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[短編小説] サントリーニの夜

白を基調とした内装は、窓から見える暗闇を引き立てていた。窓の外からは猫が喧嘩している鳴き声が聞こえる。黒板を引っ掻いたような音が耳に障る。

「今回、取材を受けてくださったのは何故ですか?」
「何でって、あなたが取材依頼を申しこんできたんじゃないですか。内容は物騒なものだったが。」

しわがれた声でゆっくりと話す長の声は、移動で疲れた体を更に気怠く感じさせた。コペンハーゲンからアテネまで3時間、アテネからサントリーニまでは1時間ほどのフライトだった。サントリーニに上陸してからも、ここイアまではバスで1時間以上かかるのだった。乗り物酔いもまだ残っている気がする。

「旅行客の失踪の話でしたね」

ギリシャ語訛りの英語は聞きづらいが、ゆっくりなので何とか聞き取れる。

「せっかくなんで、散歩でもしながら話しましょう。嬢さん、イアは初めてでしょう。」

彼に従い、私も外に出た。ギリシャと言え、10月の夜にもなると半袖では少し肌寒い。夜のイアは想像していたよりも人が少なく、がらんとしていた。こんなにも閑散としているのか。

「思っていたより人が少ないでしょう。」

彼は私の前を歩きながら言った。私の顔は見ない。

「みんな中心のフィラに滞在するんです。夕日だけ見て、イアとはおさらば。観光客の多くはイアの夜を知らないまま、この島を出ていく。」

確かに、サントリーニと言えば夕日だ。googleでサントリーニやイアと調べても、出てくるのは夕日や昼間の画像ばかりだ。彼は相変わらずこちらを向かないまま喋る。彼は、この現状に苛立っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか。彼の声色からは何も掴めない。後で録音を聞き直そう。胸ポケットのレコーダーがオンになっていることを再度確認する。

「どこに向かっているのですか?」
「ちょっとした展望台ですよ。街がよく見える。」

通路は狭いが、人がほとんどいないため、さくさく進める。左手には暗い海が見える。時刻は23時を回り、道沿いにある土産屋は既に閉まっていたり、店員が閉める準備を行っていたりした。斜面に作られた街なので、ちょっとした階段やスロープを下っていく。前を歩く長は年齢の割にペースを落とさずに進む。街から少し浮くようにして、海側に石造の展望台のようなものが見えた。確かに、あそこからなら街を一望できそうだ。5分ほど登り下りを繰り返して、展望台についた。疲れもあり、少し胸が苦しい。長は全く疲れを見せない。結局、歩いている間は一度も顔を見せなかった。

「ごらん。美しいでしょう。」

ああ。声が漏れた。思っていたよりもずっと、イアの夜景は美しかった。展望台から見て左側は、色々な媒体で掲載されている有名な町並みだった。真っ白な風車や建物、プールが青や白のライトで彩られる。街並みが白い分、陰影がより際立って見える。だが、驚かされたのは右側の光景だった。通常、メディアでは掲載されない方の景色。白を基調としながらも、様々な色で彩色された建物が連なり、一つの輝く道を成していた。それは、遠くに見える丘をなぞるようにして天に続いていた。昼間であれば荒々しい崖が眼下に見えるイアであるが、電飾が無いため夜にはただの暗闇と化す。そのため、輝く街は暗闇に支えられ、どこまでも続く天の川のように見えた。

「サントリーニには神が住んでいる。こういう景色を見て、そう思わない方がおかしいでしょう。そして、そこにはもちろん代償も要る。自然の摂理です」


「代償?」

「はい。半年に一人、聖アイリーンに捧げるのです。彼女は、この光る道が続く先にいらっしゃります。ずっと、ずっと先に。」

何を言ってるんだ、この人は。冗談を言うようなトーンではなく、どこか真に迫るものがある。何かを強烈に信仰している人間特有の超然さ。疲れで自分がおかしくなってしまったわけでは無いようだ。まあいい、とりあえず今は黙って聞いておこう。胸ポケットを一瞬見る。

「レコーダーはちゃんと動いてますか?」

冷たい声で彼が言った。胸がどくんとなった。いつから気づいていたのか。

「昔は住人の中から選ぶしかなかったから、それはもう心が痛かった。選べなかった時もあった。そして噴火や地震が起きてきた。でも最近は…」

彼はペースを乱すことなく話し続ける。そこには彼自身の意思はもはや介在していないかのようだった。

「観光客がたくさんやって来てくれるようになった。美しい夕日は人々の目を晦ます。闇を隠すなら、圧倒的な光の影がいい。サントリーニの夜とかね。これがあなたの知りたいことでしょう。」

彼はじっとこちらを見て、私が何か言うのを待った。何を言えば良いのだろう。慎重に言葉を選ばなければいけない気もするし、何を言ってももう遅い気もする。

「そんな話、私にしてもいいのですか?」

「良くないです。まあ、そういうことです。」

彼はボソッと言った。皺に囲まれた目は暗く、萎んでいる。長の顔から街の方へ目を移すと、点々と明かりがついていた土産屋などが店を閉め、先ほどよりも一段階暗くなったようだ。店で働いていたであろう男たちが、各々の店から出てきて、ゆっくりと確実に展望台に向かってきているのが見える。キャンディーに群がる蟻のようだ。ああ、もう頭がぐらぐらする。
何かないか。スマホは長の家に置いてきてしまった。背後には切り立った崖と、全てを飲み込むだけの大きさと深さを持ったエーゲ海が事態を静観している。

ならばせめて、この事を何かで残し、少しでも希望を持って最後を迎えたい。レコーダは小さな緑のランプがついたままだ。仕事道具であるレコーダーは高いものを選んだ。おかげで、防水機能も兼ね備えている。

「以上がサントリーニの真実です。私はアンネ・ハンリセン。家族、友人、あなたたちを愛してる。このことを広めてください。」

レコーダーに英語でそう捲し立てると、背後に広がる大海へと投げ捨てた。5秒ほどしてからボチャンと小さく聞こえた気がする。

「まあ無駄でしょうな」

そうかもしれない。でも、

「もし聖アイリーンが存在するのなら、きっと誰かの元に届けてくれるはずです」

私は開き直ってそう言った。長の顔が初めて少し強張る。アイリーンの名前が私の口から出てきて不快だったのだろうか。
街の方に再び目をやる。確かに、闇夜に浮かぶこの街には狂気的なまでの魅力がある。最後の景色がこれなら、まあいいやとさえ思えてしまう。
いや、やっぱりもっと生きていたかった。




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