オーディナリーな日常 part1

お久しぶりです、夜さりにささめくと申します。
特段新曲を出していないのですが、自分の音楽についての考え方や環境の変化について記録しておきたいので文字に起こします。

生活の変化について1番大きいのが大切な人が出来た事、
今は同棲に向けて双方生活を整えたり、準備をしたり、それまでの暮らしから変わる部分はあるし、あるんだろうなと思っている。
時間の使い方、物事の優先順位が変わる事、ある意味で平常ではない感覚で日々を過ごしていた事を正していくような感覚がある。
音楽をやっていなかった頃、それはそれで幸せな生活が送れていたと思い返す。
過去にそう思えていた頃と違う点としては今の人は音楽も好きで適度に生活の中に溶け込ませて音楽も出来るんじゃないかと今後の生活に期待している。本当に最高だな。
これが一番の心境の変化と取り組みの変化かなと思っている。

音楽について2軸で話そうと思う。
何人かには愚痴を吐いた事はあるんだけれど、自分は周りのように音楽一筋で突き詰めて取り組むという事ができていないと思っている。
またその事に対してそれで良いよなと思ってしまっている節すらある。
世の中に音楽以外の楽しい事や人との関わりがある事を理解しているから音楽以外にもやりたい事があるなって思う。
でも中途半端な気持ちでやっている事に対していつか周りの人たちに見放されるのでは、という劣等感はある、難しいね。

もう1つ、自分がやりたい事が表現技法は音楽だが、伝えたい事が文学であるという点。
良い悪いではなく、セオリーではないので受け入れてもらえない作品になりやすいと自覚はしている。(再生数という軸で考えると悪いにはなる
物語や世界観、詩文、文字の羅列、そういった美しさを表現したい。
音楽はあくまでも装飾(これは過言かも)で芯は詞だなと断定は出来る。
詞があって、音楽がついて、動画に載って、世界観が表現される、そんなイメージです。
ここの流行りや周りの音楽との相違点が少し劣等感にはなっている。

そもそも音楽は劣等感を浴びやすい趣味だと思っている。
自己満足の芸術なのに他人の評価が大多数を占めるからだと考えている。
コネやプロップスが数字に繋がる、それは良い部分もあるし悪い部分もあるし、その上でそこに精神を委ね過ぎる事を僕は怖いと思っている。
自分の好きな事だけやって、少なくとも聴いて欲しい人に聴いてもらえたらそれでいいみないなスタンスは初期から揺らがないよ。
勿論、たくさん聴いてもらえる方が嬉しいけれど。

生活の変化、音楽の考え方を総括して一番言いたい事というかサイコーの終着点が今見えている。
大切な人とのユニットの結成である、もうすぐ始動します。
身内の欲目もあるけれど本当にいいアレンジをしてくれて一番好きな声で表現をしてくれる。
自分の曲に色をつけてもらえるような感覚だし、2人の掛け算がこれほどまでにできた事が今までの音楽人生において恐らくないから(ささめきくらい、ただささめきと同じくらい良い

ありのままの夜さりにささめくをどうか聴いてもらえると関わってもらえると嬉しいです。
その上で感受性高まった今後に、ユニット活動にぜひ期待してもらえると嬉しいです。
ユニット名は、水縹にたゆたう
2人で考えました、よしなに。

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