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農業に憧れる30代エンジニア

はじめまして、yorimityといいます。
ちなみにyorimityは「頼道」ではなく「寄り道」にちなんだものです。
何かにまっすぐ最短距離で進むのもいいけれど、道中でふと興味を持ったことや、たまたま声を掛けてくれた方に対して目を背けずに、思い切って寄り道ができる人生もいいよね、と夫婦で会話したことに由来しています。

今回は初投稿ということで、僕たちについての紹介と、僕たちが何を思って農業に憧れて今何を考えているか、を書いてみたいと思います。

僕たちは札幌に住む30代夫婦で、夫はITエンジニア、妻は元家庭科教員です。今回の文章は夫が書いてます。数年前に、コロナによる仕事のフルリモート化の影響で、関東から移住してきました。当時都会のど真ん中みたいなところに住んでいて、それはそれで満喫していたのですが、排気ガスの多く混じった空気、大きな電車の音、空を覆い隠すビル達に夫の僕が疲れてきてしまって、北海道の自然に憧れたということが大きいです。妻も北海道が好きだったのと、虫(主に蚊)が苦手だったこともあり、一緒に行きたいという気持ちを持ってくれました。笑

北海道に来てから少しずつ価値観が変わってきたように感じます。穏やかな町の中を歩いていて、公園ではしゃぎまわる子ども達を見ていいなぁと思ったり、スーパーに並ぶ旬の食材に心を躍らせたり。訪れる飲食店も、素朴な味付けだったり、素材の味を大切にしていたり、ゆったりした店内だったり、店主さんやスタッフさんの人柄が暖かったり、「映え」やおカネの匂いを感じさせないところが多いような気がしています。プラセボ効果もあるかもしれませんが。笑

仕事に関しても少しずつ価値観が変わってきました。僕はITエンジニアをしています。「合理化」「効率化」といった言葉ととても関連が深い仕事です。僕たちは合理化・効率化された仕組みに恩恵を受けて日々便利に暮らしていて、先人達には本当に頭が上がりません。また、生まれながらにこの仕組みにずぶずぶに頼り切っているので、それを逸脱して生きていく術も持っていません。

ただ、最近はその「合理化」「効率化」によって失われているものが気になってしまう懐古主義に陥っています。「面倒なことを機械に高速にやってもらって、空いた時間でより本質的なことを」と言いますが、より本質的なこととは一体…?人間の飽くなき欲求によって、その空いた時間で「より効率的にするには?」を考えて、また効率化して、また空いた時間ができて…の堂々巡りをするような気がしてしまう。本質的なことをする時間はいつ取れるのか…?そもそも本質的なことって何…?あったとしてそれを見つけられるような生き方なのだろうか…?みたいな。

僕はエンジニアの仕事をしていて、日々屋内で椅子に座って仕事をしています。日々新しい技術が生まれるのでキャッチアップのために勉強したりして、仕事以外でも屋内で椅子に座ってPCに向かいます。上を目指そうとすればするほど、部屋に引きこもる時間は長くなります。平日も休日も朝の明るい時間からPCに向かい始めて、気が付いたら外は暗くなっている。身の回りの生活に関することはできるだけ効率化したり省力化したりして、仕事や勉強の時間を優先したり。そうすることで、確かにエンジニアのスキルは伸びているかもしれない。でも、ある時にふと、「自分の人生、ずっとこういう感じでいいんだっけ…?」と思うようになりました。

また、最近の生成AIの台頭で、プログラミングの世界も変わろうとしている予兆があります。近い将来「これまでの経験を踏まえて正しそうなことを考える」ことはAIのほうが得意になり、そうなると人間は作業指示や成果物チェック、調整ゴトが主な作業になっていくのかなぁと。そのことを想像して、それはいやだなぁと感じてしまいます。僕は、実は頭の中で難しいことを考えることよりも、PCを巧みに操りながら何やら暗号めいたものを書いて謎解きをする工程そのものを楽しんでいたのかなぁ…とか。それが取り上げられた後に残った仕事を楽しめるのかなぁ…とか、そういうことを考えてしまいました。

このように感じていたことや、家庭科の目的を追求する妻(今度なんか書いてもらいます)、そして北海道での暮らしに影響を受け、今では、生活の行為そのものを慈しみ楽しみたい、日光に当たりたい、肉体労働がしたい、と思うようになりました。(フルリモートのおかげで北海道にくることができたのになんだか恩知らずだなぁとは思います。笑)そこで仕事として農業をすることに興味を持ち始めました。日々こういうことを会話していたら、妻も農業に興味を持ってくれました。

夫婦とも農業家系ではなく、家庭菜園経験も一切なし。何から始めたらよいのかわからずとりあえず農業担い手センターへ。わくわくして向かうも何かピンと来るものがなく落胆して帰ってきたことを覚えています。機械や設備などで初期投資がすごい額になる、平均収入は10年経ってもサラリーマンになかなか届かない、地域が決めた種類の作物しか作れない、などのことを聞いて思い描いていた農業像とは違うと感じたのだと思います。機械はできるだけつかいたくない、投資も嵩むし、こちとら肉体労働がしたいんや…と少し思っていました。

そんな中、農業関係の書籍をいくつか読んでいるときに、自然栽培というものに出会い、「これだ!」と感じました。2023年は今の仕事を続けながら、自然栽培をもっと深く知ろうと活動してきました。ただ、結果的に「これも違う」と感じるに至りました。これについては別の投稿で詳細に書いてみたいと思います。

そんなこんなで、自分たちが農業をやるときの軸は何なんだろうか?もしかしてそんなものは必要ないのだろうか?という混乱を抱えながら、2024年に突入しようとしています。自然栽培、有機栽培、慣行栽培について、固定種・F1種について、農業経営やマーケティングについて、書籍やブログ、podcastに触れながら、知れば知るほどに自分がどうするべきかがどんどんわからなくなります。農業で生計を立てるのは本当に簡単ではないことはわかったけれども、貧乏を覚悟して農業に全てを捧げるのも違う、という悩みもあります。もしかしたら今エンジニアをしているから、隣の芝生は青く見えているだけなのかもしれません。

農業をしてみたいという気持ちはこれまでに何度もへし折られそうになりましたが、「まだ諦めたくない」「失敗するにしても何か一歩を踏み出してみたい」と思いながら、出すべき一歩を探っている状態です。僕たち夫婦はともにドがつくほどにビビりなので、石橋を叩き割るスタイルで、自分たちらしく少しずつ進んでいきたいと思います。その中で、学んだこと、気付いたこと、考えたこと、を無理なくここで綴っていければと考えています。

無知や勘違いも多々あると思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

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