見出し画像

「きっと、実家にいる意味があるんだろうね。」の理由が分かった日

最近ふといろいろ繋がったので残しておこうと思う。



前職は10年間印刷会社でグラフィックデザイナーとしして働いた。

あんなに就活で苦労してたのに、

「目には見えないけど多くの人に支えられてる。だから、今度は私が誰かを支える立場になりたい」と思うようになってから、すぐに今の会社に決まり、運命的だった。


なぜこの会社で働くことになったんだろう?
「誰かを支える」とは具体的に誰のことなのだろう?


はっきりとは分からないながらも、目の前のクライアントに全力で向き合い続けた。



印刷業界は激務であることが多く、かなり、結構辛い。

何度も辞めたいと思った。

自分らしくいられなくなり、私らしさをどうしても取り戻せないことが本当に悔しかった。


辞めたいと思う理由が現れては、辞めようと思うたびに自然と解決していった。

不思議だった。

何か私がこの会社でやるべきことがまだ残されているのだろうか?


私がこの会社で成すべきことは何だろう?


ずっとこの問いを抱えていた。

「今は分からなくても、まだ先、振り返った時に気づくのかもね。」と母は私に言った。




2年前くらいに、家族みんなが一緒に住むようになった。30前後になってみんなが揃うとは思ってなかった。

私の、家族へのこれまでのモヤモヤが爆発した。

たくさん泣いて怒った。言いたいことを伝えた。

父、姉、弟への怒りやモヤモヤが消えた。



私の役割(使命)は弟を大学へ通わせ卒業させることだったのだと、悔しいけど、腹落ちした。


母へのモヤモヤは残っていて、中学生の頃から私は人とごはんを食べるのが苦手になり、その当時の対応がどうしても許せなかった。

母のことは大好きだけど、どうしてもそのことだけはどう変換しようとしても晴れなかった。


でも、このままモヤモヤしたまま離れるのは嫌だと思った。(離れる予定は今のところないけど)


何度も、泣きながら少し怒りもあったけど抑えながら伝えた。



母とやっと分かり合えた。


15年越しの出来事だった。


まだモヤモヤは残っていたけど、過去の私と今の私を切り離す体験が偶然重なり、私も直すべきところがあったのだと気づいた。

責めるべきは母ではなかった。

私は本当に責めるべき相手の課題を自分が解決する課題として背負いすぎていたんだ。

本当に悪いのは母ではないし、私は私の課題を解決していく。

そして、母もあれから私のためにたくさん時間を使ってくれたし、変わってくれた。

母を責める気持ちが嘘のようになくなった。


それからすぐに、「私は仕事を辞めるんだ」という直感と、あまり長くここで働かない方がいいという身体的な感覚から、仕事を辞めることにした。

今考えると、

前職である印刷会社で勤めている限り、収入面から私は実家から出なかっただろう。

他の兄弟は家から出たことがあるが、私だけずっと実家にいる。

姉に

「きっと、実家にいる意味があるんだろうね」

と言われたことがあった。

今から数ヶ月前に言われて、その時は全然意味が分からなかった。特に意味なんてないだろう…と。




でもようやくその答えが分かった気がした。


弟の大学進学と就職まで金銭面で支える役割がひとつ。

そして、そこから派生するすれ違いやモヤモヤ、家族一人一人への不満を解決しきるまで家から出られない仕組みになっていたのかもしれない。

今はいつでも家から出られる。
自由だ。



私の次の役割【使命】はなんだろう?
振り返った時に、これが使命だったんだなと思えるのかもしれない。

はたまた、はっきりと分かる形かもしれない。

家族との問題が解決するまで家を出れない(仕事を辞められない)というのは、とっても痛くて痛くてしょうがなかった。
けど、兄弟がまた家を出たり、両親と向き合えるうちに解決できてよかった。


そういえば、「私の使命を全うできますように」と毎朝一度心の中で唱える癖がある。

いつからやっているか忘れたけど、たぶん5年前くらいからな気がする。

「魂を磨く」みたいなことなんだろうな。

なんだかスピリチュアルっぽくなってきた!


なんの締まりもないけど、最近の発見のまとめでした。

読んでくださり、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?