久〜しぶりに実家に泊まりに来た。 こんなに子供の声が聞こえたんだ〜。 子供たちの笑い声、ボールが弾む音、車やバイクが走り去る音、スズメの鳴き声…たまには良いな。 犬や夫の声がしないのは寂しいけれど。
少し若い頃の母が、家の中を歩き回っている。 あれ、いつの間に生き返ったの? え?諸々手続きしちゃってるよ。 母の声が聞こえない。 夢だと気付く。 いつもラジオ聴きながら、少し低い声で笑ってたよね。 なんか面白いことあったのかな。それなら良いな。
人付き合いと入力したつもりが、人好き愛だった。 なんか他者との関わり合いって、紙一重?だな・・と感じる。 好きになるのも嫌いになるのも、自分の考え方次第なんだな。 目指す未来や理想が違うのは当たり前だけど、ずっと交差しない人と会話していくのは、少し辛いよな。 価値観って大切よね。
父と墓参りをしていたら、「お母さんにスイカ食べさせてたとき、手握って幸せだったよって言われたよ」と話してくれた。 父も少しずつ消化させているんだなと感じた。 泣かないように堪える。
実家に届く旧姓の自分宛てのDMは、赤ペンで受取拒絶と書いて、ポストに投函してます。あと署名して。 これで届く枚数が減っていけば良いな。
自分がどうにかなってしまった時に、あの荷物は誰が処分するのだろう…と考えたのがミニマルに生活するきっかけだったな… 生前整理は必要だよな…と、ほぼ毎日思います。
先日久しぶりに捨て活し、心のモヤモヤが幾分取れました。これは必要!と思って買うけれど、結局必要無かったじゃん・・・。 こうならない為に購入するときには、じっくり悩んで考えるのに、最近はその考えが抜け落ちていて、判断が鈍っていました。 以前は一日一捨みたいな事もしていたけど、ある程度物が少なくなると、捨てる物が無くなるんだよね。必要な物しか自分の周りには無いからね。 その感覚を忘れていたんだな。 思い出してきたから、もう必要な物以外、家に入れてあげない。 今回の捨て活は、コート
いつも鬱っぽいつぶやきばかりだったのに、それでも目を通してくれている人がいると言うのは、とてもありがたいことですね。 本当にありがとうございます。 少しボヤけば気分は晴れるのだけれども、表面上は元気に振る舞っているはずなんだけど、心の底の方にはずっと亡くなった母がいて、忘れることも出来なくて、時間が解決してくれると思っても、なかなか吹っきれず。 喪失感って大きいな…と思うのです。無くなってわかる寂しさとか、色々と。 マックでぼーっとコーヒー飲みながら、noteを書いていると涙