍(あづさあい、あづさい)」で、小さな花がひしめき合って咲く姿から家族の和気藹々がイメージされたのだろうと書いてある。

 インスタに投稿しようか、いやでもこんな日に不謹慎かなと思いながらスマホを構えた時、後ろから、いやぁ、綺麗やわぁ、という声がした。京都から伯母が到着したらしい。
 ゆうちゃん久しぶりやね、いまどきお寺さんでご葬儀なんて流行らへんのと違う、と伯母は歯に衣を着せない。新横浜で新幹線を降りると言っていたから鎌倉が遠かったのだろう。暗に遠くて疲れたと言われたと感じて田舎ですからねと振り返ると、伯母はにんまりと笑った。いややわ、ゆうちゃんいけずやし、と言う。私が鎌倉を田舎と言ったことを、逆に自分がなじられたと受け止めたらしい。そうとってもらって構わない。伯母は自分が京都の人間だと殊更に知らしめたいような言動が多い。あまり会ったことはないが、私は幼い頃からこの伯母が苦手だった。

 このお寺は父方の菩提寺なのでと私は説明的に付け加えた。伯母は京都を鼻にかけるが実家はサラリーマンの家庭で大した家ではない。祖父がたまたま小金を得て洛外から洛中のマンションに越しただけだ。伯母はそのマンションを相続したが、実母とは反りが合わなかった。伯母の母親、つまりわたしの祖母は、祖父が亡くなった後逃げ出すようにして鎌倉に嫁いだ次女の家に身を寄せそこで亡くなった。今日はその祖母の葬儀だ。
 祖母は、京都には帰らない、夫と同じ墓には入りたく無いと言った。祖父は今で言うDV夫だったようで、小金を得たことで人が変わってしまったんだと祖母はよく言っていた。無理してマンションかわはって、と憎々しげに毒づき、お金を手にした幸運を、あんなん夢だったら良かったわと落語の芝浜みたいなことを言った。

 祖母は娘の嫁ぎ先の先祖代々の墓に入ることになった。そんなことできるのかと思ったら法律には縛りがなく改宗すればできるのらしい。寺と親戚さえ良ければお好きにということだった。なるほど仏教だって宗教だものな、と何か不思議な気持ちになった。親戚から反対もなかったので案外すんなりと決まった。そういうことをつらつらと、やっとその場に現れた母が伯母に話していた。
 伯母の相手を母に譲り立ち去ろうとした時、伯母の声に突然棘が生えた。何が逆鱗に触れたのか、ふたりの話を聞くでもなく聞いていた私にはわからなかった。
 あんたは昔からそう、と伯母は妹である私の母に向かって言った。お父さん押し付けて出ていったんはあんたやし。伯母は刺すような視線を妹に向けた。そんなこと言うなら来なくてよかったと売り言葉に買い言葉のように母は姉に歯向かった。あんたにはがっかりやわと叔母がいい、普段何ごとにも冷静な母が顔を赤くして語気を強めた。何言ってんの、一度も顔見にこないで、病院にも来ないで、お母さん、お姉ちゃんには最後まで会いたがってたんだから、と、母の言葉はずっと標準語だった。
 姉妹は睨み合って黙った。険悪な雰囲気だった。私は立ち去るきっかけを逃して立ち尽くした。
 向かい合う伯母と母の間に花手水がある。
 花言葉は「家族団欒」「和気藹々」ーーさっきみたスマホの画面を思い出しながら私は、首で切られたこの紫陽花はいつまで保つのだろう、とぼんやり思った。私の視線に気がついて、姉妹はどちらからともなく花手水に目を向けた。その時どこからか風が吹いて、紫陽花がふぅと動いた。



すっかりハマって4度目の参加です。

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